第123話 出征(2)
皇帝軍と大公軍の争いはこれまで拮抗しており、一進一退を繰り返しながらも、大公軍が若干押し気味で推移していた。
もともとが、皇帝アンリⅠ世・フォン・レギナーレが統治していたのは、下ロタリンギア、すなわちロートリンゲン公国のうちのライン川下流部に位置するブラバント公国一国のみである。毛織物産業が盛んな地域ではあったが、所詮は一国では経済的基盤も弱かった。
形式的には、下ロタリンギア公爵の位も持っていたが、これは多分に名誉称号的側面が強く、下ロタリンギア諸侯に号令するような権威は伴っていない。
このような状況であるから、教皇イノケンティウスⅢ世も傀儡化を狙って当時のブラバント公であったアンリⅠ世を支持したわけである。
結果として、戦争が長期化するに従い、ブラバント公国や占領地域は、重税を課せられた結果として疲弊していった。
それでも、戦争がここまで維持できたのは、フラント王国の西方海上にある島国であり、エングランド王国を盟主とする連合王国の支援があってこそであった。
連合王国は、大陸侵攻を狙ってフラント王国と争っており、戦争や婚姻政策という硬軟合わせた政略の結果として、フラント王国西部の特定地域を実効支配するに至っていた。
そして、連合王国は、フラント王国をその東側から帝国に牽制させるため、帝国を支援したのである。
これと対立する大公フリードリヒⅡ世は、この動きに対抗するため、フラント王国との連携を強めていた。
しかし、そのときは、突然やってきた。
ここ最近皇帝軍が、突然増強され、大公軍が連戦連敗の状況となっていた。
その増強された部隊は犬人族、豹人族、牙狼族、人狼、リザードマン、ドラゴニュート、ウォーゴブリン、オーク、オーガ、サイクロプス、トロールなどの亜人種が中心となっていたが、その出所は、Der Geheimdienst des Großherzog(大公の秘密機関)でも総力を挙げて調査しているものの、不明な状況となっていた。
とにかく、戦況をこれ以上悪化させることはできないということで、大公軍の増強が急遽決定され。
鷹の爪傭兵団からも6大隊から構成される1個連隊3,000名の動員が大公より要請された。
若手3羽烏である、ダリウス、ローレンツ、ルーカスは当然にこれに参加することになり、予備役兵であるルードヴィヒたちにもお呼びがかかった。
緊急事態ということで、学園もルードヴィヒに特別休暇を与え、戦争への参加を承認した。
事態は急を要するということで、鷹の爪傭兵団アウクトブルグ駐屯地で形ばかりの出征式が行われ、いよいよ出発の日がやって来た。
傭兵たちの家族などが、見送りに来て、一時の別れを惜しみ、用意したお守りなどを手渡している。
ローレンツは、独り身であり、このような別れとは無縁と思っていた。
ところが、見送りに来た女性がいた。
カタリーナである。
ローレンツは、感動のあまり、男のくせに涙が出そうになり、必死に堪えていた。
だが、カタリーナの言葉は、愛の囁きとは遠く隔たった辛辣なものだった。
「あんたがいないと屋敷の仕事がと滞っちゃうんだからね。怪我をしないで、ちゃんと戻ってきなさいよ。これは家政婦長の命令なんだからね」
「わかったよ。でも、見送りに来てくれたのなら、お守りの一つもくれねえのかよ」
「あたしの腰巾着の分際で偉そうに……。あんたの魂胆なんかお見通しなんだよ。あたしとタダでやろうっていう蛆虫なんだろう。
でも、もし無事で帰ってきたら、一生タダでやれる唯一可能な方法を教えてやるよ。それがお守り変わりだ」
「タダでやれる方法って……おまえ……」
(なんて不器用な女なんだ……女にここまで言わせるなんて……俺はなんて情けねえ……)
「とにかく、生半可な覚悟じゃあ一生やらせることなんてできないからね。帰ってくるまでに覚悟を決めときな」
「ああ。わかったよ。俺も男だ。中途半端なことはしねえ」
「とにかく命令なんだからね。あんたみたいな屋敷の三下が逆らえるもんじゃないんだから」
言葉とは裏腹に、カタリーナの目から一筋の涙が流れている。
「ああ。わかったよ。家政婦長様。もうわかったから……」
これにはローレンツも狼狽しておろおろしてしまった。
思い切ってカタリーナを抱きしめて慰めようとしたが、逆にカタリーナから、思いっきり頬を打たれてしまった。
「何するんだよ! このドスケベが! すべては無事に帰ってきてからだ!」
そう言うなり、カタリーナはプイッと振り返り、去って行ってしまった。その後ろ姿を見ると、肩が震えていた。もう我慢がならず、泣き出してしまったのだろう。
おそらくは、ローレンツが後ろ髪を引かれる思いをしないように、彼女は泣いている姿を見せたくなかったに違いない。それに、二人はまだ、素直に涙を見せられるような関係にはなれていないとも言えた。
ローレンツは、今度の戦いばかりは、死ぬことが許されないと、武者震いをした思いがした。
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