第123話 出征(1)
「ほらっ! ちんたら掃除してるんじゃないよ! この屋敷は、ただでさえ部屋数が多いんだからね」
家政婦長を任されているカタリーナは、メイド見習いであるゲルダを叱責していた。
「ご、ごめんなさい。すぐにやります」
カタリーナの口調があまりにも厳しかったので、ゲルダは委縮して涙目になっている。
その後の休憩時間。
カタリーナは、自己嫌悪に陥っていた。
(ゲルダは、まだ見習いだから、一人前に仕事ができなくて当たり前なのに……何を八つ当たりしてるんだ、あたし……)
カタリーナは、ルードヴィヒが、ローレンツにダニエラの警備を頼んで以来、彼と接する機会が激減していた。
(ついこの間まで、腰巾着みたいに、あたしにひっついて回っていたのに……掌を返しやがって……気に入らないね……)
だが、カタリーナ自身は、その苛立ちの根本的な原因に、まだ気付けていないのだった。
ローレンツは悩んでいた。
はっきり言って、ローレンツはカタリーナに心底惚れており、ずっと前から本人はそれを自覚していた。
実は、ローレンツは、カタリーナに母親を重ねて見ていた。
彼の母は、女々しくなくて清々しく、気風が良い性格で、将軍の妻として、荒くれ者も多い軍人たちの面倒をみるうちに”姐さん”と呼ばれる存在になっていた。
ローレンツは、腹芸などが一切できない不器用な性格で、人付き合いも下手だった。そんな裏表がない性格だけに、シャキシャキとした性格の母がとても好きだった。
(別に、マザコンじゃねえとは思うが……)
ローレンツは、そう思っているが、母を性的行為の対象として見ていなかっただけで、父と喧嘩して家を飛び出すまでは、精神的には母親にべったりと依存していた。
そんな彼も、一人暮らしを始め、母がいない生活にようやく慣れたと思った矢先……。
ローレンツは、黒猫亭でカタリーナに会ってしまった。
一目惚れとまではいかないが、カタリーナに酒を注いでもらい、談笑するにつれ、たちまち彼女の気風の良さの虜となった。
単に気風が良い女であれば、傭兵仲間やならず者の情婦の類にもいることはいるが、彼女たちはどこか荒んだ目をしている。彼女らには、ローレンツとしては違和感を覚えてしまう。
ローレンツの母は、単に気風が良いだけではなく、性格も明るくて、周りを太陽のように照らしてくれるような存在だった。
そんな一見して二律背反するような性格の母は、とても貴重な存在なのだと実感していた。
だが、カタリーナは、まさに母のような明るい性格も持ち合わせている。
娼婦という不幸な境遇にありながら、カタリーナは明るかった。そして、ローレンツは不器用なりに、それは商売のための演技に収まるものではないと本能的に感じ取っていた。
そんなカタリーナにローレンツは夢中になった。
黒猫亭へ頻繁に通い、カタリーナを指名しては相手をしてもらっていた。
娼館であるから、行為そのものはもちろんするのだが、ローレンツは、それが終わった後に、カタリーナに膝枕をしてもらって甘えるのがたまらなく好きだった。
彼が小さい頃、母に膝枕をしてもらいながら耳掃除をしてもらった記憶が鮮明に残っており、そのときの母の太腿の暖かくてやわらかな感触が忘れられなかったのだ。
ローレンツのような強面の大男が甘える姿を見て、カタリーナは苦笑いをしながらも、許してくれた。
もっとも、それは商売柄仕方なくやったことかもしれず、心の内では気持ち悪く思っていたのかもしれないが……。
そして、ローレンツは、カタリーナを身請けしようと金を溜め始めた。といっても、娼館で散財しながらだと、溜めるのもままにならない。
そうこうしているうちに、ルードヴィヒに先を越され、カタリーナを身請けされてしまったのだ。
当初、ローレンツは、娼婦という不幸な境遇からカタリーナを救ってくれたルードヴィヒに感謝しており、恨む気持ちはなかった。
ところが、ローレンツは、ジレンマに陥った。
身請けという制度は娼館だからこそあるもので、メイドを身請けするなどという制度はない。
仮に、ローレンツがカタリーナに結婚を申し込んで、彼女が承諾したとして、身請けした女を横からかっさらうような不義理をルードヴィヒに働いてよいものなのか?
では、身請け金に相当する金をルードヴィヒに渡して清算すれば済む話なのかというと、そんな奴隷の人身売買のようなことはローレンツもしたくないし、ルードヴィヒも認めないだろう。
ローレンツは、解決策が見つけられないまま袋小路に入ってしまった。
そして、カタリーナに会えない寂しさから、ローゼンクランツ新宅に押しかけ、半ば使用人のような顔をして、常時出入りするようなことになっていた。
しかし、カタリーナへの思いは募りこそすれ、袋小路に入った状況では、告白することもままならなかった。
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