第106話 はぐれ魔女(2)
そんな彼女には赤ん坊を流産したトラウマがあった。
彼女はどうしても赤ん坊を見ると憎めない。
一方で赤ん坊は毒薬や呪殺薬の高級な材料となる。
ヒルデは煮え湯を飲まされる思いで他の魔女が赤ん坊をさらってくることを手伝っていた。
しかし、その不満はヒルデの心に確実に蓄積されていった。
そして魔女になって3年の月日が流れたある日。
ついにヒルデの心は耐えきれなくなった。
同僚の魔女が家に侵入しようとした時、発作的に横合いから炎の矢を放ってしまったのだ。
死亡した魔女とペアを組んでいたヒルデは、仲間たちから真っ先に疑われた。
死因は明らかに魔法である。となると現場に居合わせたヒルデが一番怪しい。
それに対してヒルデはまともな言い訳ができない。
リーダーの悪魔は決断した。
「裏切者には死を!」
その言葉を合図に、一斉に仲間たちが襲いかかる。
ヒルデは、仲間たちより一瞬早く炎矢の斉射 を無詠唱で放って牽制すると、その隙に箒に乗って飛び立った。
それを仲間たちはしつこく追いかけてきた。
だが実力は伯仲しており、その差はほとんど縮まりも伸びもしない。
これは体力勝負の長期戦かと思われた時、ヒルデは積乱雲に突入した。激しく大粒の雨が叩き付ける悪天の中を必死に飛び続ける。
その時奇跡が起こった。
積乱雲で発生したダウンバーストという局地的な激しい下降気流が追いかける魔女たちを襲ったのである。
ダウンバーストの激しい気流に巻き込まれ、追いかけていた魔女たちは次々に下方にあおられて、姿が見えなくなった。
これを好機と、ヒルデは全速力で逃げ続け、ついに魔女たちから逃げ切った。
とりあえず逃げおおせたとはいうものの、ヒルデは仲間の魔女たちから命を狙われる裏切り者のはぐれ魔女となってしまった。
仕方なくヒルデは仲間の魔女たちから逃れるために放浪の旅を始めた。
しかし、悪魔との契約の印がある限り、ヒルデの居場所は契約をした悪魔にはバレてしまう。
自然と特定の町に長期に滞在することはかなわない放浪の旅となった。
旅をするには路銀が必要である。
そのために、ヒルデは占い師の仕事を始めた。
占いは魔女でなくとも技術があればできる仕事だ。
実際に、大きな町などにはインチキ臭いものから本格的なものまで、様々な占い師がしのぎを削っていた。
中には大都市での競争に負けて、地方都市を巡業する者もいたので、怪しまれずに放浪の旅をするにはうってつけの仕事だった。
ある町で開業していると、顔を腫らし、悲愴な顔をした母親と子供の親子がやってきた。子供の方も怪我をしているようである。
親子からの相談は深刻だった。
彼女の夫が酒乱となり、母子に暴力を振るい、それは日増しにエスカレートしているという。
どうしたら明るい未来の展望が開けるか占って欲しいということだった。
が、占いの結果は口にするのも憚られる内容だった。
ヒルデは思い切って聞いてみた。
「もし私があなたの夫を呪い殺せるとしたらどうしますか?」
母親は驚きの表情でヒルデを見つめ、確認した。
「そんなことが本当にできるんですか?」
「ええ。できます」
母親は長考の末に言った。
「では、お願いいたします。でも、料金が…これしかもちあわせがなくて…」
母親が示したのは銀貨が数枚だった。
仮にも人を一人殺すのだ、金貨は最低欲しいところだが…
ヒルデは、これも人助けだと思って依頼を受けることにした。
「ところで殺し方はどうしますか?すぐに殺すか、じわじわと苦しめながら殺すかなど、いろいろありますが…」
「苦しめるのは本意ではないので、とにかく早い方法でお願いします」
「わかりました」
依頼のあった母親の夫はその晩から苦しみはじめ、3日後に血を吐いて絶命した。
人々の口に蓋はできないもので、そんなことが何回か続くと、貧乏人のために悪人を呪殺してくれる占い師がいるという噂が庶民の間に広がっていった。
ただ、その占い師は神出鬼没で、いつどこに現れるかは予測できないという。
◆
ヒルデの命を狙う魔女たちは、以後、全員で襲ってくることはなく、1人又は2人と小出しで襲ってきた。
魔法で襲ってくることもあり、また呪殺を仕掛けてくることもあった。
だが、呪殺はヒルデの得意とするところである。自らにかけられた呪いを術者にはね返すと、呪いは倍返しとなって術者を襲い、術者は悶絶して死亡した。
一人、また一人とヒルデの命を狙う魔女たちの人数は減っていった。その度にヒルデは魔女としての腕を上げていった。
それでも諦めずに追手はかかった。
そのうちバイエルン大公国内では逃げ切れず、フランケン大公国へ、そしてついにはシュワーベン大公国へとヒルデは足を伸ばした。
ヒルデは、まっさきに公都アウクトブルグの町を目指す。
大都会の群衆の中に紛れた方が、身を隠すには好都合だと判断したからだ。
彼女は、町の城門の一つから、エナンを被った魔女の姿をしたまま堂々と町に入った。
占い師やまじない師の類が箔をつけるために魔女のコスプレをしているケースも多いし、事実、自分は占い師といえば占い師だ。
この町でも占い師としてやっていこうと考えていたヒルデは、そこまで考えて行動していた。
ヒルデは、居場所を悟られないために、営業場所も、泊る宿も転々と変えていたが、主に庶民街の東側街区を中心に活動していた。
彼女はまだ20歳過ぎたばかりのミステリアスな美人であり、その占いの腕も良いことから、評判は評判を呼び。程なくして庶民たちは彼女のことをこう呼ぶようになった。
“Schönheitshexe des Ostens(東の美魔女)”と…
そして、裏稼業の呪殺の方も少しずつ始めていた。
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