第101話 使えない駒(1)
コンスタンツェが自分の命を救ってくれたルードヴィヒに深い感謝の念を覚えてからというもの、彼女は変わった。
文字通り、恋に落ちたといってよい。
英語でも”fall in love”というように、これは罠に落ちたようなもので、あがいたところで簡単には抜け出ることができない。
コンスタンツェは、開き直った。
彼を攻略するには、”絶妙な距離感をキープすることが必須”などという考えは捨てることにした。
(彼がいつも言ってるじゃない…Es kommt wie Es kommt…)(なるようになるさ…)
その結果、結婚できなくてもいい。
(大公女が、愛妾や愛人になってはいけないなどという法律はないわ!)
そして、彼女は、ルードヴィヒを攻略すべく、自慢のgrey matter(灰色の脳細胞)を必死に働かせる……。
(そうよ……チェスのポーンのような使えない駒でも、使いどころを心得れば戦局を左右することだってある……)
コンスタンツェは、何かを思いついたようだ。
ブルーノ・フォン・ローゼンクランツの次男であるペッツは、武芸の才能のなさから、実家のローゼンクランツ双剣流に関わる仕事に就くことに早々と見切りをつけ、内務省の文官見習いとして、何とか潜り込むことに成功していた。
シュワーベン大公国では、武官よりも文官の方が優遇されており、高い地位に出世できる。武官で上級貴族の伯爵になろうとすれば、将官まで出世することが必要だが、これは高い才能・努力に加え、宝くじを当てるような運が必要だった。
この意味で、文官の道を選ぶということは、あながち間違った選択ではない。
シュワーベン大公国では、国を統治するための官僚機構が整備されており、いわゆる”宮中貴族”が執務に当たっている。
しかし、近代的な人事評価制度やこれに基づく能力主義による登用などは遠い夢の話であり、出世するためには、”上司の引き”が決定的に重要であった。
文官見習いとなって数か月。
目ぼしい”引き”のないペッツは、文官見習いとして、公文書の浄書や倉庫整理などの雑用ばかりをやらされ、自分の将来を悲観し始めていた。
しかし、ある日……。
突然に上司に呼び出されると、こう言い渡された。
「君。明日から内務事務官に正式登用することになったから」
「ええっ! 本当ですか?」
「嘘な訳がないだろう。とにかく、明日から仕事に励みなさい」
「はいっ! 承知いたしました。どうもありがとうございます」
悲観しかかっていただけに、ペッツは、舞い上がった。
翌日からは、簡単な公文書の立案などの事務官らしい仕事を任せられるようになり、ペッツは、真剣に仕事に打ち込んだ。
もともとペッツは、学園でもSクラスに在籍し、トップとまではいかないまでも、クラスの成績上位者に名を連ねていた。
上司は、その仕事ぶりに感心した。
(これは……思ったより、できる奴だったな。それに、例の”引き”もあるし……)
そして、事務官としての仕事にもだいぶ慣れてきたとき……。
突然に、内務事務次官に呼び出された。
内務事務次官は、事務職のトップとして、内務担当宮中伯を補佐する職位で、平の事務官のペッツからしたら雲の上の存在である。
ペッツは、突然のことに仰天した。
そして内務事務次官の執務室へ行くと、秘書に尋ねた。
「私は、ペッツ・フォン・ローゼンクランツと申します。内務事務次官がお呼びとのことで、罷り越しました」
「次官は、今、打ち合わせ中ですので、そちらのソファでお待ちください。終わり次第お声がけしますので」
「はい。承知いたしました」
ペッツは、指定されたソファに座って待機するが、次官の用件というものが、さっぱり想像できない。それだけに、不安な心持を禁じ得なかった。
かなり待たされた挙句、次官室から5人ばかりの高級官僚とそのお付きと思われる事務官たちが、ドヤドヤと退室していった。
(いよいよか……)
「空きましたから、どうぞ。お時間はどのくらいかかりますか?」
と秘書は淡々とした事務口調で尋ねた。
「いや。それがさっぱり……」
秘書の眉毛がピクリと反応したが、彼女は、やはり事務口調で言った。
「では、お入りください。後がつかえておりますので、早めにお願いします」
「承知いたしました」
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