第96話 お茶会(2)
だが……
毒入りであるはずの紅茶を飲んでも、ローゼンクランツ卿はピンピンしている。
(いったい、どういうことなの……ケヴィンの奴、大口を叩いておきながら、しくじったわね)
ドロテーアとしては、仮に、毒を仕込んだことが当局にバレたとしても、実行役やケヴィンを蜥蜴の尻尾切りで切り捨てる用意はしてある。
それでもドロテーアは、いやな予感を覚えた。
◆
とりあえず窮地は乗り切ったと、気が休まる心持ちで、ルードヴィヒは、ローゼンクランツ新宅へ帰宅した。
へカティアが、マリア・クリスティーナへの訪問を終えて、既に帰ってきているということだったので、様子を聞いてみた。
へカティアは、いけしゃあしゃあと訪問の様子を語った。
「久しぶりに従姉に会えたと言って、大歓迎されたわ。子供たちとも会ったけれど、皆可愛かったわよ」
(記憶の改竄は完璧っちぅことけぇ……それも何だかのぅ……)
「そうけぇ。んだども、何か変なこたぁしとらんろぅのぅ?」
「そんなはずないじゃないの。あなた、私を誰だと思っているの?」
「そらぁ冥界の女王だろ」
「何言ってるの。私は、あなたの従叔母のへカティア・フォン・アーメントよ」
「はあ~もうわかったすけ」
「わかればいいのよ。ところで、今日はクリスと意気投合しちゃってね。今夜の夜会に招待されちゃったのよ」
「はあっ! 今日の今日でけぇ」
「だって、誘われたものはしょうがないじゃない。
それでね。エスコート役が必要なのだけれど、私の庇護者なんだから、あなたがやりなさいよ」
(まったく……今日はいろいろと気が休まらんのぅ……)
「しゃあねぇのぅ。わかったっちゃ。どころで、着ていくドレスはあるんけぇ?」
「とりあえず、黒のドレスを着ていくわ」
「そんだば、おらは普通の黒の正装でええろう」
「そうね。いいと思うわ」
◆
程なくして、ルディが帰宅して、結果を報告する。
「んで、どうだったぃ?」
「あの男は大公宮のセカンドシェフをしているペーター・フォーベックという者でした」
「そうけぇ。そんだば、立場的に毒を仕込むこともできそうだのぅ」
「ですが、今のところ証拠はつかめていません」
「そんだば、ヴィムたちに頼んで、身辺を探ってもらおうかのぅ。それぐれぇなら大きな負担にはならんろぅ」
「Zu Befehl mein Gebieter」(おおせのままに。我が主様)
◆
夜会は、大公の寵愛を一身に受けているローゼンクランツ夫人の主催とあって、有力貴族が続々と集まっていた。
会場へ馬車で乗り付けたルードヴィヒは、へカティアが馬車を降りるのをエスコートした。
降り立った艶麗かつ妖艶な貴婦人の姿を見て、周囲の者たちは騒めいた。
本人が素晴らしいことは当然として、黒一色でまとめたドレスは、ウェストの細さを強調するような、ふんわりと大きなシルエットで、かつ、バストからウェストにかけてはぴったりと身に沿うタイトなラインを描き、へカティアのスタイルの良さを強調しており、この上ないエレガントさを感じさせる。
エスコートしている少年も、男も見惚れるような美貌の美少年であり、その優雅さは貴婦人に負けていない。しかし、年齢の壁というものは、いかんともし難く、ルードヴィヒでは役者不足だ。
このため、二人の組み合わせは、とんでもない艶麗かつ妖艶な貴婦人が、これまた規格外の美少年を従えているという構図に映る。その意味では、誰の目にも、主役はへカティアのように思えてしまう。
会場に入ると、周囲の目は二人に釘付けとなり、参加者たちは強い関心を寄せた。
「ねえ。見ない顔だけれど、あの二人は誰なの?」
「どうやら、ローゼンクランツ夫人の従姉のアーメント男爵夫人と甥のローゼンクランツ卿らしい」
「なるほどね。それなら、あの優雅さと気品は納得だわ」
「それにしても、なぜ甥っ子なんかがエスコートしているんだ?」
「どうやら夫人の方は、夫に先立たれ、甥っ子が庇護者ということらしい」
「じゃあ、あの夫人は未亡人ってことか?」
「そうなるな」
「おお……」と抑えめな耽美の声が男たちの間に広がる。
“未亡人”のワードが出るに至り、会場の男たちは、ますます色めき立っていく。
美貌の未亡人というものは、限りなく男たちの淫蕩な想像を掻き立てる存在である。妄想の中では、やらせてくれる女No1であり、処女のような面倒くささもない。
(さあ、こちらへいらっしゃい。お姉さんが手取り足取り、いいことを教えてあげるわ……)
男たちの心に、身勝手な妄想が駆け巡る。
そして、それには既婚者も何もない。
女の勘は鋭く。それを察した奥様連中は旦那に肘鉄砲をかまし、あるいは足をハイヒールの踵で踏ん付ける。だが、それを察することができるのも、肘鉄砲をかましたところで夫婦仲が壊れることがないのも、夫婦が仲睦まじいことの裏返しではある。
逆に、それができない夫婦たちは、一見して喧嘩している風に見える隣の夫婦に当てられているのであった。
さりながら、当のへカティアはといえば、まるで思春期の少女のように、エスコートされるためにルードヴィヒの左手に縋るのさえときめいてしまう状態なのであった。
その一方で、ルードヴィヒの方もご婦人たちの関心を一心に浴びていた。
正式な社交界というものは、参加者は大人がメインであり、学園生が参加するということは、滅多にあることではない。
そこへ突然に登場したとんでもない美貌の美少年というものに対し、代わり映えのしない社交界というものに退屈していたご婦人方は、羨望の眼差し向けることを禁じ得なかった。
さらに、一部の婦人たちには、心の奥底に潜むへべフィリア(少年性愛)の感情を覚醒させる結果をも生んでいた。
このため、二人のところには、興味を持った紳士や婦人が入れ替わり立ち替わり挨拶にやってくる。
こうして、アーメント男爵夫人とその庇護者たるローゼンクランツ卿は、一夜にして社交界に名が知れ渡ったのだった。
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