第94話 花売り(2)
翌土曜日となった。決行日はもう明日に迫っている。
ルードヴィヒは、モーモネを呼び出し、依頼の趣旨を伝えた。
するとモーモネは、素直に承諾の言葉を口にした。
「承知……いたしました」
そこに、ためらいがあるのをルードヴィヒは、見て取った。
(モーモネは、おとなしくて従順だすけのぅ……やっぱし、無理させるんは可哀そうだ……)
「やっぱし、あんなろくでなしどもを眷属にするんは、気が乗らねぇけぇ?」
「それは……申し訳ございません」
「別に、謝るこたぁねぇよ。そんだば、魅了魔法一本でいくけぇ」
「お心遣いいただきありがとうございます」
「すっけんことねぇてぇ。そんだば、今日は学園も休みだし、魅了魔法なら、おらも使えるすけ、手分けしてやることにしようかのぅ」
いざ、実行しようとすると、帝国大道団には、戒厳体制が敷かれていた。
構成員が、謎の者に大量に惨殺されたのだから、その意味では当たり前だった。
このため、モーモネは、道を歩いている帝国大道団の構成員に声をかける。
「お兄さん。お花を買ってくれませんか?」
“花を売る"とは、私的な娼婦が春を売ることの隠語だった。
零細で貧しい女職人や職人の妻などは、生活のため私的な娼婦をやることがあった。彼女らは娼婦の職業別組合に隠れて春を売るため、相場は安かったうえ、職業別組合に見つかれば凄惨な死刑を受ける羽目になった。
構成員は、背が低めで可愛らしく、おとなしくて従順そうなモーモネの姿を見て、気に入ったようだ。
「相場はいくらでえ?」
「いくらでもいいので、お兄さんにお任せします」
「なら、いいだろう」
交渉が成立し、二人は人気のない裏路地に消えていった。
程なくして、構成員の男が若干虚ろな目をして裏路地から出てきた。
実のところ、当初の目的は達成していないのだが、魅了魔法により精神支配された彼は、事をした気になっており、忘れられないほどの恍惚感を覚えていた。もはや、こうなっては、モーモネの従順な僕である。
また、ルードヴィヒの方も……
「お兄さん。花を買ってくれないかな?」
帝国大道団も含め、固い結束を誇るならず者の集団には、その性質上、男色趣味に走る者も多かった。
声をかけられた帝国大道団の構成員は、ルードヴィヒを一目見て恋に落ちた。
「もちろんだとも。満足できたらいくらでも払ってやる」
「わあ! 嬉しいなあ」
(うげっ……気持ち悪ぃ……)
そこは、目的のためとルードヴィヒは必死に耐えた。
交渉が成立し、二人は人気のない裏路地に消えていく。
そして、モーモネのときと同様に、構成員の男は虚ろな目をしてルードヴィヒの従順な僕となっていた。
一方で、ルードヴィヒは、ルディを通じて、血の兄弟団のヴァルターと連絡を取り、帝国大道団の動静を密かに監視してもらうことにしていた。
彼らは、年中抗争を繰り広げているため、実は、こういうことは得意なのである。
そして、それほど時間がかからずして、カンタレラの購入には、幹部のケヴィンという髪を短く刈り込み、眼光の鋭い男が関わっていることが判明した。
ところが、その日一日、ケヴィンの行動や帝国大道団の動静を探ったが、結局のところ、有意な情報は得られなかった。
◆
夜遅くになって、モーモネが少しばかり疲れた顔をして帰ってきた。
ルードヴィヒは、成果を聞いてみる。
「どうだったぃ?」
「それが……意味のありそうな情報は得られなくて……申し訳ございません」
「なんも謝るこたぁねぇよ。おめぇが悪ぃわけでもなんでもねぇすけ」
「ありがとうございます」
「そんだば、下がってゆっくり休んでこらしゃい」
「で、では……失礼いたします」
そこで、ルードヴィヒは、モーモネに躊躇いがあることを感じ取った。
「ちっと待てや。おめぇ、おらに何か言いたいことがあるんでねぇんけぇ?」
「えっ! それは……」
モーモネは、ズバリ言い当てられたとばかりに、驚き、更には戸惑っている。
「言いたいことがあるんなら、遠慮しねぇで言わっしゃい」
「では……そのう……」
「何でぇ? おらぁ、そんなに怖ぇろぅか?」
「いえ。決してそんなことは……」
「そんだば、何でぇ?」
「実は……少し疲れてしまったので……主様の血を少しだけ吸わせていただきたくて……」
(モーモネは、テンプーザと違って、慎み深けぇすけ、際限なく血を吸ったりしねぇろぅ……)
「何でぇ。すっけんことけぇ」
「それに……」
「まだ、あるんけぇ?」
「あのう……できればハグしていただきながら、吸わせていただけると、とても嬉しいです」
「ああ。ええよ」
ルードヴィヒは、そう言うとモーモネをハグした。
いきなりだったので、モーモネは少しばかり驚いて、目を見開き、そして顔を赤らめた。
だが、ルードヴィヒの体温が伝わってくると、とても安らいだ気分になった。
「で、では……失礼いたします」
そう言うと、モーモネはルードヴィヒの首筋に歯を立て、血を吸い始める。
途端に、ルードヴィヒは何とも言えない陶酔感を覚えた。
蚊は、血を吸うときの痛みを悟られないために、麻酔成分を含んだ唾液を流し込む。吸血鬼の場合も、血を吸うときの痛みを打ち消すため、もっと高度なメカニズムが働いているのだろう。
程なくして、モーモネは、血を吸い終わった。
もっと吸われるかと覚悟していたルードヴィヒは、ちょっと拍子抜けした。
「もうええんけぇ?」
「はい。充分いただきましたから」
そう言ったモーモネは、心から嬉しそうに、爽やかな笑顔を浮かべていた。
いつもは感情を表に出さない彼女の笑顔をとても眩しく感じ、ルードヴィヒは、ドキリとした。
◆
深夜になって、ルードヴィヒは、ルディと相談していた。
「おそらくは、カンタレラは既に実行役に渡されていると考えるしかねぇようだのぅ……」
「どうやら、そのようですね」
「そうすっと、水際で防ぐしか、もう手がねぇわけか……」
「我が主様なら、問題ありません。私も微力ながらお手伝いいたしますから」
「ルディがそういうなら……まあ……Es kommt wie Es kommt……」(なるようになるさ……)
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