第92話 雌蟷螂(1)
ヴィムは、いやな予感を覚えていた。
リヒャルダの帰りが遅い。
……とはいえ、まだ遅すぎるというほどの時間ではないが……
(急ぎ仕事の時は、得てしてドジを踏みやすいものだ……)
そう思ったヴィムは、気がつけば帝国大道団の事務所を目指して疾走していた。
ヴィムは、人目をはばかりながら、帝国大道団の事務所に侵入し、怪しい部屋がないか、片っ端から調べていく。
そして、地下室らしきところで、騒然とした気配を察知した。
悟られないように接近すると、リヒャルダがいた。
彼女は拘束され、すぐにも拷問されそうな勢いである。
しかし……
ヴィムは暗殺者であり、不意打ちを得意とする。
このため、正面切っての一対多の戦闘は得意ではなかった。
(2、3人のならず者ならば、なんとかなるが……)
ヴィムは、どうやって助け出したものか迷った。
しかし、そのうちにもリヒャルダは、麻薬らしきものを飲まされ、ならず者が彼女に群がっていく。
このままでは、リヒャルダが穢されてしまう。
(こうなったら、破れかぶれだ!)
普段は冷静沈着なヴィムだったが、この時ばかりは命を賭した賭けに出ざるを得なかった。
ヴィムが、毒を塗ってある短刀で、ならず者の一人に切りかかった。
「くっ……アガッ……」
ならずものの一人が突然苦しみだし、床に倒れ込むと絶命した。
ただならぬ様子を察したならず者たちはヴィムを発見すると、すかさず周りを囲もうとする。
ヴィムは、これをさせじと短刀で切りつけ、口に含んだ毒針を吹いて飛ばし、これがなくなると毒を塗った投げナイフを投げて抵抗する。
しかし、これも5人が限度だった。
異変を察したならず者の増援が駆け付けてくると、ヴィムは周りを囲まれ、後ろから羽交い絞めにされると、縄を打たれて拘束されてしまった。
幹部と思われる男が進み出ると、ヴィムを殴りつけ、詰問した。
「てめえ。どこの者でえ?」
「……………………」
ヴィムもリヒャルダと同じく、無言を貫いた。
「てめえもだんまりかい。だが、こんな無謀な特攻を仕掛けてくるってことは……てめえ、この女に惚れてるな。二人はいい仲ってか?」
「……………………」
「まあいい。惚れた男の目の前で女を辱めてやらあ。こりゃあ最高の余興になったなあ」と言いながら、幹部の男は下卑た笑いを浮かべている。
これを聞いたヴィムは、顔色を変えた。
「やめろ! 拷問するなら、まずは俺からにしろ!」
「けっ。やめろといわれてやめるバカがどこにいるってんだ。てめえは、女が辱められるところを黙って見てりゃあいいんだ」
「おい。おめえら」
……と言うと、幹部の男は横柄な感じで顎をしゃくった。
それを受け、ならず者たちはリヒャルダに群がっていく……
◆
リヒャルダはヴィムとコンビを組んで5年になる。その間に、二つ年上のヴィムに対して、密かな恋心を抱くようになっていた。
ヴィムは、ハンサムだが、口数の少ない、いわゆる朴念仁だ。しかし、彼女は、ヴィムが優しい心根の持ち主であることを知っている。
また、親代わりとして、懸命に弟を養育する姿にも好感が持てていた。
彼が時折見せる優しさや労いの言葉や態度に、いちいち彼女の胸は反応して高鳴る。ネズミである彼女は、それを巧妙に隠していた。
だが、当のヴィム本人が自分のことをどう思っているのかは、察することができていない。
(ストイックな人だから、女なんて眼中にないのかもしれない……)
リヒャルダは、おそらくは自分の片思いだと思うことにした。
しかし、ヴィムは命を賭して自分を助けに来てくれた。
それ自体は無上の喜びではあったが……
麻薬のせいで混濁する意識の中で、心配したことが起こってしまった。
ヴィムは捕まり、ならず者に拘束されてしまった。
そのうえで、ならず者たちは、こともあろうに好いているヴィムの目の前で自分を穢そうとしている。
(こんな悍ましいことがあっていいものか……)
リヒャルダは、背筋が凍り、鳥肌が立った。
(こうなったら、穢される前に自害するしかないわ……)
リヒャルダは、こういう時のために、自害用の毒薬を奥歯に仕込んであった。
そして……
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