第81話 ジレンマ
血の兄弟団は、団長のトルステンに黒魔術の呪いをかけて以降、悪行を行うことがめっきりと減っていった。
彼らは、麻薬取引からは手を引いた以外は、相変わらず、みかじめ料の徴収、不良債権化した借金回収、賭博、娼館の用心棒や管理売春をやっていたものの、みかじめ料に見合った見回り警備をするなど、不正なやり方はしないようになっていった。
アウクトブルグの町の庶民は、当初、この様子を不審に思ったが、これがしばらく続き、翻意する様子がないと見ると、次第に彼らを信頼するようになってきていた。
最初は戸惑っていた団員たちも、弱いものを虐めるのではなく、助けるという行為に侠気のようなものを感じ始めていた。
この意味では、血の兄弟団の構成員は、本来の意味での任侠の徒に変わりつつあるのかもしれなかった。
ジェラルドは、今日も自分が担当する地域を巡回し、変事がないか確認していた。
そして、夕刻……。
「ジェラルドさーん」
と呼びかけながら、近所のパン屋の娘が小走りでこちらに向かってくる。
「何の用だ?」
娘は、ジェラルドのぶっきらぼうなもの言いに、少しばかりたじろいだが、気を取り直して用件を伝える。彼女は、彼が根っからの悪人ではないと思い始めていた。
「お父さんが、いつも守ってくれているお礼に、このパンをジェラルドの大将のところへ持っていけって。売れ残りで悪いんだけど……」
「そうか。それならありがたく受け取っておくぜ」
ジェラルドが、パンの入った包を受け取ると、娘は「じゃあ。今日中に食べてくださいね」と言って、娘はジェラルドに手を振りながら去って行った。
ジェラルドは、その様子を、照れ臭い思いで眺めていた。
(みかじめ料をもらっているから、重ねてお礼をもらう必要はねえんだが……)
とはいえ、お礼をされて、いやな気持ちはしない。
そこに、弟分で、やせぎすの男・テオバルトと、太っちょの男・フレーデガルが合流してきた。
テオバルトが、ジェラルドの手にしている包に気付いて言った。
「兄貴。その包は?」
「ああ。パン屋の娘が巡回警備のお礼だといって置いていった」
「そりゃあ、たいしたもんだ。兄貴の人徳ってもんじゃねえですか」
「バカなことを言うな。それより、これはおまえらで食えよ」
そう言うと、ジェラルドは、パンの入った包をテオバルトに無造作に渡した。
テオバルトは、仕方なく包を受け取ったが、戸惑いながら言う。
「これは兄貴がお礼にもらったもんじゃあ? せめて1個くらい食ってやったらどうです?」
「俺は、これから行くところがあるからな……」
ジェラルドの言い方は、素っ気なかったが、実は照れていることが透けて見える。
テオバルトは、皮肉交じりの視線でジェラルドを見ながら、冷やかした。
「また、例のヤスミーネのところですかい? 兄貴も好きですなあ」
「三毛猫亭はルードの兄貴が懇意にしている店だから、弟分として面倒を見てやっているだけだからな。変な誤解をするもんじゃねえ」
とジェラルドは、ぶっきらぼうに言うが、真意を隠しきれていない。
「へいへい。わかりましたよ。じゃあ、このパンは俺たちでありがたくいただきますんで、兄貴の方はお務め頑張ってくだせえ」
「……………………」
ジェラルドは、言葉を返さなかった。
これ以上冷やかされても困ると思ったからだ。
◆
ヤスミーネの料理の味が改善したことで、三毛猫亭には、徐々に客足が戻ってきていた。
しかし、姉妹の尻を触ったり、時には酔って抱きついたりといった不埒な行為を目的とした質の悪い客が相変わらず出入りしており、店の雰囲気を台無しにしていた。
彼女たちは、これに悩みながらも、客足を減らしたくない思いで、相変わらず耐えていた。
一方で、ジェラルドは、ヤスミーネ姉妹が借金を完済した後も、度々、三毛猫亭を訪れていた。
彼は、気づいてしまったのだ。
謝金返済を強引に迫るため、頻繁に三毛猫亭を訪れ、ヤスミーネに対して、乱暴な態度をとっていたのも、ヤスミーネを憎からず思っていたことの裏返しであったことを……。
“好きだ”という自分の本心を隠したい、バレたくないという思いから、乱暴な態度をとってしまう。
ジェラルドが恋愛経験に乏しい、不器用な男であることの、何よりの証拠だった。
そして、ジェラルドは、自ら望んで三毛猫亭を含む地域の巡回警備を担当し、”ルードの兄貴が懇意にしている店だから、弟分として面倒を見てやっている”という口実のもとに、足繁く通うことになっていた。
ジェラルドが強引に主張した結果、現在、三毛猫亭には、次のような文面をデカデカとした字で書いた張り紙が掲示されている。
【従業員に不埒な行いを働いたお客様には、罰金300ターラーを申し受け〼】
不埒な客たちは、当初、これを小娘の浅知恵によるハッタリだと解釈し、ヘルミーネの尻を触ったりしようとした。
が、そのような者たちは、ジェラルドに痛い目に合わされ、本当に罰金をふんだくられた。
この噂が広まり、不埒な客たちがほとんど来なくなるまでは良かった。
だが、今度はいかにもならずものと見えるジェラルドを恐れて、堅気の客たちの足が遠のく結果となってしまった。
ヤスミーネ・ヘルミーネの姉妹は、三毛猫亭をファミレスのように、堅気の中流層の家族が気軽に利用できるような店を志向していた。
ジェラルドには、感謝する一方、彼の存在が自分たちの志向を邪魔しているというジレンマに陥り、姉妹は悩んだ。
ルードヴィヒは、主として、昼食の時間帯に三毛猫亭を利用していたので、夜の時間帯にジェラルドが頻繁に来ているとは知らなかったし、例の張り紙も、ハッタリだと思っていた。
ある日……。
ヘルミーネが、気の緩みから、ジェラルドに対する不満を示唆するような言葉を、ルードヴィヒの前で口走ってしまった。
すると……。
「そらぁ、困ったことだのぅ……」
普段は鈍いルードヴィヒであるが、このときばかりは、ジェラルドの気持ちを察することができてしまった。
(”もう来るな”っちうのは簡単だども、そらぁ、ちっとばかしみじょげらだし……)
「そんだば、ジェラルドには、客に見えねぇように、厨房を手伝ってもらったらええんでねぇけぇ」
「でも、ジェラルドさんも、いちおうお客さんとして来てもらっている訳だし……」
「んにゃ、奴は断らねえと思うぜ」
「そうですかぁ……でも、そうしたら、またエッチなお客さんとかが戻って来てしまうんじゃあ……」
「それも、ジェラルドが厨房にいることが広まれば大丈夫でねぇけぇ」
「そうかもしれませんが、いつのことになるやら……」
ルードヴィヒは、いいアイデアだと思ったのだが、確かに時間はかかりそうだ。
それまで我慢しろというのも、姉妹にとって酷な感じもするし、なによりヤスミーネに対し不埒を働く客が少しでもいることをジェラルドが許さないような気がする。
「そんだば、強面でねぇ女のウェイトレスで、不埒な客を追っ払える奴がいりゃあええんでねえけぇ」
「それはそうですけど、そんな都合のいい人って、そうそういないんじゃあ?」
「ちっとばかし、あてはあるっちゃ。任せとけや」
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