第79話 新宅の御庭番(1)
"情報戦"は、味方の情報を防護し、かつ、敵のそれを攻撃・攪乱・妨害する敵味方相互の情報活動をいう。
地球の歴史において、それが系統だって本格的に行われるのは、近世以降であるが、この世界でも、似たような諜報活動は行われている。
一歩先んじているのが、フラント王国であり、同国には、Secret du Roi(王の秘密機関)という秘密外交や情報収集を行う機関が置かれていた。
帝国においても、これに倣った機関が置かれ、現在は大公直属機関として、Der Geheimdienst des Großherzog(大公の秘密機関)と名乗っている。
公的なものとは別に、鷹の爪傭兵団などの規模の大きな傭兵団も独自の諜報員を擁している。
正確な軍事情勢とその背景となる政治情勢の把握は、戦争の行末を見据えるうえで不可欠であり、傭兵団にとっても死活問題であるからだ。
これらにおける、諜報員には、一般の情報収集要員のほか、敵のふところに潜入して情報を得るネズミや暗殺を手掛ける暗殺者もいた。
この世界の国々では、近代的な政治・行政機構は未熟であり、国の運営は君主や有力諸侯のカリスマによるところが大きい。このため、君主等の暗殺というのも、ときとして敵国に劇的なダメージを与えることができる。
また、商人も自らの商売の経営政策を決定するうえで、様々な情報が不可欠であり、これはこれで独自の情報網をもっていた。
商人については、従来は、各地を遍歴して商品を売買する”遍歴商人”が主流であった。固定店舗による営業が始まったのは、ここ100年ほどのことであり、共通の利益を確保するため同盟を形成してきているが、まだまだ遍歴商人の数も多い。
現代の地球でも、アメリカの中央情報局(Central Intelligence Agency,CIA)などの情報機関が得る情報ソースの大半は、公開された情報だといわれている。その意味では、遍歴商人が方々から集めてくる情報もバカにはならない。
人々の噂話なども含め、一般に流通している情報を丹念に集め、これを分析するだけでも、ターゲットの活動というものは、相当程度把握できるということである。
あの魔女のサバトのごとき痴戯の図と化したパーティーが終わった翌日のこと……。
カタリーナは、ルードヴィヒの部屋を訪れていた。
フェルセン婆さんは別として、彼女は、ローゼンクランツ新宅で働く女性たちの中で一番年上であり、また姐御肌でもあったので、家政婦長を任されていた。
建前上は、中・下級の女性使用人を管理・統括する権限を持っている。
「旦那様。あんなに庭師ばっかり増やしてどうするのさ。屋敷のメイドは増やさないのかい?」
「まあ……庭師の仕事は季節によって変わるすけ、暇なときは、屋敷の仕事を手伝ってもらうっちうことでどうでぇ?」
「それにしても、この屋敷は無駄に広いからねえ。手が回らなくて埃を被ってる部屋もあるんだよ」
「別に、使ってねぇ部屋なら埃くらいええでねぇけぇ」
「それが、そうもいかないんだよ。放っておいたら、執事見習い様が全部やっちまうからね。このまま負担をかけ続けたら体を壊しちまうよ」
「いやぁ、ルディならちゃんと加減してやっとると思うども……」
「そんな訳ないだろう。あの働き方は異常だよ」
「そうかぃのぅ……そんだば、とりあえず掃除の助っ人を呼べばええがぁな?」
「そんな簡単に言うけど、大丈夫なのかい?」
「まあ、ちっとばかし、あてはあるっちゃ」
ルードヴィヒは、そう言うと、おもむろに部屋の床に五芒星を二つ描き、それぞれを円で囲んだ。
召喚陣が光を発し、二体の家事妖精が姿を現わす。
カタリーナは、初めて見る召喚術に、目を丸くして驚いている。
召喚したのは、ブラウニーとシルキーだ。
ブラウニーは、身長は1メートル弱で、茶色のボロをまとい、髪や髭は伸ばし放題の中年男性である。
シルキーは、その名のとおり純白のシルクのドレスを着ている美少女だ。
「この二人は?」
「そっちのちっこいおっさんの方はブラヒム、そっちのお姉ちゃんはシルヴィだっちゃ」
カタリーナが不審そうに二人を見ている間に、声をかける。
「おめぇたち、この屋敷が気に入ったんなら家事を手伝ってもええども、どうでぇ?」
二人とも屋敷の気配を探っていたが、まずはブラヒムが答えた。
「ちょっと綺麗すぎる気もしないでもないが、少し様子を見させてもらいますぜ。主様」
「そんだば、好きにしてくれや」
続いて、シルヴィが答える。
「私は、いいお屋敷だとは思うけど……」
「ああ、その心配けぇ。そんだば、あの木の枝がちょうどええんでねえけぇ」と言うと、ルードヴィヒは、窓の外の木の枝を指差した。
その枝は、ちょうど人が座れるほどの太さで水平に伸びており、道に面したところにある
「まあ素敵! これは最高だわ」
「んなら、シルヴィも好きにしてくれや」
実は、シルキーは、仕事が終わった後に、お気に入りの木の枝に座って、道行く人々を眺めるのが趣味なのだった。その場所は、シルキーチェアと呼ばれる。
そして、二人とも早速に仕事を求めて部屋を勝手に出ていってしまった。
それを唖然として見ていたカタリーナは訪ねた。
「あんな適当な扱いで大丈夫なのかい?」
「そらぁのぅ……」
ルードヴィヒは、二人についてカタリーナに説明した。
二人とも、人ではなく、家を気に入って住み着く妖精で、家事の手伝いは本人たちが好きでやっていることだ。このため、目立つ形で報酬を与えてしまうと臍を曲げて出ていってしまう。
食べ物も露骨に与えるのではなく、見つけにくい場所にひっそりと置いておき、本人たちに見つけさせるのがよいとされている。
特にブラウニーの場合は、彼が来ているボロは見苦しいものではあるが、衣服を与えることはタブーとされている。
そして、屋敷が綺麗すぎると、やはり臍を曲げて、物をちらかしたりする。
「へえー。なんだか難しいもんなんだねえ」
「そうでもねぇさ。要は、少しの食べ物ぐれぇをちっと与えとけば、後はいねえものとして扱えばええっちうことでぇ」
「しかし、ブラヒムなんかが、お客様の目に触れたら、屋敷の品位を落としはしないかい?」
「いやぁ、奴らは人が見てるとこでは活動しねぇすけ、あちこたねぇろぅ」
こうして、屋敷の密かなヘルプ要員として、ブラヒムとシルヴィが加わった。
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