第78話 痴戯の図(2)
「お兄ちゃん。やめてっ! 旦那様に酷いことを言わないで」
そこへ、気丈にもゲルダが割って入る。
「おまえ……まさか兄よりも、こいつに味方するというのか?」
「やめてよ。そんな言い方しないで。私は二人とも大好きなんだから」
「こいつが……大好き……だと」
ライヒアルトとて、普段の妹の態度から、そのことは重々承知しているつもりだったが、改めて明確に言葉に出して言われると、それは心にグサリと突き刺さった。
ライヒアルトは、ルードヴィヒに向き直ると、ドスの効いた声で言った。
「おまえ……こうなった以上、ちゃんと責任は取るんだろうなあ」
「責任って……おらぁそんなこたぁ何も……」
「なんだと! 俺がやめろって言うのに、気を失ったゲルダにキスしたり、服をひん剝いて、胸を触ったりしてたじゃねえか!」
「いやいや……あれは蘇生法っちぅやつで、ふしだらな気持ちは微塵も……」
そこで、二人はゲルダのただならぬ気配に気づいた。
ゲルダは、両手で口を押え、酷く狼狽した顔をしている。
それもそのはずで、気を失っていたゲルダは、自分がされた事実を初めて聞かされのだった。
「二人とも……不潔よ……」
と言うなり、ゲルダは部屋を飛び出していった。
ルードヴィヒとライヒアルトは、顔を見合わせる。
この場合、どちらが追いかけてフォローするのが正解か?
「おまえが……責任取れよ」とライヒアルトが先に口を開いた。
ルードヴィヒは、失言したのはライヒアルトの方ではないかと一瞬不満にも思ったが、ここで議論をしている場合ではないと思い直した。
「わかった。おらが行くっちゃ」
ルードヴィヒが探知魔法で探るとゲルダは庭のかなり奥の小川のほとりにいるようだ。
だが、庭に出てみると真っ暗で何も見えない。運悪く今日は新月の日で月明かりが全くなかった。
(こっけん暗ぇ中で、よくあそこまで行けたもんだのぅ……)
おそらくは、心が乱れるあまり、無我夢中で走っていったのだろう。今は、真っ暗闇の中で一人心細い思いをしているに違いない。
一歩を踏み出す前に、魔法で灯りをともそうとしたとき、不意にルードヴィヒの周りが明るくなった。
「お困りのようですね。主様……」
ふと見ると、美少女の精霊が暗闇に溶け込むように佇んでいた。冥精霊・ランパスのファケルである。
彼女は、冥界の女神ヘカティアの眷属であり、冥界において松明を掲げて照らしてくれるありがたい存在の精霊である。
「おぅ。ファケルけぇ。久しぶりだのぅ」
「寂しさのあまり、我慢ができなくて来てしまいました」
「ヘカティア様にぁ話は通っているんけぇ?」
「それは、もちろん」
「そんだば、早速で悪ぃが、おらぁこれから女の娘を迎えに行くがぁども、暫くは空気に徹してくれねぇかのぅ」
「ええっ! せっかく久しぶりに会えたのに……」
ルードヴィヒは、ファケルを優しくハグすると、耳元で囁いた。
「埋め合わせは、後で好きなだけするすけ」
「もう……ズルいんだからぁ……そんなことを甘く囁かれたら、断れないじゃないですかぁ……」
ルードヴィヒは、ファケルの灯りを頼りに、ゲルダのもとへ急ぐ。
「クスン、クスン……」
ゲルダは、小川のほとりでむせび泣いていた。
ルードヴィヒは、驚かさないように、そっと声をかける。
「黙ってて悪ぃかったのぅ」
「……もう……今更です……でも、私のファーストキスの相手って、旦那様だったんですね」
「いやぁ……あらぁおめぇが心肺停止状態で、応急処置のためにやったがぁだすけ、ノーカンでねぇかのぅ……」
「ええっ……そんなぁ……」
ルードヴィヒとしては、気を使って言ったつもりだったが、ゲルダはショックのようだ。むしろ肯定してもらいたかったと見える。
ちょっと露骨だが、フォローしてみる。
「……と言いてえところだが、キスした事実は消せねえからのぅ」
「そう……ですよね……私、泣いている間に考えたんですけど、ファーストキスの相手が旦那様で良かったと思っています」
「そうけぇ……」
(くぅーっ。何かもっと気の利いた答えができねぇたぁ……我ながら野暮なこったのぅ……)
「でも、胸も見られて、触られていたなんで、ちょっとショックです」
「そらぁ、済まんかった」
「いえ。いいんです。だって、そうしなければ、私は死んでいたんでしょう?」
「まあ……そらぁ、そうだども」
「なんだか急に大人になった気がして……なんだか変な感じです」
それこそノーカンだと言いたかったが、同じ轍を踏みそうなのでやめておく。
「まあ……大人っちぅても、ほんの第一歩に過ぎねぇがのぅ……」
ゲルダは、何かを想像したらしく、真っ赤になってしまった。
「でも、わかっているんです。私なんか、相手にしてもらえないって……肌も浅黒いし、闇属性は禁忌だし……」
「わかってねぇのぅ……その浅黒い肌も、健康的で魅力的ながんに……」
エウロパ地方の人々は色素の薄い者が多いため、黒髪の女性がもてたりする。例えば、帝国の領邦であるブルグンド王国のアルル地方の女性、いわゆる"アルルの女"は黒髪でラテン系のエキゾチックな顔立ちをしているが、美女の代名詞だ。
実のところ、男は、女性が思っているほど、白い肌に執着はしていないものだ。
「ええっ! 本当ですか? 実は私に気を使ってくれているのでは?」
「すっけんことで、てっぽこいても、しゃあねぇろぅ」
「そう……なんですね……ありがとうございます……」
というなり、ゲルダは、黙りこくってしまった。
何か思いつめているようにも見える。
(やっべえ。何か口説いてるみてぇな雰囲気になっちまった……)
が、そこでルードヴィヒの後ろから、静かだがよく通る声が聞こえた。
ライヒアルトがファケルの灯りを目印にここまで来ていたのだ。
「おい、おまえ。兄の目の前で可愛い妹を口説くとは、いい度胸だな」
「あっ! お兄ちゃん……」
ゲルダは、むしろ気まずそうな顔をしている。
「いやぁ……こらぁ、おめぇの妹が落ち込んでたすけ、元気づけていただけで……」
「放っておいたら、いかがわしいことをするつもりじゃなかったのか?」
「いやぁ……おらぁ、そんな気持ちでは……」
そこにゲルダが割って入る。
「お兄ちゃん! せっかく、いいところだったのにぃ!」
「いいところって……おまえ……」
「もう、お兄ちゃんなんて、知らない。さあ、行きましょう。旦那様」と言うと、ゲルダは、ルードヴィヒの手を取り、屋敷へと戻り始めた。
ルードヴィヒもその迫力に圧倒されて、手をつないだまま歩いていく。
ライヒアルトは、仲良く手をつないでいる二人を恨みがましい目で見ながら、その後をトボトボと付いていった。
屋敷へと戻ると、ファケルも踊りに加わり、ますますの盛り上がりを見せた。
パーティーは、そのまま深夜まで及び、まるで魔女のサバトのような様相を呈した。
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