第74話 魔女の塔(1)
錬金術師たちが手掛けた分野の一つに人造人間がある。
ユダヤのラビ(律法学者)たちは、断食や祈祷などの神聖な儀式を行った後、土をこねて自我を持って動く泥人形である"ゴーレム"を創り出した。
帝国在住の高名な神学者で錬金術師のアルベルトゥス・マグヌスについては、彼が作った人語を話す機械人形の少女を見たという証言がある。
彼については、人間に近い"ホムンクルス"を創り出しているとまことしやかな噂もあるが、信憑性は定かではない。
実際に"ホムンクルス"を創り出したと巷間において見立てられているのは、パラケルススである。
パラケルススの特徴は錬金術と鉱物学を医学に応用したことだ。これは大げさに言えば現代の化学療法の先駆けとも言える。
パラケルススによるホムンクルスの作り方は、大ざっぱにいうと、人間の精液を40日間蒸留器に入れ、腐敗させてホムンクルスの種を作り、これを馬の体温と同じ温度で温めながら人間の血で40週間育てるというものだった。
完成したホムンクルスは人間の子供と同じ姿をしているが、生まれた時から知識を持っている。ただし、その姿からは成長はせず、蒸留器から出すと死んでしまう。
この意味では、パラケルススが創り出したホムンクルスは、人造人間としては不完全なものであった。
シオンの町を取り囲む城壁には、複数の要所に要塞を兼ねた監視塔が設けられていた。その中でも一際高くそびえる監視塔は、町の人々から"魔女の塔"と呼び慣らわされていた。
この監視塔には、マリアとマリア・テレーゼ母子の魔術・錬金術の研究施設があったからである。
魔女の塔からは、原因不明な異臭がしたり、真夜中に正体不明の奇怪な叫び声が聞こえたりといったことがあったので、シオンの町の人々は、よほどの必要に迫られない限り、魔女の塔には近づかないし、また、近づいたとしても塔自体は厳重な警備が敷かれている。
マリアとマリア・テレーゼは、母子二代にわたる艱難辛苦の末、今まさに完全なホムンクルスを創り出しつつあった。
特にマリアにとって、ホムンクルスの創造は悲願であった。
マリアは、地球からの転生者であった。
彼女は、転生前は極めて学業成績優秀な日本人であったが、日本の大学は、特に女性にとってはベストな研究環境を提供できているとは言い難い。このため、英国のK大学に進学すると、そのまま大学院に進み、助教授の職を得ていた。
専門は有機化学と生物学で、特に生命の発生及び進化過程について夢中になって研究に打ち込んでいた。
生命の進化論については、頑なにこれを否定するカトリック信者なども存在するし、その政治力は決して小さいものではないが、実際のところは、ほぼ通説といってもよいだろう。実際のところ、生物・化石から生物の進化過程を辿った系統樹も書くことができる。
進化論といえば、ダーウィンに始まる環境適応説が有名であるが、環境に適応して生物の亜種的なものが発生する事例までは確認できるものの、これには限界があった。
環境適応説が正しいとすれば、キリンの首は適応過程に応じ徐々に長く伸びていくはずである。しかし、発掘された化石はキリンの首はある時期に突然に長くなっていることを示している。
学者たちは、これは祖先群と子孫群の間にいるであろう進化の中間期にあたる生物・化石が見つかっていないものであると考え、その状態のことを"ミッシングリンク"と呼んだ。
ところが、ミッシングリンクは、特定の生物に偶然に見られる性質のものではなく、普遍的に見られる現象である。これは学者たちの頭を悩ませた。
そして、ついには"サムシンググレート仮説"というオカルトじみた説まで登場する。"サムシンググレート"が神であるかはさておき、何らかの知的存在が、意図的に生物を進化させたというのである。
多くの科学者はこれを一笑に付したが、開き直ってみれば、生物・化石が示す生物の系統樹は、それが正しいことを見事なまでに示しているという厳然たる事実があった。
転生前のマリアは、"サムシンググレート仮説"には否定的な見地から研究に励んでいた。
そして、太平洋の島嶼で見られる原始的な宗教において、神秘的な力の源とされる"マナ"が関わっているのではないかという仮説に至った。
"マナ"は、人や物などに働いて特別な力を与えるものであるが、物質的な存在ではなく要素とでも呼ぶしかないしろものだ。
ところが、彼女は、研究が佳境に入ったところで、不慮の事故に逢い、命を失った。
実験中に謎の爆発事故があり、それに巻き込まれてしまったのだ。爆発の威力は凄まじく、その遺体は欠片も残っていなかった。
あるいは、爆発の衝撃で生じた時空の裂け目から魂ごと異世界へ飛ばされたのかもしれないが、今となっては検証のしようもない。
この世界に転生したマリアは、前世の記憶をそっくり保持していたが、当初、この世界の科学的水準の低さに失望していた。
しかし、転生者特典とでもいうのであろうか、彼女は、生まれつき魔術や錬金術について、飛び抜けた才能を持っていた。
この世界では学問が未発達であり、現代の科学に相当する学問はまだない。これに替わって、錬金術がその役割を果たしていた。
錬金術は、究極的には、卑金属から金を生成することを目標にしていたが、これに関わる様々な試行錯誤がなされる中で、物理・化学的な発見もなされていた。
前世において化学者であったマリアは、自然の流れで、錬金術の研究に、この世界で生きる意味を見出すようになった。
彼女が研究したところでは、前世で学んだ科学的法則は、この世界でもそのまま通用することがわかってきた。その観点から錬金術についてみてみると、全くの迷信や誤解に基づく部分も多々あったが、一方で、前世ではオカルトと思い込んでいた魔術的現象も、この世界では厳然として存在するという事実が、彼女の興味を大いに刺激した。
その原因は、どうやらマナの密度が、この世界においては前世の地球よりも著しく大きいことにあるようだった。
これは、この恒星系が、恒星が密集している銀河の腕の部分に位置していることと関係しているらしい。ちなみに、現在の地球は銀河の腕から外れた場所に位置している。
マリアは、アーメント騎士爵家という貧乏貴族の家に生まれたが、苦労の末、魔術学校を歴代最高の成績で修了し、更に高難度の試験をクリアして"魔導士"の称号を得た。
そして、その能力が評価され、アイゲンラウヒ男爵家から請われて、同家の長男のデュオニュースと結婚した。
アイゲンラウヒ男爵家は、代々高名な錬金術師を輩出してきた家柄であり、デュオニュースも優秀な錬金術師であった。
この結婚は恋愛の末の結婚ではなかったが、結果として、二人の仲は睦まじく、直ぐに長女のマリア・テレーゼが生まれた。
夫とともに錬金術や魔術の研究に打ち込むうちに、マリアの業績は評判を呼び、その高度かつ万能な能力を評して、彼女は"大賢者"と呼ばれるようになっていた。
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