第59話 違約金(1)
カタリーナの説明によると、こういうことだった。
黒猫亭で働く娼婦は30歳までの年季契約を結んでいる。この契約を途中解除するには、違約金の支払いが必要ということだった。
悪く言えば、娼婦は、女としての賞味期限切れまで、店にしゃぶり尽くされる運命にあるということだ。
ただ、これは黒猫亭が特別あくどいという訳ではなく、どの娼館でもやっていることだった。
デリアの場合は、まだ若いうえに売れっ子でもあったので、10万ターラー(1千万円)もの違約金が必要ということだ。
「ダリ兄さは、どうなんでぇ? 傭兵として荒稼ぎしとったんでねぇんけぇ?」
デリアは、いつにも増して神妙な面持ちで答えた。
「それが……ダリウスが溜めていた報奨金は、少し前に念願のオリハルコン製の愛剣の購入に使ってしまったみたいで……」
「オリハルコンけぇ……あらぁ高ぇからのぅ……それに剣は傭兵にとっちゃぁ命を守る大事な道具だすけ、一概にぁ無駄遣いとも言えねぇし……」
「ええ……そうなんです……」
「そらぁタイミングが悪かったとしか言えねえのぅ……だが、貯金を使い果たしたっちぅことでもあんめぇ?」
「貯金はあることはあるのですが、私の手持ちのお金を足しても半分にも届かなくて……それに傭兵のお仕事は収入が不安定なので全額を使ってしまう訳にもいかないし……」
(すっけなこと言っとったら、払えるまでに、いったい何年かかるっちぅんでぇ!)
「しゃあねえのぅ。そんだば、おらが払ってやるっちゃ」
だが、カタリーナが釘を刺した。
「ルー坊。そうもいかないだろう。それじゃあ、あんたがデリアを身請けしたことになっちまう」
「んーーん? そんだば、二人にその分の金を貸したことにすればええろぅ」
「でも……いつになったら返せるか見当もつかないのに……」
デリアは、申し訳が立たないといった顔で恐縮している。
「すっけなもの、形だけだすけ、返せるときに返せるだけで構わねぇ。それに、おらは高利貸しでも何でもねぇすけ、祝儀代わりに利子はとらねぇことにするっちゃ」
「祝儀……ですか?」
「おめぇさんたちの結婚の祝儀に決まっとるろぅ。他に何があるっちうんでぇ」
「えっ! け、け、け、結婚って……」
デリアの慌てた顔が可愛い。
まだ遠い先と諦めていたものが、急に現実感を増したのだから、心の準備が全くできていなかったようだ。
そこでカタリーナがルードヴィヒをおちゃらかす。
「さっすが準男爵様は格が違うねえ。憎いよ。この色男っ!」
そして、両の拳でルードヴィヒのこめかみをグリグリする。
「痛ってぇ! 痛ってぇすけ、やめれ。タリナ姐さ!」
と言いながら、ルードヴィヒは、ジタバタしている。
それを見たデリアは、幸せそうにクスクスと微笑んでいる。
カタリーナは、突然その手を止めると、しおらしい面持ちでルードヴィヒを見つめた。
何事かとルードヴィヒは、警戒する。
「じゃあさあ……準男爵様ぁ……」
カタリーナは、神に祈るかのように、胸の前で手を組むと、精いっぱい可愛らしい声で懇願する。
「あたしのことも身請けしてくれないかい……ねぇ……お・ね・が・いっ♡」
「ぷっ! ガハハハッ。似合わなねぇぇっ!」
とルードヴィヒは、可笑しさのあまり吹き出してしまった。
カタリーナは、目くじらを立てて反論する。
「あたしの本気を笑い飛ばしやがって……こんなに可憐で可愛い女は他にいないんだぞ!」
ルードヴィヒは、笑いを必死に堪えながら言った。
「姐さは、いつもどおり偉ぶって命令すれば、それでええがんに……」
カタリーナは、身請けの話は、もともと半ば冗談で言ったつもりだった。
笑ってかわされたことも、本当は怒ってはいない。客との戯れとして演技しただけだ。
それだけに、ルードヴィヒの言葉を理解しかねたが、カタリーナは、いちおう期待半分で言ってみることにする。
「わかったよ……じゃあ……あたしのことも身請けしろや! ルー坊!」
お読みいただきありがとうございます。
気に入っていただけましたら、ブックマークと評価・感想をお願いします!
皆様からの応援が執筆の励みになります!





