第56話 小さな幸せ(2)
「え……っと……おぅ。ここけぇ。黒猫亭」
ルードヴィヒは、翌日、早速黒猫亭を訪れた。
扉を開けると「いらっしゃいませー」と女の娘たちが元気な声で迎えてくれた。
「おらっ? おめぇさんは……」
「あっ! 昨日の……」
目の前にデリアがいた。
ルードヴィヒとデリアは、思わず見つめ合ってしまう。
「おう。ルー坊。来てくれたんだね!」
カタリーナがルードヴィヒに気づき、嬉しそうな声をあげた。
だが、見つめ合っている二人に気づくと、不思議そうに尋ねる。
「あんたたち、知り合いだったのかい?」
「実は……昨日、ならず者たちに絡まれていたところを助けていただいたんです」
「へえー。ルー坊も粋なことをするじゃないか」
「別に……おらぁ、ああいう輩が嫌ぇなだけだすけ……」
「またぁ。カッコつけちゃって。このぅ。憎いねぇ」
「んにゃ……おらは別に……」
「あのう……立ってないで、座ってお話しませんか?」
デリアが申し訳なさそうに言った。
「それもそうだね。さあ。ルー坊。ここに座りな」
ルードヴィヒが席に座ると、両脇にカタリーナとデリアが座る。
両手に花状態となり、ルードヴィヒは少し照れてしまった。
そして、ルードヴィヒは、そもそもあまり口が達者な方ではない。
自ずと会話の主導権は、カタリーナが握った。
カタリーナは、巧みな話術でルードヴィヒの近況を聞き出していく。
デリアは、程よく相槌を打ちながらも、ルードヴィヒの銀髪が気になっていた。帝国には、銀髪の人間は多くない。デリアは、いやでもダリウスのことを思い出さずにはいられなかった。
「へえー。凄いじゃないか! ルー坊が準男爵様なんて。ちょっと見ない間に見違えちゃったよ」
「そらぁ"男子、三日会わざれば刮目して見よ"っちぅもんだっちゃ」
「何だい、それは?」
「婆さの受け売りんがぁてぇ」
「ふ~ん。ルー坊の婆ちゃんも難しいことを言うねえ」
「そらぁ昔っからそうでぇ」
「だから、あんたも理屈っぽいのかい?」
「ええっ! そうかいのぅ……」
会話が途切れたところで、デリアは、すかさずルードヴィヒに追加のエールを渡す。
「今日のお代は私が持ちますから、どんどん飲んでください」
そこで、カタリーナが茶々を入れる。
「いいのかい? ルー坊はザルだよ。破産しても、あたしは知らないからね」
「ええっ! そんなに……」
「あちこたねぇてぇ。ちゃんと加減して飲むすけ」
……とルードヴィヒは言う。ザルということ自体は否定しないようだ。
しばらくして、会話が落ち着いたところで、カタリーナが露骨に言った。
「さあ。ルー坊。そろそろどうだい。本当の目当ては酒じゃないんだろう?」
「お、おぅ……まあ……そらぁそうだども……」
「あのう……カタリーナ姐さん。今日のところは私が……」
「ああそうか。昨日のお礼がしたいんだね。だったら、今日のところはあんたに譲るよ。ルー坊もそれでいいだろう?」
「おらは、それで構わねぇよ」
そして、二人は2階の部屋へと消えていった。
春を売る仕事を終え、デリアは、未だかつて経験したことのない満足感に包まれていた。
突き詰めれば、この店の客たちも、デリアたち娼婦のことを人として尊重して見てはいない。娼婦の気持ちなど無視して、自分の剝き出しの欲望を勝手に押し付け、勝手に果てては、振り向きもせず去っていく。
そういう意味では、性処理の道具扱いされている公衆浴場の娼婦たちと状況はさほど変わらず、五十歩百歩だった。
だが、ルードヴィヒは違っていた。
初対面の自分の様子に気を配り、優しく思い遣りながら、丁寧に扱ってくれた。
(こういうのって……恋人同士みたい……)
思わずそう思ってしまった。
そして、悪いと思いつつも、仕事の最中に、銀髪のルードヴィヒにダリウスの姿を重ねずにはいられなかった。
(こんな失礼なこと……私って……娼婦として……そして人としても失格ね……)
そう思うと、自己嫌悪で涙がポロポロと流れて来た。
「クスン……クスン……」
「おいおい。なじょしたがぁでぇ? おら何か悪ぃことしたろか?」
突然のことにルードヴィヒは当惑している。
「ごめんなさい。あなたは悪くないんです……」
「そんだば、なじょして……」
だが、ルードヴィヒは、デリアの様子を察して、それ以上問い詰めないことにした。
そして……デリアの肩を優しく抱きしめる。
デリアは、再びの安心感に包まれた。
「……また……来てくれますか?」
デリアは、やっとのことで、か細い声で懇願した。営業トークではなく、デリアの本音そのものだ。
「おめぇさんが……いやじゃねぇなら……」
この返事を聞いて、デリアは、娼婦としての不毛な生活の中に、小さな幸せを見出した。
もっとも、それはダリウスのまがい物で、そのことを本人に今さら言えた義理ではなかったが……。
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