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第55話 こうして、デリアは…(2)

 集中力を欠いていたデリアは、ふとすれ違った若い女性と肩がぶつかってしまった。

 その衝撃で、よろけてしまう。


「おっと。ごめんなさいね」

 ……とぶつかった女性は(あやま)ってきた。

 そのいかにも溌溂(はつらつ)とした声をデリアは(うらや)ましく思った。


「こちらこそ不注意でした。ごめんなさい」


 その覇気のない声を、女性は疑問に思ったようだ。


「なんだか元気がないようだけど、心配事でもあるのかい?」


 女性は20代前半くらいの年齢で、デリアには頼りがいのあるお姉さんのように映った。

 デリアは、勇気を出して自分の境遇を口にした。


「実は……お金がなくなりそうで……」


 女性はピンと来たようだ。


「身寄りはいないようだね」

「はい」


「お金がないということは、働き口もないということかい」

「ええ。いちおう探してはみているんですが……」


「なら、あたしが仕事を紹介してやってもいいんだけど……あんた、なかなか男好きのする可愛い顔をしてるしね……」

「えっと……どういうお仕事なんですか?」


「あんた。春を売るのは大丈夫かい?」

「えっ! それは……」


 長年性的虐待を受け続けて来た自分には、もはや守るべき貞操もない。それは考えないではなかったが……。


「ふっふっふっ……満更でもないといった顔をしてるじゃないか。あんた経験はあるんだろう?」


 デリアは口に出すのが恥ずかしく、コクリと無言で(うなず)いた。


「実は、あたしも店で春を売っているのさ。いい店だから見るだけ見ていかないかい?」


 改めて彼女の服装を見てみると、上着を羽織って隠してはいるものの、正面から見るとスカートは太ももを(あらわ)にした煽情的(せんじょうてき)な短さだし、上着の(えり)ぐりも胸元に大きく切れ込んでおり、胸の谷間がのぞいてしまっている。

 これなら大抵の男は悩殺されてしまうだろう。


 自分もあんな服装をするかと思うと、恥ずかしさで(ほほ)が熱くなった。


 そして、デリアは、公衆浴場で働く娼婦たちの姿を思い浮かべた。

 最後の手段としてあり得ない訳ではなかったので、コッソリと偵察していたのだ。


 はっきり言って、彼女たちは人間扱いされていなかった。

 あれではタダの性処理の道具だ。


 そう考えるとデリアの気持ちは重くなりかけた。

 だが、目の前の女性にそんな悲壮感はないし、彼女に言わせればいい店だという。


「み、見るだけなら……」


 デリアは、やっとの思いでか細くそう答える。


「よ~し。そうこなくっちゃぁ!」

 ……と言うなり、女性はデリアの肩を抱き、親しげにしてくる。


 デリアは、その勢いに圧倒された。


「あたし、カタリーナっていうんだ。カタリーナ(ねえ)さんって読んでくれると(うれ)しいな。あんた名前は?」

「デリアです」


「そうかぁ。いい名前だなぁ。デリア。あんた上玉だから、連れて行ったら女将(おかみ)さんが目ん玉引ん()いて驚くぜ」

「そ、そんなことは……」


 カタリーナは、デリアの肩を抱いたままどんどん歩いていく。


 そして店についてみると、そこは想像していたものとは違っていた。


 1階は豪華さを(にじ)ませた居酒屋のような店舗になっている。そして"黒猫亭"という名前の看板が目に入った。


 黒猫は魔女の使い魔と言われている。魔女たちは悪魔と乱交をしてその身を(けが)すというから、そういう淫靡(いんび)な想像を掻き立てようという名前なのだろう。


「おはようございます!」


 カタリーナは勢いよく店のドアを開けると、大きな声で挨拶(あいさつ)をした。


 不思議な顔をしたデリアにカタリーナは説明する。


「業界じゃぁ。時間に関係なくこう言うんだよ。あんたも覚えときな」

「はあ……」


 店の奥から、30代くらいの中年の女性が出てきた。

 歳の割には、かなりの美人だ。


「カタリーナ。この()はどうしたんだい?」

「いやぁ。店を見学したいっていうからさぁ。連れてきちゃった」


「ほう。それにしても、これは滅多にお目にかかれない、なかなかの上玉じゃないか。ぜひともうちで働いてもらいたいものだねえ」

「だろう。あたしもそう思ったんだよ」


「その様子だと、身請けという訳でもなさそうだね」

「ええ……ただ働かせてもらえればと……」


「わかった。別に強制はしないから、見学して気に入ったらうちのお店で働いておくれ」

「ありがとうございます」


「じゃあ、カタリーナ。店の案内やら、この()の面倒をみてやりな」

「あいよ」


 デリアは、カタリーナから店のシステムなどを聞き、実際に営業しているところを見学した。


 1階の居酒屋スペースでは、男性一人につき女性一人の酌婦が付き、お酌だけでなく話し相手になってくれるようだ。酌婦は皆がカタリーナと同じような煽情的な服装をしており、男性は話をしながらも、太ももや胸の谷間に視線を送っている。


 料金は、入店時にチャージ料が取られ、出される料理もボッタクリ価格だ。そして酌婦が飲み食いした代金も客が負担することになっている。


 簡単に割り切ると、可愛い女の娘といわば疑似恋愛を楽しむスペースだとデリアは理解した。


 中には、それだけで満足して帰っていく客もいるが、客と意気投合した酌婦は、2階以上の部屋へと消えていく。

 そこで春が売られているのだろう。


(確かに……公衆浴場の娼婦とは扱いに格段の違いがあるわね……)


 それに、1階の様子はとても活気に溢れている。

 男の客が酌婦の気を()こうと必死になるのはわかるが、酌婦の方も随分と楽しげに見える。


(仕事と言いつつ、半分くらいは自分も楽しんでいるのかな?)


 デリアは、自分もそんな境地に至れるのかと思うと、自信がなかった。


 閉店時間となり、カタリーナが声をかけてきた。


「よう。デリア。見学してみてどうだった? 店は気に入ったかい?」


 閉店を迎えたにもかかわらず、カタリーナは元気いっぱいだった。

 デリアが見たところ、2回ほど上の部屋に上がっていったというのに……。


「あのう……上の部屋では、どんなサービスを?」

「ああ……そこんとこ重要だよねぇ」


 カタリーナは、包み隠さずありのままを説明してくれた。


 客の嗜好(しこう)は千差万別であり、できる限りそれに即したサービスはするが、娼婦に暴力を振るったりといった営業に支障が出かねない行為はお断りしていいということだった。


「お断りするといっても、具体的にどうすれば?」

「うちには、そのために怖いお兄さんがいるからね」

「なるほど……そういうことですか……」


 その日は、空き部屋があるということで、デリアはお店に泊めてもらった。

 カタリーナもそれに付き合ってくれ、夜明け近くまでガールズトークに熱中した。


 デリアは、カタリーナのことが、次第に頼りがいのあるお姐さんのように思えてきた。


「ねえ。カタリーナ姐さん」

「ん?」


「姐さんがいてくれるなら、私、ここで働いてもいいわ」

「そうか……それは楽しみができた……」


 こうして、デリアは娼婦となった。

お読みいただきありがとうございます。


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