第54話 女男爵(2)
そして、待ち伏せをしていたとき……。
ダリウスの先を越す者がいた。
男は馬車の前をフラフラと歩いていたかと思うと、突然馬車の前に飛び出した。
馬車は急停車したが、間に合わず、男は体半分が馬車に激突し、そのまま道にバッタリと倒れ込む。
そして右の前腕を押さえながら「うんうん」と呻き、痛がっている様子だ。
そこに男の仲間と思われる連中が駆け寄ってきた。いかにもならず者といった顔をしている。
急停車した馬車の御者に対し、男たちの1人がどすの効いた声で苦情を言った。
「おいおい。どうしてくれるんでえ。腕の骨が折れちまったじゃねえか!」
御者は言い返す。
「そっちが勝手に飛び出してきたんだろう」
「何言ってやがる。自分の不注意を棚に上げやがって。お貴族様だと思って、責任をうやむやにするつもりか?」
「貴族だからといって、責任をとらないということはない」
「だったら責任をとるんだな?」
埒が明かないと思ったのが、馬車から侍女が降りて来て議論に加わるが、議論は混乱を極めた。
「わかった。そちらがそうくるなら考えがある。ヒーマン男爵家は人を轢いておいて慰謝料を踏み倒したと町中に言いふらしてやるからな」
これを聞いた侍女と御者は顔色を変えた。
ダリウスは、呆れた。まるで三文芝居を見ているようではないか。
奴らが当たり屋であることは、一連の動きを見ていたダリウスからしてみれば一見明白であった。
奴らは、当主が少女であり、強い態度には出てこないであろうことを見越して、あらかじめ待ち伏せていたに相違ない。
ダリウスは、自分がやろうとしていたことを棚に上げ、当たり屋たちにムカついた。
そして言い合いになっている現場に行って声をかけずにはいられなかった。
「おい。おまえら。何をしている?」
「何をって……俺の仲間が馬車に轢かれたから、慰謝料を払うようお願いしているところだ」
「そんな温いもんじゃない。おまえら当たり屋だろう」
「何言ってやがる。そんなケチをつけてまでお貴族様のご機嫌をとりたいのか」
「だったら、そいつの腕を見せてみろ。俺は光魔法が使えるから折れているなら治してやる」
と言うと、倒れている男の腕を掴み、強引に立ち上がらせる。
この期に及んでも、男は「イテテテテ」と言いながら演技をしている。
ダリウスは、男の腕を触診して確信した。腕などは折れていない。
「腕など折れていないではないか。腕が折れるとはこういうことを言うのだ」
と言うなり、ダリウスは、男の前腕部に手刀をかます。
男の前腕は見事に屈曲し、折れた骨が皮を破ってのぞいている。完全な複雑骨折だ。
骨を折られた男は、「ギャーッ」という悲鳴をあげ、脂汗をかいている。
「何しやがる!」
「おまえらが骨折という状態を知らない阿呆のようだったからな。教えてやっただけだ」
「おまえ。黒竜会を相手にこんなことしやがって、タダですむと思うなよ」
「何だ? お礼参りとかいうやつのことか? 俺はかまわないが死人が出ても責任はとれないぞ」
自信満々でそう言い放ったダリウスを見て、男たちはようやくダリウスの正体が気になったようだ。
「おまえ、いったい何者だ?」
「ああ。俺か? 俺は鷹の爪のダリウスだ。鷹の爪の銀狼といえば、通じると思うが……」
「何っ! 鷹の爪だと……」
黒竜会なるものが、どの程度の勢力を持つ団体かは知らないが、プロの傭兵団相手に喧嘩を売って勝てるはずはないことは明白だ。
「ちっ。覚えてやがれ!」
男たちは、いかにも小者な感じの台詞を残して去っていった。
ちなみに、当たり屋の男たちは、相手が鷹の爪の銀狼だと組織幹部に報告したら、こっぴどく痛罵された。さすがに幹部ともなると銀狼の名前は知っていたらしい。
状況が落ち着いたとみて、当主の少女が馬車を降りて来て、お礼を言った。
「どうもありがとうございます。助かりました」
「なに。当たり屋のゲス野郎にはいい薬だ」
「当たり屋……さん?」
侍女が少女にそっと耳打ちして意味を教える。
「なるほど。そうだったんですね」
ダリウスは呆れた。何と世間知らずのお嬢様なのか。
が、確かによく見ると、まだあどけなさが抜け切れていない少女だ。スレンダーな体型でウェストは驚くほど細く、強く抱きしめたら折れそうだった。
そのウェストはなぜか母の姿を想起させた。
(俺は、こんな無垢な少女を穢そうとしていたのか……危うくヒーマンの野郎と同じ罪を犯すところだった……)
ダリウスは、心の中で深く恥じ入った。
「あのう……ぜひお礼をさせていただきたいのですが、それは日を改めてということで……でも、お名前は覚えましたよ。鷹の爪の銀狼さんですよね」
「いや……それは……」
ダリウスは、無垢な少女に二つ名を覚えられてしまったことが、なんだか無性に恥ずかしくなった。
「私、ジェシカ・フォン・ヒーマンと言います。今度、鷹の爪にお邪魔させていただきますね」
そして、予告どおり、ジェシカは鷹の爪傭兵団のアウクトブルグ駐屯地にやってきた。
Berserkerartiger Silberwolf(狂乱の銀狼)を、まだ無垢な少女が訪ねてきたということで、その場違い感は半端なく、駐屯軍の傭兵たちは騒然となった。
だが、彼女は、駐屯軍の異常な様子に気付いているのか、いないのか、それからも何かと口実を設けては、ダリウスのところに通ってくる。
どうやらジェシカは、ダリウスに対し、淡い気持ちを抱いてしまったらしい。
ダリウスは、最近、知り合いとなったローレンツに皮肉を言われた。
「おまえ……あんな無垢な少女に手を出したのかよ」
「手など出していない」
「しかし、どうみてもあの娘はおまえに惚れてるぜ」
「いや。俺にというよりは、恋に恋しているといったところだろう。だから、気の済むまで好きにさせてやろうと思う。俺の方からは手を出さない」
「ちっ。相変わらず、可愛げのない野郎だぜ……」
そもそもダリウスは、デリア以外の女性と結ばれることを望んではいない。これは石よりも固い彼の意思であった。
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