第六話 湖畔での語らい
第六月までの滞在期間は、王妃殿や第一王女殿の茶会に呼ばれたり、リヒャードにゲルプ王国王室領を案内され視察に同行したり、王弟グリューンドルフ公爵邸の茶会に赴いたり。
公爵邸では、ガルボーイ王国より亡命してきた王女アンナと秘密裏に顔を合わせた。
彼女はまだ言葉もおぼつかない幼女であったが、その身にオーディン神とは別の、太古の神が祝福の灯火を宿すため、帝国の女系皇族として、存在を確認する必要があった。
大陸ではオーディン神を唯一神と定めているが、実のところ、オーディン神は唯一神ではない。
数多いる神々の主神であり、またガルボーイ王国王女アンナを祝福する神は、オーディン神とはその神族を異にする神である。
ガルボーイ王国王女アンナへ、近い未来において祝福を授ける神の、その神意を探るのは、帝国の女系皇族としての務め。
グリューンドルフ公はこちらが何も言わずとも、帝国の意向と、またオーディン神の意向、双方の目的を正確に把握しており、リヒャードとは分かれたところで、そっと呼び寄せてくれた。
帝国で受け取った、王弟グリューンドルフ公が、現ゲルプ王国国王より頭の切れる御仁であるという報告。なるほどと頷くものであった。
それから貴族院、庶民院の議長。国の認める知識人と思想家。それから我が帝国所有の教会が派遣する枢機卿。
ゲルプ王国の主軸となる顔ぶれ。
彼等と言葉を交わす席を設けてほしいと乞えば、すんなりと許可された。
これはわらわより先に帝国へ帰国する予定であった、帝国官僚が逗留期間中に叶えられた。
あとは婚約者リヒャードとの距離を近く寄せるためにと、夕餉は毎夕出来る限り共にし、許されるものにおいては、リヒャードの学びの場に同席をする。
これまでのところ、王国側は驚くほど情報の開示に協力的かつ積極的だった。
これらが誰の意図によるのか。
国王陛下ではないことはそもそもが確実であり、また王太子リヒャードの差配であることは、言わずとして知れた。
この日はリヒャードと共に、王都の外れにある小さな湖畔に訪れていた。
ひんやりと清々しい空気の中、一、二歩離れて歩く。リヒャードは湖へ、わらわは生い茂る草木に視線をやり、会話は特に続かなかったが気まずくもない。
後ろを互いの側仕えが控えて続いている。
「ときに、リヒャード」
時折、足をはやめすぎていないかと振り返り、ついてきていることを確認するリヒャード。そこで声をかけた。
リヒャードは一瞥をくれると、木の上に視線を移す。
声をかけながらもリヒャードへと顔を向けず、木の上を走り去った、すばしっこい何かの正体を見極めんと、わらわが頭上に目を凝らしていたからだ。
「なんだろうか」
なにかあるのかとリヒャードは額に手でひさしを作り、光と影の濃淡で彩られた木々を見上げている。
「第二王子殿の蝙蝠ぶりと、おぬしの引け目について、その関連性を問いたいのだが」
リヒャードは目を見開いてこちらに向き直った。
ざぁぁっと緑の上を風が走り、揺れる小さな花々に木々に茂る葉。水面のさざなみが光を反射して輝いている。青く香るのは、雨の前の湿った匂い。
足を止めたリヒャードは、目をつむると静かに息を吐き出した。
「なぜコーエンが蝙蝠だと」
「なぜとな。おぬしが気がつかぬはずもないと思うが」
こちらを見たと思えば、また目を伏せる。
リヒャードの濃い黄金色の髪に、木漏れ陽と影が落ち、風に揺れて形を変えていく。
「………人心掌握に長けているとは思う」
「人心掌握?」
「バチルダの指摘するのは、それではないのか」
戸惑うように問いかける、自信のなさげな様子に、どれほど劣等感を抱いているのか透けて見えた。
「顔色を伺うのは得意だろうと見ておるぞ」
どこか不満気にぴくりと片方の眉をあげるリヒャードに再び問いかける。
「だが、わらわが問いたいのは、おぬしが第二王子殿と競うたかと思えば、やけに弱腰になる理由についてじゃ。他の弟妹にはそのような素振りを見せぬが、さて。おぬしは何を考えている?」
リヒャードは今度こそまっすぐ目を合わせ、そらすことはなかった。
幾重にも重なり合う様々な鳥のさえずりに、飛び立つ羽の音。水面近く低空飛行した鳥の立てる水音に、虫の鳴き声。
「私は」
リヒャードが深く息を吸う。
「おのれが無能であるとは思わない」
「ああ。わらわもそう思うぞ?」
「だが――…」
そこでリヒャードはきつく寄せていた眉根をさらに寄せると、ふっと力を抜いた。
「私よりコーエンの能力が優っていることは、疑いの余地もない」
空に雲が流れ、リヒャードの頬に影がかかった。