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第十六話 傀儡の王の目




「だが私は、実のところ、そう信心深くなくてな」

 内緒話をするように、リヒャード殿下は声を低くした。

「神聖宗教国の属国王族が一人として、声高には言えんが」



 私が水を飲み干すのを見ると、彼もまた自身のカップに水を注ぎ飲んだ。そして神話の一場面を描いた、荒々しい戦いの宗教画へ視線を向けた。カップを持った手が、絵画を示した。



「おまえに『うまくやることはできぬ』と言った私が、矛盾することを言うようだが。神とて間違える。神とて死ぬ」

 絵の中で、オーディン神はグングニルを手に、今まさにフェンリルに飲み込まれんとしているところだった。

傀儡(かいらい)の王になるつもりはない」



 立ち上がったリヒャード殿下は、大陸の地図、そしてオーディン神の絵画の前に立った。

 彼の金の髪、それから胸に寄せたカップの縁と、彼の羽織る天鵞絨(ベルベット)のガウンは、燭台の明かりを浴びて光を弾いた。



「私は王になる。傀儡ではなく、私の意志で。誰に王位を譲るつもりもない。すべての責は、私が背負う」

 リヒャード殿下は振り返り、私を見た。

「おまえは、それを見届けてくれ」



 再び首に架せられた輪に指で触れれば、リヒャード殿下は首を振った。



「友として」

 彼は言った。



「責任を負うというのであれば、命じればよろしい」



 反発心から言葉を返せば、リヒャード殿下は頷いた。



「むろん、責は負う。おまえを友と信頼したことについて。おまえの言動によって引き起こされる結果は、私の責だ」

 私に向けてカップを掲げ、リヒャード殿下は手を広げた。

「だが、おまえは『友は語り合うものだ』と言った。それを聞き、私もそうだと思った」



 リヒャード殿下の口から聞かされれば、己の発言が、怒りを振りかざしただけの愚かしい失言だったように思えた。


 揚げ足取りをされる恥ずかしさだけでなく、彼は私の生涯をかけ、忠誠を誓った主であった。

 たとえ家族を彼に殺されようとも、憎しみの炎が絶えず燃えていようとも。彼に立てた誓いは変わらず、私の誇りと名誉とともに、よく研がれた家紋入りのダガー同様、常に胸にあるものだった。


 彼は私との問答を引き合いにして続けた。



「私は友に問い、語り、そして判断する。その結果はすべて私が背負う」


「友ではありません。私はあなた様の忠実なる臣下です。奴隷の身からいずる誓約ではなく、真実あなた様を主として崇め、従うと心に定めました」


「おまえが私を友と認められぬというのなら、それでもいい」



 リヒャード殿下は部屋の対極へと歩いた。彼はそこで、暖炉のわきにある棚に手を伸ばし、置かれた皿へ二つの精油を垂らした。皿が蝋燭の火にかけられる。

 ジンジャーとパチュリが交じり合い、刺激的で気高い香りが立ち上った。

 部屋の空気が変わった。私がこぼした酒の、甘ったるい重さを、大地由来の静謐(せいひつ)な厳しさが引き裂いていった。



「ならば臣下として、おまえの目を寄越せ」


「私の目を?」



 第二王子殿下の言葉を思い出す。

 彼は言った。「兄貴の隣で、同じ高さで、その目線で、見ようともしなかったくせに」と。

 妹を(なじ)っての言葉ではあったが、彼は私にも同様の怒りを向けていたに違いない。


 そしてまた、妹の言葉も思い出す。

 あの子は言った。「ご自身ではなんにもお考えにならず、ただリヒャードの言葉に頷き、繰り返すだけ」と。



「おまえの目はバチルダを魔女と見たな。帝国の企てを疑ったな。その目が、私は欲しい」

 彼の琥珀色の瞳。その狼の目を彼は指差した。

「私の目では見えぬものを、おまえは見ることができる。その目で玉座に座る私を見ろ」



 第二王子殿下の求めたような、リヒャード殿下の隣ではなく、同じ高さではなく、同じ目線ではなく。

 そして妹の責めたような、思考を止め、リヒャード殿下の言葉を頷き、繰り返すだけでなく。



「私が帝国の企みに乗り、バチルダの『不気味な力』に操られるのであれば、そのときは」



 私は立ち上がり、リヒャード殿下の元へ歩いた。跪き、懐からダガーを取り出す。鞘を抜き捨てると、磨かれた刀身に炎が映った。

 リヒャード殿下の狼の目が私を見下ろす。



「そのときは、間違いなく、私があなた様の首を刎ねてみせましょう」

 我が家の紋章であったオーディン神の軍馬、スレイプニィールを(かたど)った柄頭を、リヒャード殿下に掲げた。

「我が一族の敵討ちも、ようやく叶う」


「その通りだな」

 リヒャード殿下はニヤリと笑った。

「だが、私を刎ねたことで、おまえに類が及ばぬよう、予め取り計らっておこう」


「それには及びません」



 リヒャード殿下は頷かず、私の言葉に微笑んだ。


 彼はきっと、グリューンドルフ公や、第二王子殿下、その他彼が信頼する面々へと根回しをするのだろう。だが、私は受け取るつもりはない。

 リヒャード殿下以外の人間から与えられる恩赦など、欠片も必要ではない。


 彼の死ぬ日が、我が一族、真実の終焉を告げる。

 リヒャード・ゲルプ=ジツィーリエンの最期が、私の最期だ。




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