表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/35

第十五話 不気味な力




 見つめ合うだけの沈黙の後、リヒャード殿下は片方の眉を上げた。



「恋は盲目だとでも言いたげだな」


「おそれながら」



 同意すれば、リヒャード殿下は笑い声をあげた。無邪気な顔だった。額に手を当て、腰を折り、上半身をかがめすらした。



「確かにな。おまえの話に耳を傾けながら、感情的な反発が、理性で思考せんとするより優りそうになったことを、否定はしない」



 少年らしい屈託のなさで、リヒャード殿下は笑った。その楽し気な笑い声は、なかなかやまなかった。



「だが、どうだ。おまえの言う通り、帝国の企てがあったとしよう」



 笑い声をどうにか胸におさめ、リヒャード殿下は笑い声の代わりに、胸元から何かを取り出した。首から下げた細い鎖。その先には鍵がついていた。



「バチルダが魔女であったとしよう」



 鍵付きの鎖を首から外し、リヒャード殿下は私の背後に回った。詰襟が下げられた。金属の合わさる、カチリという小さな音がした。



「おまえが帝国へと飛び立つことに、目をつむったとしよう」

 隷従の首輪が膝の上に音もなく落ちた。

「おまえは自由になった。それで」

 正面に回ったリヒャード殿下は、落ちた隷従の首輪を拾った。

「次は私が(かせ)を贈られる番だな。バチルダという回りくどく、体温があり、穏やかな枷ではなく。直接的で、体温はなく、冷たい枷を」



 彼は片方の手で、隷従の首輪を自らの首に当てた。逆の手が肩より上にあがった。宙から吊られたマリオネットのように、ぷらぷらと手首が揺すられる。



「私はあらゆる思考を奪われ、本物の操り人形へと成り果てる。そうして私はこの国の玉座に座り続けるだろう。おまえを失って」



 隷従の首輪が再び私の首に回された。ひやりと冷たかった。首の後ろで鍵が回った。



「私が失敗するというのですか」


「『うまくやる』ことは不可能だろうよ」


「あなた様は私を認めてくださっているのかと思っていた。私は思いあがっていたようだ」



 恥辱と不名誉と怒りが頭の中を真っ赤に染め上げた。


 リヒャード殿下は私の能を買っていたからこそ、この世に留めたのではなかったか?

 私を生かすためがだけの、口先だけの方便だったのか?

 謀叛人(むほんにん)の不名誉の上に、奴隷の不名誉にまで甘んじたのは、彼の情けを受けるためだけだったのか?



「いいや。私はおまえの能を買っている。おまえが自身を判ずるより、きっとな」

 鍵のついた鎖を手渡される。

「おまえが私を、私以上に認めているように」


「でしたら、なぜ」



 鍵を握りしめると、先端が手のひらに食い込んだ。

 リヒャード殿下は椅子に座り、微笑んだ。親指を立て、「まず第一に」と始めた。



「これまでの企てが為されたというならば、帝国は我が国の内情をつぶさに把握している。一人ひとりの性質に至るまで」

 肘掛にリヒャード殿下の手がおろされる。

「私はもちろん、おまえのことも当然。つまり隷従の首輪より放たれたおまえが、バチルダを狙うだろうことは、想定内に違いない」


「だとしても――」


「第二に」



 反論を遮られ、立てた親指と人差し指を示される。



「おまえの言う通り、帝国には数多(あまた)の聖人がいるという」

 リヒャード殿下はニヤリと笑った。

「おまえの言う『不気味な力』を持つ人間がわんさかいる。そしてその『不気味な力』の詳細は、何もわからん」



 そこまで言うと、リヒャード殿下は「ああ」と声をあげた。



「バチルダ曰く、コーエンは聖人候補だそうだぞ。『聖人としての能力がある』と。そう言っていた」


「なんだって! 第二王子殿下が?」


「ああ。コーエンがだ」

 私の叫喚(きょうかん)に、リヒャード殿下はすまし顔で応じた。

「あやつの人より抜きんでて、対象、もしくは近い未来を見抜く能力。それがおそらく、値するのだろう」



 第二王子殿下と対峙したことを思い返す。彼との会話を。彼の言葉を。彼の細めたまなざしを。審判の目を。

 動揺が体中の血液をドクドクと駆け巡った。



「コーエンはおまえについて、いくらか当てたのではないか?」



 リヒャード殿下が探るように私を見た。彼は「違うか?」と私に追い打ちをかけた。私は頷くほかなかった。



「コーエンより優れているだろう聖人の能――いや、『不気味な力』だったな。その力を持つバチルダが、この国に長く滞在した。彼女はおまえを知った。それ以上に私を」

 リヒャード殿下は道化のように肩をすくめた。

「私はおまえの言う通り、恋に溺れた愚かな男だったろうからな。彼女はたやすく私の気質など、暴いたろう」



 リヒャード殿下が、親指、人差し指に続いて中指を立てる。



「第三に。顔を合わせて間もなく、『この身を斬って捨てるような隠匿(いんとく)のかなわぬ著しい狼藉(ろうぜき)でもない限り、なんの咎もない』とまで、バチルダは言った」



 怖気(おぞけ)が走った。



「それは、また。なんという……」


「おまえの言う通り、帝国の企てがあり、かつバチルダが魔女であるならば。これは警告、もしくは罠だな」

 リヒャード殿下が首を振る。

「バチルダ曰く、聖人とは『オーディン神の贄』だそうだ。結局のところ、言葉の意味することは、はぐらかされたが」



 オーディン神の贄。

 神聖アース帝国という一つの国。その思惑に留まるのではなく。



「おまえが『うまくやる』ことはできない」



 喉がカラカラに乾いた。声に出そうとした言葉が喉にはりついた。カップを掴んだが、水は飲み干していた。気がついたリヒャード殿下が、水を注いだ。

 彼は壁にかけられたボードを見た。ボードには大陸の地図が描かれていた。その隣りには、オーディン神とフェンリルの、激しい戦いを描いた絵があった。


 ラグナロク。世界の終末。オーディン神が死んだ日。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ