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第十話 王の器



 行きとは比ぶべくもないほど、遅いペースで帰路を進む。

 消化されきらず胃に留まっていた昼食と、胃液とを吐き出しきった第二王子殿下では、馬を駆るのが困難だった。



「それでどうすんの? 隷従の首輪はもう用を為してねぇんだろ」



 青白い顔で、第二王子殿下は気だるげに言った。

 馬上でぐらぐらと揺れながら、どうにか振り落とされず(またが)っている。



「どうとは」



 ぎくりとした動揺が(かかと)に伝わり、馬の腹を蹴ることになった。馬が走り出す。

 振り返れば、「おーい。置いてくなって」と、第二王子殿下が苦し気に声を張り上げていた。


「失礼を――」



 謝罪の言葉の途中で、第二王子殿下が「うー。ぎぼぢわりぃ」とぼやきながら、背を丸めた。



「休みましょう」



 手綱を引いて馬を止め、飛び降りる。馬がブルブルと鼻を鳴らすのを耳にしながら、第二王子殿下の足元へ駆け寄った。



「わりぃ。手伝って。一人で降りるの、無理そう」



 弱弱しい第二王子殿下の言葉に頷き、彼の愛馬の手綱を片手に、もう片方の手を伸ばした。

 あぶみに足をかけたまま、鞍からずり落ちるようにして降りる第二王子殿下。彼を抱え、枯れ葉の敷き詰められた場所に降ろした。


 馬がまたもや鼻を鳴らしたので、鞍にくくりつけた獣革の巾着から飼葉をやった。第二王子殿下の馬も鼻を鳴らした。



「あーあ。かっこわり」

 水筒から水を一口含むと、第二王子殿下は口元を拭った。

「あっ、謝んなよ。そんなんされたら、ますます惨めになんだろ」



 口を開かんとする私を遮るように、第二王子殿下が顔をしかめて先制する。



「そうはおっしゃいましても」


「俺がふっかけたんだ。あなたは俺に稽古をつけてくれただけだろ」


「稽古と呼ぶには、私情が入りすぎておりました」


「そうしろって言ったのは俺なんだけど……あー、でも」

 いかにも具合の悪そうな、疲れ切った顔つきの第二王子殿下がニヤリと笑った。

「あなたが俺に、悪いと思ってんならさ」



 何を言われるのか、と身構える。

 第二王子殿下は、がばりと頭を下げた。



「俺の八つ当たりも許して。さっきの、ただの八つ当たりなんだ」


「……は」



 思わず気の抜けた声が漏れ出た私に、第二王子殿下は顔を上げた。彼の青白い顔は悔しそうに歪んでいた。



「あなたの妹のこと。悪かった。当てつけだなんて言って」


「それは――」


「まあ実際、当てつけじゃんって思ってっけど」


「謝る気、ありますか?」


「あるよ」

 心外だと言わんばかりの、憮然とした顔つきで、第二王子殿下が言う。

「だって、俺だって、そうだったんだ」



 ここではない、どこか遠くを見るように、第二王子殿下は目を細めた。


 木はまばらに立ち、開けたこの場所を通る風はさほど強くはない。だが、ウールのマントを身体に巻き付けても、芯が冷える。第二王子殿下が羽織る、毛並みの豊かな毛皮であってさえ、寒さは忍び込むだろう。

 間もなく日が暮れようとしていた。



「あなた達兄妹は、やっぱり嫌いだよ。だけど」


「同族嫌悪なんですね」



 第二王子殿下を遮れば、彼は夢心地なさまから、急に正気に返ったように、こちらに振り返った。



「わかってたんだ」


「いえ、実際のところは、あまり」


「なんだそれ」



 第二王子殿下が眉間にシワを寄せた。少年らしく幼い顔つきが、よりいっそう幼く見える。



「ですが、あなた様がいつになく、執拗に妹を(なじ)ったので」



 そう答えると、第二王子殿下は「あっそ」とつまらなそうに返した。彼は私から視線を外し、鼻を鳴らす。沈みゆこうとする太陽をじっと見つめていた。空も大地も灰色にぼやける中、夕陽の朱だけが色づいていた。



「兄貴は、俺にとっても()()だったんだ」

 ぽつりと第二王子殿下がこぼす。

「憧れで、かっこよくて、強くて、正しくて。兄貴がいるんだって、そう思うと、安心して」



 頭を掻きむしり、「うまく言えねぇ」と第二王子殿下はうめいた。

 妹を詰るには、あれほど饒舌だった一方で、彼はたどたどしくリヒャード殿下への敬愛を語った。



「甘えきってんだ。俺だって、王子なのにな」

 言葉不足の、まったくうまくない口ぶり。

「兄貴が俺になんも言わなかったこと。相談しようとも思わなかっただろうこと。ああなるまで、俺、なんも気にしてなかった」



 己を責める言葉となった途端、第二王子殿下の口からは、次から次へと言葉が溢れてくるようだった。

 ほとんど独り言の域を出ず、他人に理解させようという意思を感じられない。

 彼の言葉から感じるのは血だった。


 妹を詰ったときと同様、少年の薄い体から抉り出された言葉のひとつひとつ。それらが、鮮やかな赤い血を流している。


 やんちゃな少年の多くが膝小僧につけているように、ぱっくりと開いた生々しい傷跡。

 痛みに耐え、悔しく恥じ入るさまと、しかし同時に、勇敢な男の仲間入りをした証として傷を見せびらかす、誇らしく陶酔とするさま。



「兄貴がすごいのは当然で、だから深刻な問題にぶち当たっても、きっとどうにか解決するんだろって」

 膝を抱えた第二王子殿下は、すっぽりと毛皮の中に埋もれていた。

「気づいてはいたんだ。兄貴が、なんかちょっと妙な勘違いしてんなって。俺のこと、優秀だ、みてぇなさ。そんなわけねぇのに」



 黙って耳を傾けていると、第二王子殿下が顔をあげ、目だけをジロリとこちらに向けた。



「おい」


「なんでしょうか」


「そこは、『殿下は優秀でいらっしゃいます』とか言うところだろ」



 どう答えるべきか、考えを巡らせる。第二王子殿下が呆れたようにため息をついた。



「……いーよ。そんな悩まねぇでも」


「殿下は優秀でいらっしゃいます」



 正直にそう思って口にしたのだが、第二王子殿下は私の言葉を無視した。再び毛皮に埋もれる。



「――だからさ。兄貴に嫌われたくないじゃんか。そんで俺、だったら目立たねぇようにしようって。実際、兄貴の前じゃ、俺の頭なんか役にも立たねぇだろうしって思ってさ」



 二頭の馬が鼻を鳴らした。日没前に戻ろうと誘っているようだった。

 夏が終わった今、すでに日は短い。



「王太子なんか、無理だよ。俺には。ふさわしいわけねぇじゃん。王の器は兄貴だよ」




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