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第七話 湖畔での詰問




 頬を刺す風は冷たく、(はみ)(くわ)えた馬の口から白い吐息が漏れ、風になびいては消えていった。

 風が木々を抜けていく声は、女の悲鳴のようだった。馬の(ひづめ)は規則正しいリズムでスタッカートを刻んだ。

 そして止まる。手綱を引くと、馬が(いなな)いた。



「で。言いたいこと、実際あるっしょ?」



 第二王子殿下は馬に(またが)ったまま、私に問いかけた。その視線は深い碧色の水面に向けられていた。


 王都外れの湖畔。

 リヒャード殿下がある日、客人であったバチルダ皇女殿下を誘って共歩きした場所。


 今や季節は冬に差し掛かり、鳥獣も虫も、その生命の営みを感じさせない。

 かつてバチルダ皇女殿下が楽しんだ青い草木の香りや、湖畔に咲く花の香しさは消え去り、ひっそりと静まり返っている。



「なんか言えって。『はい』とか『いいえ』とか。なんだってあんだろ」



 第二王子殿下はひらりと鞍から降りると、黙して答えぬ私に苛立ったように、問いを重ねた。

 それでも口を閉ざす私に、第二王子殿下は嘆息する。



「なんのために二人で城を抜け出したと思ってんの? 他に聞いてるやつなんかいねぇよ」



 事実、ここには第二王子殿下と私。二人きりであった。


 私と二人きりで遠駆けせんとした第二王子殿下に、彼の側仕え達は当然難色を示した。

 だが、第二王子殿下は「大丈夫だって」とへらりと笑った。私の肩に腕を回すと、第二王子殿下は言った。



「コレがあるからさ。そんな心配することねぇって」



 第二王子殿下は肩に回した腕とは逆の手で、私の詰襟に指をかけ、ずり下した。隷従の首輪が表に晒される。

 周囲の人間は息を飲み、体を強張らせた。


 常は隠されている隷従の首輪。

 目の当たりにすることは、たいていの人間にとって経験のないことだった。それがゆえ、第二王子殿下の言葉に、説得力が増した。




 第二王子殿下が、私になんらかの言葉を求めているのは、連れ出された当初からわかっていた。

 断るという選択肢は、私には用意されていなかった。

 リヒャード殿下が私を送り出したのだから。

 私の意思ではなく、リヒャード殿下のご意思。ゆえに、私は口を開いた。



「では、二つ。よろしいでしょうか」


「うん。なに?」



 第二王子殿下と距離を取り、手ごろな木にそれぞれ馬を繋いだ。

 振り返ると、第二王子殿下が彼の両腕より太い幹に手間取っていたので、手を貸す。



「ありがと」



 第二王子殿下は素直に手綱から手を離し、私に預けた。



「いえ」



 結び終えて、再び第二王子殿下から離れると、彼は両手を広げ、「さあ、どーぞ」と促す。私は頷いた。



「リヒャード殿下が、先ほど即座には、殿下のご提案に許可されなかったことについてですが」



 第二王子殿下は目を細めて私を見ていた。



「私の存在によって、第二王子殿下に危険が及ばないかと懸念なさったのかと――」


「あー。うん」



 第二王子殿下は晴れやかな笑顔を浮かべ、私の言葉を遮った。



「あのさぁ、兄貴が俺のために考えてくれてること。俺がわからねぇと思う? あなたよりずっと、俺の方が兄貴のことわかってっから」


「差し出がましいことを失礼いたしました」



 第二王子殿下は小さく舌打ちして、「いや、いいよ」と手を振った。



「あなたがまだ()()()()、兄貴を敬ってくれてること。それは実際、俺にとってもありがたいし」

 そう言ったかと思うと、第二王子殿下は首をひねった。

「ありがたいっていうのも変か。まぁいいや。そんで、もう一つは?」



 機嫌を直した様子の第二王子殿下に、再び発言をするのに躊躇った。

 先の言葉以上に差し出がましく、第二王子殿下を不快にさせるに違いない疑問。



「俺がどう思うかとか、どーでもいいから。早く言えって」



 ともすれば軽薄にも見える笑顔をすっかり取り払い、下々の人間に気安いことで知られる第二王子殿下は、明らかに苛立っていた。

 そして私の内に浮かんだ懸念を正確に読み取っていた。覚悟を決め、息を吸う。



「御心のままに。発言をお許しください」


「うん。許す」



 第二王子殿下の審判の眼差しが、真実以外、口にすることを許さないと私に告げていた。



「なぜ殿下は、リヒャード殿下の古傷を抉ってまで、私を連れ出したのですか。リヒャード殿下のかねてより抱かれている劣等感を、あなた様がご存じないとは、私にはとても思えない」



 第二王子殿下は愉快そうに口の端を吊り上げた。

 彼の意に沿う疑念なのだと確信を得た私は、語気を強めた。



「私の『男のプライド』など。リヒャード殿下はそのような、繊細な話題について――つまり人心の機微、心情を慮ることについて、苦手意識をお持ちだ。あなた様に対しては、ことさら」



 我が妹を守ろうとしたリヒャード殿下。守られることを拒絶し、罪に身を落とした妹。

 これらの経緯を知っていて、第二王子殿下はリヒャード殿下に言ったのだ。

 死した妹の兄である私を指し、「かよわいお姫様みたいに護られるのが恥ずかしいんじゃねぇかなって」と。


 奴隷でしかない私にすら嫉妬し牽制するほど、リヒャード殿下を敬愛している第二王子殿下。その彼がなぜ、リヒャード殿下を傷つける言葉を放ったのか。

 そうまでして、彼が私に何を言わせようというのか。何を私に求めるのか。


 詰襟の下にもぐる隷従の首輪へと、指を探らせる。


 私の素振りを目にして、第二王子殿下が鼻を鳴らした。

 そんなことには、とっくに気が付いているとばかりに。リヒャード殿下と私が、彼に言わずして隠していることなど、既にお見通しだと。



「それだけじゃねぇよな? あなたが関われば。いや、あなた達、兄妹の存在が、兄貴の『自覚する欠点』を明確にした。そして今なお、絶えることなく、兄貴を苦しめ続けている」



 乱立する木々の間を縫って通り過ぎ、湖面を滑ってゆく一陣の風。

 枯れた葉が舞い、木に結ばれた馬がぶるりと身体を震わせた。

 第二王子殿下のマントがはためく。見事な毛皮のマント。

 風の勢いに任せて体に巻き付こうとするマントを、彼はうるさそうに手で払った。



「そうだよ。『あなたが俺に』言いたいことがあるとか、そんなこたぁ最初っから、期待しちゃいねぇよ。

 俺が。『俺があなたに』言いたいことがあったんだ」

 第二王子殿下は吐き捨てた。




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