第ニ話 兄の役目
だが、兄らしく胸を貸そうなどという、私の自惚れて甘ったれた空想は、妹の詰問によって、すぐさま突き崩された。
「お兄さま。我が家の嫡男であるお兄さまが、我が家から籍を抜き、グリューンドルフ公爵領騎士団に一騎士として入団するおつもりでいらっしゃるだなんて。まさか。まさかそのような荒唐無稽なお話はございませんわね?」
入室するやいなや、妹は私を咎めた。
「なんだ。そのことか。ああ。そのつもりだ」
「本気ですの! お兄さまは嫡男ですのよ! 我が家をどうなさるおつもり!」
ヒステリックに叫ぶ妹から離れ、キャビネットから酒とグラスを取った。
「こんなときにお酒ですか! 都合が悪いからとお逃げになるの!」
「うるさい。声をおさえろ。おまえがあれほどまでしつこく、この部屋へと促し、人目を憚った意味が、まるでないではないか」
酒に逃げたなどと図星を指されたことに苛立った私は、今度は妹をやり込めてやろうとばかりに、意地の悪い正論に見せかけて話を逸らした。
キンキンと頭に響く妹の声が静かになる。
「……いや、私はおまえに黙れとは――」
押し黙った妹の姿にうろたえ、酒瓶を置いて妹の肩に手を伸ばす。
「うるさくしたことは、謝ります」
妹はぴしゃりと私の手を払いのけた。
「そうか」
うつむく妹を見下ろす。
払いのけられ行き場のなくなった、私の哀れな手。宙に浮いたままの所在なき空虚な手とは逆に、もう片方の我が手には重みが。それで酒を注いだグラスを掴んでいたことに思い至った。
気まずさを誤魔化すように、ぐびりと煽る。
「ですが」
ギラリと妹の目が光る。鼠を狙う宵闇の梟のような、獰猛な目つき。
「お兄さまが我が家をお見捨てになることなど、決して許せるものですか」
思わず後ずさる私に、妹が詰め寄る。
いつの間にか私の背は、壁にはりついていた。もうこれ以上は下がれない。
「許せぬと言われても」
妹の瞳に映る私は、眉尻を下げ、すっかり弱り切っている。間抜け面を晒しているな、と他人事のように思う。
「許しませんわ。わたしはリヒャードの――リヒャード王太子殿下の妃になるのですから」
ああ。やはり。
狂気の片鱗さえ浮かび上がる、妹の笑み。情熱の炎を灯す妹の双眸を前に、私の胸は重く沈んだ。
妹をリヒャード殿下の婚約者にせんと、父は国王陛下に請うた。そして国王陛下も父の奏上を受け入れようとなされた。
妹のリヒャード殿下への思慕は、まだ幼く淡い、ただ可愛らしいだけの初恋だった。
つま先を照らすに留まるような、人知れずそっと息を吹きかけてやれば、いずれ消えるような。そんな柔らかな光に過ぎなかった。
だのに父は煽ったのだ。
そしてそれは赤々と燃え盛る、激しく大きな松明と為った。
やはり、これはだから、そう。私の役目だ。
兄として。そしてリヒャード殿下の忠実な臣下として。
逃げられない、私の。