第一話 妹の待ち伏せ
「お兄さま。お話がありますの」
グリューンドルフ公爵領騎士団の面々に交じって鍛錬をし、彼等と夕餉を共にし。ほろ酔い気分で王都邸宅に戻ると、早々に、妹に呼び止められた。
どうやら待ち伏せていたらしい。
常ならば、すでに妹は就寝しているだろうという時刻だった。
「なんだ」
とうに日を跨いだ深夜。
思いがけぬ妹の出迎えに、私は眉をひそめた。
武人として名高いグリューンドルフ公の誇る、屈強な騎士たちとの稽古は有意義であり、また楽しくもあるが、しかしながら肉体的疲労がないというわけにはいかない。
つまり私は疲れていたのだ。
だが妹は私のぞんざいな返事を気にも留めず、詰め寄ってきた。
「ここでは、すこし」
そう言って妹は回廊を見渡す。
燭台の火が揺れる薄暗い回廊には、妹と私の他、私の上着を受け取った使用人が一人。
妹の言葉に使用人は頭を下げ、その場を辞した。
「これでよいか?」
早く切り上げたかった私は妹を振り返りもせず、手首のカフスを外した。
「いいえ。お兄さまのお部屋へ」
「なぜだ。ここで構わんだろう」
すぐにでも寝台へ、もぐりこみたかった。
私は妹への苛立ちを隠すことなく、ことさら邪険に吐き捨てる。しかし妹は頷かない。
「一つだけ、お聞きしたいだけです。長引くことなどございません」
「頑是なきことを。まったく」
嘆息して妹を見やれば、血の気の失せた青白い顔を強張らせ、胸の前で固く手を結んでいた。
きつく組み合わされた指は震え、唇を噛みしめている。
「それほどに何を――」
妹の悲壮な様子に、私は虚を突かれた。
なぜなら妹は頭で考える前に言葉が先に出るような口やかましい娘で、そして勝気な性分であったからだ。
たおやかさ、儚さといった優美な女性らしさから遠く離れ、また理性ある才女でもない。それが私の妹への評価だった。
肉親として大事に思ってはいたが、しかし愛しているからこそ、妹の真価を過剰に装飾する必要はない。能に長けることこそ是とするのは、他人であれば当然であるが、妹は同じ血を体に流す者。
「……わかった。ついてこい」
何が妹を悩ませているのか。
心当たりはあった。だがそれは妹がどれほど拒絶しようとも、一方でどれほど渇望しようとも、叶うはずのないことだ。
「はい。ありがとうございます」
しおらしく返事をする妹の様子に胸が痛む。それでも妹の望みを叶えてやることはできない。
「いや。礼を言う必要などない」
きまりの悪い心地で、その先の言葉はほとんど音とならず、口の中で小さく消えていった。「逃げ回っていたのは、確かに私だ」という、妹への謝罪。
「なんですって?」
私のモゴモゴとした独り言が聞き取れず、妹の気に障ったのだろう。普段通りの強気な、そして妹をよく知らぬ者が耳にすれば、驕慢で険のあるような口ぶり。
だがすぐに妹は反論を控えた。
「いえ、いいわ。夜も遅いのですし、早く参りましょう」
背後からバサリとドレスの裾をはらう音がする。
レディの仕草とは思えぬ荒々しさに、妹の意気込みを感じるようで、これからの話し合いが一言などでは終わらず、夜を徹してそのまま朝を迎えるかもしれないことを覚悟した。
「ああ。そうだな」
リヒャード殿下とお会いする前までは、「おにいさま、おにいさま」と私を慕っていた妹。
だが妹がリヒャード殿下へと出合い頭に憧憬を抱いてからというもの、私が妹に兄らしく振舞うことはほとんどなくなった。
ああ、そうだ。
リヒャード殿下への恋慕。それを諦めさせ、諭し、慰めるのは。他の誰でもない。兄である私の役目であった。
そうだな。そうであったな。