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断頭台に響くは、うたかたのアリア


 夢を見ていた。

 あなたのとなりでずっと笑っている夢。


 振り返った先で驚いたように目を丸くして、それからじんわりと広がっていった絶望の色。

 手を伸ばしたのはあなた。手を離したのはわたし。

 だけど、最初に裏切ったのはあなた。






「まさか……っ! 毒を盛ったのか!」


 狂ったように叫ぶお兄さま。

 声が裏返ってらっしゃる。

 いつもは毅然として落ち着きのある、やや厳しい武人ですのに。低く渋みのあるお声がひっくり返る様は、とても珍しい。


 普段にない、顔色を変えたお兄さま。

 そのお姿をのんびりと眺めていると、途端にわたしの身は荒々しく騎士に取り押さえられ、床に組み伏せられた。

 強打した顎と肩に腰、膝。



 驚愕と衝撃に、お兄さまはその身をこわばらせていらしたけれど、まもなくお兄さまも屈強な騎士達に拘束された。

 お兄さまご自身が、とてもお強いお方だから、騎士達も気が気ではないでしょうね。

 とはいえ、お兄さまは呆然として、反抗する素振りなど、少しも見せるはずもないのだけれど。





 目の前には苦悶する、王太子殿下専属の毒味係。

 喉を掻きむしり、その爪には破れた皮膚や肉片が入り込んでいる。しかし彼は、それにも構わず、青白く血の気の失せた、引き攣った両の手で、喉元を掻きむしり続ける。


 目の前で起こった突然の事態に、尊きお方(リヒャード)は目を見開いていた。

 感情のようよう見えない、すまして落ち着き払った、いつもの少年の姿は、そこにはない。

 騎士達に守られ、茫然自失として立ちすくんでいる、その頼りなげな細い肩は、年相応に幼く。

 ああ、リヒャードもまた、わたしと同じ、幼い少年に過ぎなかった。


 リヒャードの手には、わたしの瞳と同じ色のリボン。

 ぎゅっと握りしめたまま固まった、その拳から、まるで毒が滴っているかのように、紫紺色の艷やかなシルクが垂れている。




「な、ぜ……」



 狂騒曲の奏でられた、この回廊で、ぽつりと落とされた、ガラスのように硬質な少年の声。

 醜い怒声や悲鳴が飛び交う中、彼の声だけが、こんなときでも凛として、とても美しい。


 わたしは口の端をゆっくりと吊りあげた。



「リヒャード王太子殿下、このたびの立太子、まことにおめでとうございます」


 リヒャードの見開ききった琥珀色の瞳が、わたしから離れない。

 これほどまで、リヒャードから熱烈な眼差しをもらったことなど、あっただろうか。


「わたし、とても喜ばしいことだと思っていたわ。心から祝福を贈りたいと、そう思っていたの」



 いいえ。なかった。

 だってリヒャードはいつも、ひとつ下の弟王子のことばかり気にしていた。


 第一王子であるリヒャードより第二王子の方が優秀だと、影でこそこそと囁きあう、卑しい者ども。

 そんなことはない。リヒャードこそが王にふさわしい、とお兄さまもわたしも、いつだってリヒャードを庇ってきた。

 それなりに権威もあり、発言力のある我が家の名をいくらでも使ってくれればいいと、私たち兄妹の存在を利用してくれればいいと、そう思っていた。



「だけど、ひどいわ。わたしてっきり、あなたの婚約者候補なのだと思っていたのよ」



 ぶくぶくと泡を吹いた口の端からは、鮮血が滴り、泡は赤く染まる。

 やがて毒味係を務めた彼は、白目を向き、がっくりと倒れた。


 誰のものか知れぬ絶叫が、回廊をぬけていく。



 目の前の、絶望に染まっていく琥珀色の瞳。



「そうよ。その目が見たかったの」



 するりとリヒャードの手から、リボンが抜け落ちた。

 リヒャードを庇う騎士はそれに気がつきもせず、リボンを踏む。


 背後からおさえつけられ、床に這いつくばるわたしと、床に打ち捨てられた紫紺色のリボン。




「立太子なされた途端、わたしを切り捨てるなんて。あなた、本当にとっても、これ以上なく、王になるにふさわしいわ」


「……切り捨てる、など……」



 阿鼻叫喚の渦で、周囲が何を喚き散らそうが、わたしとリヒャードを離そうが、そんなことは関係ない。

 わたしにはリヒャードの声しか耳に入らないし、わたしの声もまた、リヒャードにまっすぐ届いている。



「ねぇ。リヒャード。わたしとの婚約。お父さまからの打診を断ったのですって? 国王陛下でさえ、あなたが合意するなら、よしとすると仰せだったのに」


「……国王、陛下は……、保守派と、手を……組み……、地盤固め、を、する……べき、だと……そう、仰せで……」


「ええ! そうよ! わたしと婚姻を結べば、穏やかにこの国をまとめあげられたわ! 先のクーデターのようなこと、これからは起きるはずもなく!」



 リヒャードの顔が歪む。

 きっとわたしが、父の企みを何も知らない、何も知らされていない、箱入りのお嬢様だったと、憐れんでいるのね。


 ええ、そうね。

 そんなにうまく事は運ばないわね。


 知っていたわ。

 父が、手を結ぶフリをして、国王陛下を傀儡にしようとしていたことを。

 まだ少年のリヒャードを丸め込み、頼りない国王陛下に代わって、王太子の義父として、その力をふるおうとしていたことを。

 毒味係の彼ね。実は我が家の子飼いだったの。

 既に王宮の内部にまで、お父さまの手は伸びていたわ。



 リヒャードが推し進めようとしていた、この国の立憲君主制への移行。

 ゆくゆくは民が、民のうちから、民の意によって民の代表を選び、民の意思を反映させ、この国を先導していく。王政の廃止すら視野に入れて。

 だってお父さまにとって、それはとても都合が悪いの。



「わたし、あなたをずっとお慕いしていたわ。ねえ、だってそうでしょう? お兄さまとわたしが、どれほどあなたに尽くしてきたと思うの?」



 だけど、お父さまの都合のよいことは、リヒャードにとっては都合が悪いの。

 保守派最大の要である、旧家の我が家。瓦解させるのは、さすがのリヒャードも、とても難しいわね?



「ひどいわ。レディの純情をもてあそんだのだわ。リヒャード。あなた、わたしにこれ以上なく恥をかかせたのよ。このわたしを追い払うがために、どこの馬とも知れぬ、よその男に押しつけようだなんて」



 リヒャードの最大の庇護者である、王弟グリューンドルフ公が嫡男のもとに、わたしを嫁がせようだなんて。

 あそこの嫡男がいくつだと思っているの?

 あのこ、まだ五つよ。

 リヒャードの末の弟王子と同い年。

 リヒャードより六つも年下だわ。

 わたし、リヒャードより二つ年上なの。忘れていた?



 お兄さまには、我が家から籍を抜かせ、グリューンドルフ公爵騎士団に入団させようと説得していたのだそうね。

 お兄さまったら単純だから、リヒャードの望みならば、とすぐさま頷きそうだったわ。嫡男だってわかっているのかしら。


 冷酷非情なグリューンドルフ公ならば、わたしのお父さまを躊躇なく切り捨てるでしょうけれど、それでも嫡出子のわたし達兄妹をグリューンドルフ公の陣営に入れては、いずれあなた達の弱みになってしまうじゃないの。

 わたし、リヒャードの弱みになんてなりたくないわ。

 リヒャード、あなたはわたしの保護者じゃないのよ。

 わたしがあなたを支えたかったの。それが叶わないのなら、せめて。



「だからわたし、愛しくも憎らしいあなたに、心を込めて贈り物をすることにしたの。とっておきの毒を選んだのよ。どうぞ受け取って?」



 お父さまを、我が家を、我が家に連なる面々を道連れに。リヒャード、あなたの思い描くこの国の未来へと、この身を捧げるわ。


 ――だけどね。お兄さまは何も知らないの。


 もし可能ならば、お兄さまの命は助けてほしいわ。

 リヒャードならば、きっと情けをかけてくれると信じてる。

 誰よりも優しい、あなたならば。

 誰よりも賢い、あなたならば。


 きっと、できるでしょう?








 冷たく凍り付くような風が頬をさす。

 目の前に広がるのは、きれいなお花畑。揺れる橙色の可愛い花。黄緑色の小さな葉っぱ。なんの花かしら。

 花言葉どころか、花の名前すらわからない。


 覚えているのは、自分より背丈の高い草むらで走り回ったこと。

 花も草も何もかも、踏み倒して転がって、髪の毛にもドレスにもあちこち葉っぱやら泥やらをつけて、どこで引っかけたのか、レースは千切れ、髪をくくっていたリボンも失くし。

 それから追いかけてきたお兄さまと、それからあなたと。三人で手をつないでお城に帰った。

 ずっとそんな日が続いていくと思っていたの。


 ばかみたいね。だけど笑ってさようならするわ。


 間抜けだなってあなたが言って、わたしが拗ねて。

 「わたしの方があなたより二つもお姉さんなのよ!」と腰に手を当て、胸をそらせば、あなたは「ならば年上らしくしろ」と生意気な口をきく。

 だからわたしは、いつか見返してやるんだからって、何度も同じような捨て台詞。



 あなたはきっと、忘れてしまったわね。

 いつの日かの他愛のない約束。

 大きくなったら、わたしをあなたのお嫁さんにしてねって。






 ああ。そらが青い。

 かすみがかったこの目に映るのは、最期にはあなたの瞳と同じ色の太陽。

 琥珀色の、きらめき。






-----







 ユグドラシル暦※1 七六三年 第二月


 草木の枯れ、花売りの娘たちが皆、その商売を休み※2 職を転々と探す頃。


 この日、ゲルプ王国 ■■■■■※3 侯爵夫妻と、またその長女■■■■■■が王太子毒殺未遂の罪により、断頭台の露と消えた。

 ■■■■■侯爵嫡男■■■■■■はその身に、■■■■■を架すことを条件に恩赦が与えられた。

 これには最後まで強く反対の意があがったが、毒殺未遂の対象となった王太子リヒャードの確固たる意志と■■■■■により、国王を筆頭とした王族並びに、王宮に詰める官吏達は承諾せざるをえなかった。※4

 かの侯爵嫡男■■■■■■と侯爵の娘■■■■■■は、王太子リヒャードの幼馴染みであったという。

 だがこれを契機に■■■■■家に連なる者達の大粛清が始まる。※5



 翌年のユグドラシル暦七六四年、ゲルプ王国王太子リヒャードは、宗主国である神聖アース帝国※6 の第ニ皇女バチルダと、婚約を交わすこととなる。

 王太子リヒャードと皇女バチルダは、その後順当に親睦を重ね、婚姻を結んだ後も、賢王リヒャード賢妃バチルダとして、優れた治世を為し、また終生仲睦まじく暮らした。



 またこの後に、王室の進める立憲君主制の成立、後の君主制廃止、そして現在の国民国家の台頭と著しい変化を歴史に刻んでゆくこととなる。





フラルドリスリュリアン(一八四〇―一九ニ一)の掌編「断頭台のアリア」(短編集『亡国ゲルプの崇拝』一八七七年所収)より引用。




※1 ユグドラシル暦と太陽暦の比較については末尾に記している。以降参照。


※2 ゲルプ王国に限り、花売りとは、年端のいかぬ、もしくは職にあぶれた少女達の間で最も親しまれ、また安全で確実に収入を得られる手段であった。

 貴族階級、地主階級、また裕福な商人、知識人といった富裕層が花売りの少女から花を買う様子は、当時の流行小説によく登場する。

 出典はオースティン・ヨハンソン・レズニック著「花売りの少女達と風俗」。


※3 インクの滲みにより、不明瞭な表記において■と代えて表記した。

 この度の戦争により失われた大陸の史料について、さらなる協力を求めたい。


※4 専制君主制を敷いている。王太子リヒャードの活躍については後述参照。


※5 俗詩「血塗(ちまみ)れリヒャード」。


※6 当時大陸を統べていた大帝國。このときユグドラシル朝は、帝国にとって最盛期であった。(ユグドラシル暦〇―ニ〇五〇)






(序章 「断頭台に響くは、うたかたのアリア」 了)

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