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chapter-8

『帰国するまでの間…劇団に参加してくれないか…?』

 コートニーさんのその言葉に「少し考えさせてください」と返したのは昨日の夕方。結局どうすればいいのかもわからずに、今日という日は来てしまった。

「今日もコーンスープなの?」

今日のコーンスープは一味違うわよ。隠し味にコーンを入れたの。」

 マリーおばさんに針のような舌打ちをして、椅子に座るなり黙々と食べ始めるアンナさん。少し遅れてわたしも箸…ではなくスプーンを持った。

「ところで、日陰。今日から講義とか色々始まるんだったわね。」

 マリーおばさんの声に、わたしのスプーンを持つ手はびくりと跳ねる。大人の顔色を伺う、幼少期の悪しき性格の名残りだ。

「チャレンジは人生を切り拓くモノよ。逆に、恐れは人生を閉ざすモノ。だから、ひたむきに頑張りなさいね!」

 マリーおばさんは、親指を力強く天井に向けた。後ろ向きなわたしには耳が痛い言葉だ。特に今のわたしには、心の内を見透かされた気がして、でも、道標を与えられたような心強さもあって。

「あ、ありがとうございます…。」

 とにかく、人生は無理にでも前を向かなきゃいけない時もあるのかもしれない。後悔しないために、踏み外さないために。

「気分が悪い。ただの経験論でしょ。」

 アンナさんは少し粗暴な口調でそう小さく呟き、紅茶にミルクを三個も入れ、混ざり切る前にカップを一気に傾け、さっさとリビングを去ってしまった。この時はじめて、スプーンを持つ手のこわばりがまだ治っていなかったことに気付いた。

「ごめんねぇ。根は優しいのよ、あの子。色々迷惑かけているでしょう?」

「い、いえ…。」


 時針は進み、午後二時頃。わたしたち留学生は、朝から夕方前まで一・二年次と共に講義を受けることになっているのだが…。

「えーっと、次の講義室は…。どこ…。」

 城壁のように広く聳え立つセスキペダレ大学。その内部は廊下から廊下、階段の隣に階段…といった感じで、恐ろしく複雑な構造になっている。ガイダンスで貰った校内図を血眼で見ても、現在地すら分からない。ひたすら前に歩いていても、一周して同じ場所に戻ってきてしまう。予想外のハプニングに混乱し、息が上がって視界が霞んだ。もう少しで講義が始まってしまうと思うと、腕時計の秒針が煩く聞こえ始める。そんな時に。

「あの…日陰さん、でしたよね?」

 曇った眼鏡のレンズに、青いリボンと艶やかな黒髪が揺れた。

「もしかして…迷っちゃいました?」

 聞き取りやすい丁寧な英語。その声の主は、スカーレットさんだった。


「わかりづらいですよねぇ、あのマップ。わたしもつい先週まで毎回迷ってました。」

 無事講義を終えて胸を撫で下ろすわたしに、何かを隠すような笑みをこぼすスカーレットさん。頭の上がらないわたしは、声がこもって上手く言葉を返せないでいた。しかし…。

「ありがとうございました…。それで、あの…。昨日の事なんですが…。」

 留学をしたら引っ込み思案は勝手に治るかもしれない。そんな淡い期待は叶わなかった。後ろ向きな自分を変えるには、無理矢理前に向き直るしかない。機会があるなら、自分から前へ進まなければならない。一つの道を。なんとなく、そんな気がし始めていた。それに、わたしは…。

『どんな愉快なパーティーがあったのか知らないけれど。』

 あの時、わたしはきっと楽しんでいた。これまでに経験したことがない胸の高鳴りを、確かに感じていたのだ。だから、きっと。

「先輩はああ言ってましたが、無理しなくてもいいんですよ…?人数が不足しているのも、元はと言えば私が…。」

 スカーレットさんは一瞬、痛みを我慢するような顔をして、押し黙った。

「無理は…してないです。ただ…。自分を変えるチャンスだと思うんです。もちろん、迷惑じゃなければ、なのですが…。」

「日陰さん…。もちろんです。そう言って貰えるなら…。」

「凄く光栄だ!本当に嬉しい。」

 スカーレットさんのゆったりとした声を遮り、大きく筋の通ったコートニーさんの超えが後ろから飛んできた。

「わっ、びっくりさせないでください先輩!」

 わたしと話していた時より甲高く、親しげなスカーレットさんの声。その頬は、赤く染っているようにも見えた。それをよそに、コートニーさんはわたしの肩に腕をまわし。

「そうと決まれば、練習日程と台本の調整だ!近所の小学校で公演が決まっているからね。」

 楽しそうにこれからのことを語り始めた。

『私なら、面倒なことはしない。』

 前方へ一歩踏み出す音がした。して、しまった。

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