chapter-2
どんな顔をして、どんな声で、なんと挨拶をすれば良いのかと色々考えていたわたしだった、が。
「ハイヤ~!ようこそ、待っていたわ。貴女が日陰ね、私の名前はマリーよ。さあさあどうぞ上着を脱いで入って。」
想像以上に陽気なホストファミリーのおばさんによる出迎えに押し負けてしまい、間抜け面でこう返すのであった。
「は、はいやー…。」
「お疲れでしょう。紅茶を淹れてあるわ。もちろんセイロンのストレートよ。」
「あ、ありがとうございます…。」
母音がはっきりとしたイギリス英語。大学の外国人講師は米国人だったので、実際に生で聞くこのは少なかった。
「さあどうぞ座って、飲んでちょうだい。」
「あ、ありがとうございます…。」
促されるまま、シーツを乱さないよう慎重にソファに腰掛ける。横長で少し硬い質感の黒いアームレスソファだ。頂いた紅茶に口を付けるが、まだ熱くて喉に通すのが怖い。冷ましては失礼だと思い、注射でもするみたいに目を力強く閉じて、カップを恐る恐る傾けた。苦みと熱が、口の中で混ざる。
「美味しい…。」
「そう、よかったわ。あ…申し訳ないけれど、おばさんこれから夕飯の支度をするから外すわね。適当にくつろいでいてちょうだい。あと、アンナと仲良くね。」
マリーさんは息継ぎもせず、早口にもならず、ゆったりとした特徴的な口調でそう言い切り、わたしの礼も聞かずにさっさとキッチンの方へ去ってしまった。長旅の疲れも相まって、その言葉を全て咀嚼するには少しの時間を要した。要したあとで、一つだけ思う。それは、突如述べられた人名。
「アンナ…?」
「何。」
思わず出た独り言に素早く反応したのは、マリーさんでも乗務員でもなく、中学生か高校生ぐらいの少女であった。 どうやらたった今二階からリビングに降りてきたみたいだ。
「あっ、えっ、ええっと…。」
予想外の知らない人登場に対し、必要以上に吃るわたし。嫌な汗が額をくすぐる。
「だから、何。名前を呼んだのに用がないの?」
どうやら、彼女がアンナさんその人らしい。客観的に見てわたしは今とても無礼な事をしているのではないだろうか。人の名前を呼び、気づかれ、沈黙。今わたしの目の前に立ち塞がるのは言葉の壁ではなく、単純にコミュニケーション能力の低さであった。
「日本って、理由もなく人の名前を呼んで黙ることがマナーなの?変わった国ね。」
思い切り嫌味のような何かを言われてしまい、わたしの額は更に熱を帯びた。どう探しても、あんなに勉強したはずの英単語が何も出てこない。目線を逸らそうにも、アンナさんの春の早朝みたいに青く綺麗な目が、わたしを逃そうとしない。そしてようやく喉を通った声は。
「う…うぅ…。」
酷く日本人らしい悲鳴であった。