chapter-10
公園沿いの歩道で凧を引く、十歳くらいの子どもが視界に映った。凧は風に流され、人の手で糸を引かれ、それらの折り合いに従って飛び進む。その行き先は決して、凧自身の意思に左右されることは無い。為す術もなく、ただ人為と自然の言われるがままに、決められた方向へ行くことしか出来ないのである。
「よし、ここらで休憩にしようか。」
「先輩、今日も頑張りすぎですよ。お水どうぞ。」
「すまない、ありがとう。」
コートニーさんとスカーレットさんの親しげな雰囲気に入り込めず、勝手に練習会場としてしまった公園のベンチに腰を置き、少し慣れない味のお茶を飲むと、春の日差しがペットボトルを茹で、ぬるい熱が手のひらに伝わった。伝わった熱は血管を進み、進み、進み、脳を打つ。打つと言っても、授業中に眠りこけた学友を起こすような、優しげのある軽い打撃だ。打撃はいづれ消え失せ、太陽の温かさは風の冷たさに吹き飛ばされる。北風と太陽は、場合によっては北風が勝つ。絶対じゃないけど、多分そうなんだろうなと、ただ思う。
「浮かない顔をしてどうした。」
コートニーさんの滑らかなブリティッシュイングリッシュが、公園の芝生をなびかせる。
「いえ、少し疲れただけです。練習は楽しいですから…。」
楽しいというのは、事実だ。だが、疲れたというのは事実を通り越して、写実に近い。わたしが劇団コスモスに一時加入して一週半ほど過ぎた。相変わらずわたしは気弱で陰気、ロンドンの春は天候の変化が激しく、アンナさんは少し粗暴。変わったことといえば、本格的に履修登録が始まったことだ。短期留学とはいえども、大学同士の大きな交換留学プロジェクトだ。講義内容も、しっかりと広い選択肢が設けられている。広ければ広い程いい、という訳でもないのだが…。それに加え、劇団の方は一昨日に近くの小学校で公演があり、明日はその隣の幼稚園で園児と交流しつつ絵本の読み聞かせがある。コートニーさん曰く…。
『日本には大学や高校に学校直属のクラブがあるらしいが、英国では珍しい。我々も学校と関わりはあるものの、個人運営だ。だから、地域と繋がるには積極的に自分から行動しなくてはならないのだよ。』
とのことで、今日はその練習をしていた。絵本の読み聞かせなんて、演劇よりむしろ経験が少ない。それに、小さな子どもに楽しんで貰えるようにするのは、とても難易度が高く思える。子どもというのは、大人よりも難しいものだ。それでも、わたしはやらなければならない。やると言った以上。自分を認めてくれたあの二人のために、出来るだけ善処する必要がある。それはまるで受験勉強のような、一種の焦りが由来する使命感によるものであった。わたしの意志では、ないのかもしれない。わたしは凧である。ふたりの期待と、自分の使命感の狭間で揺れ動く、決定力不足のない凧である。言葉の壁よりも、心の壁を破れない…破ろうと出来ない、優しい相手に甘えることも出来ない、そんな凧なのである。
『あのさ…少しは学習したら?』
"壁の声"が、脳のしわを縫った。本当に、その通りだ。




