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沙羅双樹  作者: 九JACK
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和菓子屋

 誰かいい腕の者にでも書いてもらったのか、そこには力強くありながら、絶妙な掠れで和菓子屋の雰囲気を存分に出した「白雀(しろすずめ)」という暖簾がかけられていた。紫地に白文字。そこは由緒正しく、百年以上続く老舗の和菓子屋だった。

 いつもここに来ると咲希は緊張してしまう。ここの主人は厳格な頑固者で、口の聞き方を間違えると、死ぬんじゃないかというほど説教される。咲希は説教されたことはないが「未熟者」と嗜められる父を何度も目撃している。

 父曰く、実の両親よりも白雀の主人に怒られる方が怖いそうだ。咲希は怒られたことはないが、やはり身持ちが固くなってしまう。

 それでも腹を括って中に入る。

「ごめんください」

 すると中には店番をしていた婦人が一人。黒髪黒目の大和撫子。着物姿が板についている。

「あら、咲希くんじゃない。いらっしゃい」

弓枝(ゆみえ)さん、お久しぶりです。旦那さんはいますか?」

「あら、主人に用なんて珍しいわね。奥にこもって新作作りに勤しんでいるわ。季節の変わり目ですから」

「そうですね。もうすぐ冬です」

「まだまだ秋よ」

 咲希は先日誕生日を迎えた。まだ秋の終わりとまではいかないまでも、晩秋は近づいてきている。

「この間のもみじのお菓子はみんな気に入ってましたよ。母さんと百合音は食べるのが勿体ないって言ってました」

「ふふ、主人が喜ぶわね。さて、そろそろ主人を呼んできますね」

「あ、いえ、個人的な用事なので、俺が挨拶に向かいます」

 そう、ここには雨野家の当主としてというより、雨野咲希個人としてやってきたのだ。自分で行かなければならない。

 弓枝に通され、厨の奥に向かう。

 やがて出た中庭の縁側で、手帳とにらめっこする白髪混じりの男性がいた。その眉間には大量のしわが寄っており、考え事をしているようにも見えるが、普通に考えると、不機嫌に見える。

紅鷹(こうよう)さん、お久しぶりです。雨野咲希です」

 すると、かけていた眼鏡を取り、不機嫌面のまま、咲希に濃い紫の目を向ける。険しい眼光。本人にそのつもりがなくとも、睨まれているような気がする。紺色の作務衣を着た彼こそ老舗和菓子屋「白雀」の現当主、鈴鹿(すずか)紅鷹である。

「何の用だ?」

 見た目に違わず、不機嫌そうな声が返ってくる。妻や、ここの常連に「コミュ障」と呼ばれる紅鷹。どうも、笑みを作ることができないらしい。それで客商売でやっていけるのは、妻の弓枝の存在と、常連が愛嬌と流してくれるからだろう。

 鈴鹿の家は特に特別な能力を持つ者が生まれるわけでもないし、雨野家の血縁でもない。ただただ、先祖代々懇意にしている、という感じで付き合いが続いている。

 現当主の紅鷹は険しい表情と雰囲気で人を遠ざけているような節があるが、本当は、素直な言葉、単刀直入な流れを好むだけなのだ。

「今日は、お願いがあって来ました」

「ふん、どんな願いだ」

 咲希も紅鷹の気質を理解しているため、単刀直入に本題に入ることにした。

「俺を、ここで働かせてください」

 丁寧に腰を折り曲げて頭を下げる。

 現在、雨野家の家計は火の車だ。父が死に、母の稼ぎと父が遺した貯金で食い繋いでいる。

「お前、それがどういう意味になるのかわかって言っているのか?」

「はい」

 職人気質な紅鷹は妥協を許さない。弟子入りを志願するなら、容赦なくびしばし育てるし、時間をこの和菓子屋のためだけに捧げさせる。

 つまり、中学までは義務教育だから仕方ないとしても、高校からの学校生活の時間はなくなる。

 現代では、大体どんな職に手をつけるにしても、最低でも高卒でないと受け入れてもらえない。つまり、咲希は学歴を捨ててまで、手に職を就けることを優先させていることになる。

「父は死にました。そうしたら、母しか働けない……となると、俺が普通に高校まで通ったんでは、母を過労死させかねません。だったら、俺は働けるところで働かないと」

 咲希の目を紅鷹は見つめる。どこまでも本気の目。職人である紅鷹が最も好む覚悟の伴った顔をしていた。

 そんな決断を、まだ中学生なのにするのか、と思った。だが、こういう職人としての技術を磨く必要のある仕事はそれくらいの年齢から挑まねばならない。つまり、それ以降の人生をたった一つのもののために潰さなければならないのだ。

 ほう、と息を吐く。そんな決断を齢十と少しでできるとは、と感嘆したのもある。ただ、こんなに真っ直ぐな目的しか見据えていない目を見るのは久しぶりだった。

 紅鷹と弓枝の間にも子どもはいるが、家を継ぐ気はさらさらないようだ。別にそれでかまわない、と紅鷹も弓枝も容認していた。この代で老舗を終わらせてしまうのは惜しいことだが、倅だからといって肩身の狭い思いをさせたくなかった。

 紅鷹は自分の気難しい気質を理解していた。だが、理解しているからといって、直せるようなものでもない。故に弟子入り志願者が来ても早々に裸足で逃げ出すほどの厳しさで接してしまう。息子にそんな思いをさせたくなかった。自分の思いを押し付けてしまうのはよくない、と。

「……覚悟は、しているな?」

「はい!」

 間髪入れずに返ってきた咲希の返事に、微かに微笑む。気づかれない程度だが。

「条件がある」

「条件、ですか」

 安心したのも束の間、咲希は気を取り直して姿勢を正して条件を聞いた。

 紅鷹が提示した条件は明快だった。

「学校が終わってからでいい。毎日店に来い。雑用からでも金は払う」

「!! はい、ありがとうございます!!」

 紅鷹は再びふ、と笑った。普通なら、文句を垂れてもいいような手厳しいはずの条件にこんなにすぐに答えられるような人物……雨野咲希が働く、というののは、今までの有象無象とは違った生活ができるかもしれない、と思った。


 家に帰り、咲希は今日あったことを夕飯の最中に報告した。

「ええっ!? 兄ちゃん、あの白雀のおじさんのところで働くの!?」

 あのおじさんおっかないのに、と語るのは次男の勇貴である。こらこら、と早苗に叱られ、咲希に顔に米粒がついていることを指摘され、勇貴は顔を真っ赤にした。

 そんな勇貴を竹仁がからかう傍ら、無表情で黙々と食べる松子、対照的にかなり心配そうな百合音。梅衣は食べかけでどこかに行ってしまった。人格交替が起き、「肉じゃがじゃあ!!」と喜んでいたところから一転、「……人参、嫌い」と去ってしまった。人格ごとに好き嫌いが違うというのも奇妙な話だ。これが「数多の魂を抱える」ということなののらなんとなく納得がいく。

 そこで母の早苗が、ごめんなさいね、と咲希に謝る。

「本当はどうにかして、お母さんがみんなを育てなきゃならないのに……」

「母さんが気にすることはないよ! 俺は羽織を父さんからもらったときからみんなを守るために頑張るって決めてたから」

「だったら俺も兄ちゃんと一緒に働く!」

「勇貴はまだ小学生だろ」

「それを言ったら、咲希お兄様もまだ中学生でしょう」

 松子の指摘に咲希は苦笑いする。

「まあ、普通からしたら、色んなことを早く決めすぎてるのはわかってるんだけどな。ほら、まつは病気になること多いし」

 すると、松子は押し黙った。慌てて咲希が謝る。

「ごめん、まつが悪いっていうんじゃないんだ。ただ、誰かが病気にかかったとき、懐に余裕はあった方がいいと思うんだ」

「……じゃあ、僕も中学卒業したら働こうかな」

「え、竹仁?」

 意外なところから声が上がり、咲希がきょとんとする。咲希以外も、百合音以外はみんな驚いていた。

 凝視された竹仁はふいっと顔を背ける。

「冗談だってば。ほら、ゆり姉はわかってるじゃん」

「……そうね」

 百合音が竹仁と話を合わせているように見えるが……珍しいこともあったものだ。

「明日は槍でも降るのかな」

「こら勇貴、失礼だぞ」


 だが、それはあながち間違っていなかったのだ。

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