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沙羅双樹  作者: 九JACK
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着物屋

 着物屋「細石(さざれいし)」は、雨野家が懇意にしている着物屋である。昔は「夢野屋」とも呼ばれていた。

「いやはや、お待たせ致しました」

 出てきたのはざっくばらんに切られた黒髪に炎のような橙色の目を持つこの着物屋の主人。先程の瞳の夫でもある。

「お久しぶりです。努夢(つとむ)さん」

 鮎川努夢。これが細石の店主の名前である。細石は雨野家と同じくらい由緒のある家で、細石を継ぐ者の名前には「夢」の文字を入れる慣わしとなっている。故に、昔は「夢の」とか「夢野屋」とか呼ばれていたらしい。

「おう、親父さんの葬式以来か。ということは、咲希くんが新しい当主になったのかね?」

「え、その話はもう随分前ですが……」

 そこで、咲希はふと振り返る。齢十で一族を背負う当主になって、現在は十三歳。継いでから、三年も経っているように感じられたが、端から見れば、三年しか経っていないし、こないだまで前当主だった咲希の父が存命だったわけだから、父が亡くなって、雨野家の当主が咲希になったと考えるのは自然である。

 無理に否定することもない。父が存命の間、咲希が当主らしい動きをしたかというと、そうでもない。新しい当主に咲希がなった、と知り合いの家に報告に回ったが、咲希はまだ義務教育只中の子どもだ。子どもが一族を背負うなど、本気で取り合っていた人は少ないのかもしれない。

 これからは正真正銘の当主として堂々と振る舞わなければ、と咲希は居ずまいを正す。

「知り合いの前くらい、気負わなくていいんだよ。まあ、これは瞳にも散々言っているのだが」

「瞳さんは昔からあんな感じだったと父から聞いています。会話してくれるだけ今の方がましだと聞いた覚えがありますよ」

 瞳は「雨野」の姓だった時代から、他人を信用しない人間だったという。親兄弟にすら口を利かない、難儀な子だったそうだ。本当に誰とも話さないレベルで、父はそんな妹の扱いに困っていた、と咲希に話していた。

 咲希は瞳が「細石」の家に嫁ぐ前から知っており、あまり警戒された記憶がない。だが、見ていて、警戒心が強いことはわかった。あの頃は、何故だか咲希にしか心を開いていなかった。そのことを咲希の父はしきりに不思議がっめいたが。


「もしかしたら、咲希は異常者でも能力者でもない、けれど不思議な力を持っているのかもしれないな」

「不思議な力?」

 幼い咲希に父はそう言った。

「人を好きになる力、だよ。きっとね、瞳には、心から好きになってくれる人がいなかったから、純粋に瞳のことを『綺麗だ』とか褒めることができる咲希の純粋さがわわかるんだよ。私たちの両親は他の兄弟のことでいっぱいいっぱいで、一番末の瞳のことをまともに見てやれなかった。親にばかり非があるわけではないけれど、誰も瞳と純粋なありのままの心で向き合うことができていなかったんだ。だから瞳はあんなになってしまったのかもしれない……でも、咲希は最初の壁を打ち破ってくれたから、大丈夫だろう」

「大丈夫って?」

 咲希が見上げると、父は苦笑気味に伝えた。

「人っていうのはね、大事なことの始めの一歩を踏み出すのが大変なんだ。瞳にとっては『他人を信じる最初の一歩』がなかなか踏み出せなかった。その始めの一歩が踏み出せてしまえば、案外と簡単にその後はできてしまうんだ」

 ありがとう、咲希、と頭を撫でてくれた父の大きな手を今でも咲希はよく覚えている。


「お父さんの言い付けを覚えているなんて、やっぱり咲希くんはいい子だねぇ」

「ありがとうございます」

 うーん、と努夢が唸る。

「おじさんにはなかなかできないから、羨ましいよ」

 努夢は鮎川家──着物屋『細石』を背負って立つ当主である。それは『細石』と雨野家が懇意である所以であり、つまるところ……鮎川家も能力者の家系ということである。

「確か、不思議な布を織る力ですよね」

「まあ、最近は機織りなんてなかなかしないけどねぇ……雨野の当主のそれを直したりするのなんかも、特殊な力のおかげだし、それはご先祖さまが作ったものらしいし……雨野家が消えないうちは、この家も絶やすわけにはいかないからねぇ」

 かつて、雨野家初代当主逸夜が、当主の証として何か欲しいな、と思っていたところ、夢夜(ゆめや)という弟が、機織りをして作ったのが、市松模様の羽織だと伝えられている。

 夢夜にも能力があったらしく、彼の織る布には不思議な力が宿ったという。それが「神様の声を聞く力」として市松模様の羽織に宿っているそうだ。

 言ってしまうと、鮎川家と雨野家はご先祖さまで繋がった遠戚というわけだ。

「まあ、夢夜さまは姓を兄と同じにしなかったそうだ。妙な能力だと疑われ、逸夜共々異端視されたという謂れもある。逸夜に迷惑をかけたくないから、雨野の姓を名乗らなかった──兄弟思いのいい人だよ。

 ただ、それと同じものを求められてもねぇ……」

 確かに、夢夜ほどの心を持つのは大変だ。だが、夢夜は『細石』にとっての誇りでもある。

「でも、能力は努夢さんに受け継がれたんですよね」

「そうじゃなきゃこんな名前してないよ」

 夢夜は自分の能力が兄の一族のために続いていくことを願った。だからこそ、自分の子孫には「夢」という文字を使った名をつけるようになった。

 努夢も「つとむ」と読むだけだったなら「努」の一文字だけでよかったのだが……

「……証が『目』っていうのがねぇ……」

 努夢は柔らかな炎のような橙色の目を持った。それは夢夜の能力の継承者の証らしい。確かに、努夢の父も、こんな色の目をしていた。

「目の色だけで色々と期待されるのは困るよ」

「ですかね」

 咲希にはやはりその苦労がわからない。咲希は能力者ではないから。能力を求められるというのも、疎まれるのとはまた違った苦しみがあるのだろうとは思うが。

 そう、能力や異常は忌避されるばかりではない。あるところでは馬鹿みたいにあげ奉ったりしている。それは今も昔も同じだ。

 能力者は考え方によっては「神様に愛された者」として丁重に扱われる。昔は、人々の信仰心が強い場所もあったから、そこで「神様の遣い」「使徒」などという扱いを受け、時の権力者よりも良い生活をしていた者までいるという。

 夢夜はそういった類の勧誘を避けるために、表向きは着物屋として仕事を始めたのだろう。

 あまり神様に近い存在として扱われることも幸福ではないようだから。

「それで、今日はどういった用だい?」

「用というほどの用ではないのですが、雨野家の当主として改めて挨拶に来たのと、これから近いうちにお世話になるかもしれない、ということを伝えに」

「ふむ?」

 予知能力者でもいたかね、と問う努夢に咲希は答えない。これは絶対予知の能力者であるソカナを守るための処置だ。必要以上に情報を広めてしまえば、ソカナの能力はどんな扱いを受けるかわからない。それこそ、神様扱いされるかもしれないし、避けることのできない予知だと人々が知ったら、悪魔扱いすされるかもしれない。そういうことを防ぐために雨野家の当主というものは存在する。

 それに「人の口に戸は立てられないという故事成句が存在する。一つ所から情報が漏れたら、瞬く間に噂というものは広まってしまう。故に、それが親族であっても、安易に話すことはできないのだ。

 いじめなんかが簡単に起きる世の中だ。ソカナも生きづらかったことだろう。

「そういえば、妹さんたちに新しい着物……袿だけでも見繕ってあげたらどうだい?」

「あはは、商売魂逞しいですね」

 雨野家には今、お金がない。毎日を家族で暮らしていくだけで精一杯なのだ。着物を買う余裕もない。

 ……中学を卒業したら、働かないといけないな、と咲希は思い、次の目的地を決めた。

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