手鞠家と咲希
それから、水樹からかまれた傷を手当し、母から話を聞いた。
「手鞠家にいって、ソカナさんに会ってあげなさい」
「ソカナさんにですか?」
手鞠ソカナ。絶対予知、という能力を持つ雨野家の分家の人物。会ったことがないわけでもない。
「でも、改まって会うなんて」
「家、今、水樹のことが明らかになったからこそ、やはり、会いに行くべきだと思います。お父さんもいなくなって、あなたが当主になったことを知らせにいくべきです」
「……それも、そうですね」
家の家訓にある。能力を持っているもの、異常性を抱えているものはみな、見捨ててはいけない。そんな家訓。故に、異常性を持ったもの、特に分家のものなら、当主として挨拶に回る必要がある。
「じゃあ、今度の休みに手鞠家に行ってみます」
手鞠家は確か、母子家庭で、ソカナが長男、妹にアカネという声の出ない少女だったはず。ソカナは咲希と同じくらいの年頃だったはずだ。そこそこ財産が分与されていたらしく、いい家に住んでいる。
土曜日、手土産を持って手鞠家に向かった。
大きい日本家屋の屋敷。日本庭園が印象的だ。池には何も住んでいない。珍しい家だな、と前にも思ったことを思い返した。鯉くらいいてもいいだろうに、と毎回思う。
「お邪魔します」
「あ」
ちょうど、庭木を弄っていたソカナに出くわす。少し、長めの髪は肩くらいに切り揃えられている。
「こんにちは」
どうも、と軽く頭を下げるソカナ。
「……あれ、その羽織……」
「あ、はい。父から譲り受けました」
それを聞くと、ソカナが顔をゆがめる。まあ、絶対予知の能力で、咲希の父の死を知っていただろうから……
「本当は、十歳の時には、この羽織もらっていたんですが」
「え?」
「おそらく、何か予兆はあったんだと思います」
父は病気で死んだ。羽織を受け継いでから三年だ。もしかしたら、ソカナが予知する前に何らかの兆候を自分で感じ取っていたのかもしれない。だから、咲希に羽織を託した。
「ソカナさん、だから自分の能力を気に病まないでください」
「咲希さん……」
……そういうことにでもしないと、ソカナは絶対に気に病んでしまう。異常者を守る誓いを立てた身としては、ソカナの心を守らなければならないと思う。
「……とりあえず、中にお入りください」
「ありがとうございます」
中に入ると、とてて、と足音が寄ってきた。
ソカナと瓜二つに見える、茶髪と菫色の瞳。服は色違いでお揃いにしているらしい。ソカナの妹のアカネだ。確か年は、梅衣と同じくらいだったはず。彼女は生まれつき声帯が壊れていて、声を出すことができない。
アカネはとてもソカナのことを好いているようで、隙あらばずっとソカナの傍にいる。声に出してねだれない分、態度があからさまだ。咲希はそれを微笑ましく思っている。妹に甘えられることがないので、実はちょっと羨ましかったりもする。きっと何の異常性もない妹だったなら、こうして直に甘えてきたのだろうか。……なんて、夢物語に浸ってみたり。
「こんにちは、アカネちゃん」
「……」
アカネは持っていたペンで、メモ帳に何やら書く。そこには。
『こんにちは』
「おお」
咲希はアカネの頭を撫でる。ちょっと擽ったそうに首をすぼめるアカネ。メモ帳にはまだ拙いが、確かに言葉が書かれていた。
「アカネは喋れないから、読み書きは早いに越したことはないんだよ」
「そうだね。でももう始めているのか。偉いな」
咲希は笑みをこぼす。同じ年頃の梅衣なんか、読み書きの練習どころか、まともな会話も難しいというのに、というと、アカネは自慢げに胸をそらした。褒められてうれしいのだろう。ふふ、と咲希も笑みを深くする。
「……アカネと梅衣ちゃんが仲良くできるといいんだけど。同い年だし」
咲希に代わり、アカネの頭を撫でていたソカナがそうこぼす。
「まあ、確かに同じ年頃の友達がいるのはいいと思う。……でも、梅衣とは、難しいかもね」
梅衣は多重人格である。それも生まれながらにして、で、原因は不明だ。雨野家で児童虐待なんてことがあるわけもなく。どうしてかわからないが、多重人格者として、梅衣は生きている。家族でさえ、多いときには秒単位で変位する梅衣の態度についていくのは難しい。
ソカナが悲しげな表情をする。
「……次の子は数多の魂をその器に抱え、生まれる」
咲希はその呟きに首を傾げた。どういう意味だろうと思っていると、ソカナが説明してくれた。
「梅衣ちゃんが生まれる前に、君たちのお母さんを見て、出た予知だ」
「……それは、どういう意味ですか?」
ソカナが首を横に振る。
「僕にもわからない。けれど、暗に多重人格者が生まれてくる予知だったという予想ができるだけだ」
確かに、捉えようによってはそう聞こえる。数多の魂……たくさんの人格が、梅衣に宿っている、ということになる。
「ソカナさんのせいではありませんよ」
咲希が宥めるが、ソカナは納得していないようだ。
「ソカナさんの能力は、つらいものかもしれません。けれど、ソカナさんが望んでそうなったわけじゃないことくらいはわかる。だから、自分を責めないでください」
「咲希さん……」
ね、と微笑む。
ソカナがつられて微笑む。それならよかった、と。
「じゃあ、とりあえず、お茶をお持ちしますね」
ソカナが茶の間まで案内してくれ、台所に向かう。部屋には先とアカネが残される。
「ええと……」
『さきさん』
メモ帳が差し出されている。そこにはつらつらと色々な文字が書かれている。
『わたしはめいちゃんがすきじゃありません』
「……へ?」
唐突すぎて、目を丸くする。
『わたしは、おにいをこまらせるめいがすきじゃありません』
「おにい……?」
『ソカナおにいのこと』
ふむ、と頷く。
そういえば、梅衣にもいろいろな呼ばれ方をしているな、と思いながら先は微笑ましく思う。
『ソカナおにいをこまれせるやつ、きらい』
「え? でも、梅衣に悪意は……」
『わかっています』
でも、とアカネは綴った。
『でも、でも……わたしは、わたしはおにいをうばうかもしれない、あのひとが、きらいです』
ああ、と思った。そういうことか、と思った。
兄弟愛が深いのだろう。咲希は目を細めた。
「大丈夫。どんなに梅衣とソカナさんが仲良くなっても、アカネさんがソカナさんが兄弟じゃなくなることはない」
キョトンとするアカネ。
それから、目を細め、にっこりと笑った。
『ありがとう、さきさんはすき』
「ありがとう」
にこやかに微笑む。
「ん? 仲良くなってる?」
「えっと?」
にっこりと微笑むアカネ。
「よかったね」
それからお茶を飲んで三人で歓談した。