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沙羅双樹  作者: 九JACK
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危惧

 竹仁が手紙を残して姿を消した。その手紙の内容は衝撃的な事実ばかりが並べ立てられていて、咲希も勇貴も動揺したが、それより、竹仁がどこに行ってしまったのか、という不安が勝る。

 ──まるで遺書みたいじゃないか。

 そう思えるくらい内容から不穏さが伝わってきたし、竹仁がいかに自暴自棄な状態かもこれでもかというほどわかった。

 まつと竹仁がどういう関係か、なんてことは咲希には関係ない。身の内に鬼を潜めている水樹も、たくさんの魂を抱える梅衣も、竹仁の理論だといてはいけないことになる。けれど、そんなことは断じてない。そう言い切れる。

 生まれた以上は大切な家族であることは揺らがない。竹仁には伝わらないかもしれないが、咲希にとって家族や兄弟は守るべきものである以前に、愛おしいものだからこそ守りたいと思うのだ。

 当主だからという義務感だけで人を大切にするものか、と咲希は僅かに憤慨する。が、それも大きくはならない。竹仁はまつについては例外のようだが、竹仁はまつと同じく、基本的に何も思うことがない。普通の人間に見えるように、人間の真似事をしているだけで、彼は異常性を抱えている。

 たくさん話し合わなければならないだろう。竹仁は吐露したくないかもしれないけれど、苦しんでいるのなら、少しでも共有して、少しでも竹仁が息をしやすいようにしたい。それでは駄目だろうか。

「とにかく、探しに行こう。まずは警察屋さんに相談して、俺は山の方に行くから、勇貴は川の方を頼めるか?」

「オーケー。というか、見つけたら連絡するから、兄ちゃんちゃんと携帯持ってね」

「あっ」

 咲希はあまり携帯電話に慣れていないため、まず持ち歩くところからスタートである。

 羽織の内側の懐部分に携帯電話を入れて、咲希は家を出た。外は雨である。

 母の早苗にだけ話を通してきた。百合音は精神が不安定だから、竹仁の手紙を見ただけで、自殺の二文字がよぎって不安になるだろう。まつは何も反応しない可能性が高いが、おそらく竹仁はあの手紙をまつに一番見られたくないはずだ。

 人が最後に行く場所は山か水場というのが一般的である。今日の雨を知っていたのなら、川を選びそうな気もするが、生憎、交番は山の方向にある。

 警察の人に手伝ってもらえたら、人手も増えて、心強いのだが……


 竹仁は、雨の中を歩いていた。普段は洋服を着ているが、今日は和服だ。和服の方が布面積が多くて、水をよく吸うだろう、と。素材も選んだ。体を重くしたかった。

 体が重くなって、雨に埋まって、溶けて、消えたい気分だった。べちゃべちゃと足を踏み出すたびに水が跳ねて、袴を濡らす。足袋がぐっしょりと濡れていたが、そのことを何とも思わない自分がいた。

 消えてしまおう、と思った。雨だから、人気はないけれど、人に見つかりたくなくて、ぺちゃぺちゃと歩いた。当て所などなかったけれど、川に足が向いていた。

 梅衣の人格が言っていたことが正しいかどうかなんて、どうでもよかった。竹仁にとって重大なのは、竹仁がまつを傷つけたという事実のみ。手紙はその理由づけに過ぎない。

 もし、竹仁がいなくなることで、まつの安全が確保されるなら。まつが健全に生きられるのなら。まつが普通になれるのなら。竹仁はそれ以上のことを望まない。

 思った以上に、自分のことがどうでもよかった。

 むしろ、自分が死ぬだけで済むのなら、とても簡単だ。こんなに早くに気づけてよかったとさえ思える。

 川が見えてきた。竹仁の五感はもう正常に作用するのをやめていたようで、川が増水して轟々と流れているはずなのに、音が聞こえない。雨もざあざあ降っているはずなのに、雨音が聞こえなかった。自分の足音もわからない。雨が当たって頬を伝っていく冷たさも感じない。唇を伝って、口の中に入る雨粒の味もわからない。竹仁は全てをやめていた。ただ、川に沈めば、もう二度と上がってこなくて済む。まつを傷つけるやつを確実に一人消せる。そんな思いだけで、川に入ろうとした。

「やめろ!!」

 突然、声が聞こえて、視界が流転した。やっと川に辿り着いたのに、反対方向に引きずられる。

「死ぬな、竹仁。死ぬな馬鹿」

「ゆ、き、にい……?」

 掠れた声がその人物を呼ぶ。振り向くと見知った予想通りの顔が泣いていた。

「勇貴兄、なんで泣いて……?」

「お前が遺書みたいなの置いていなくなるからだろ馬鹿!」

 語尾に馬鹿をつけないと気が済まないのか、探したぞ馬鹿、心配かけるんじゃない馬鹿、生きろよ馬鹿、など散々罵倒された。

 馬鹿、がついているから罵倒に聞こえるだけで、勇貴は竹仁を励ましているのだが。

「帰るぞ馬鹿」

「……なんで?」

 竹仁は呆然と呟いた。

「まつに乱暴をした僕を打ったのは勇貴兄でしょう?」

「そうだよ、悪いことしてたからな。この馬鹿」

「まつに乱暴した僕は死ぬべき」

「極論すぎるわ、馬鹿!!」

 今までで一番大きな声がして、竹仁は耳がきーんとなった。

「なんでまつがちょっとやそっと傷ついたくらいで、お前が死ぬんだよ、馬鹿。お前にとってまつはそれくらい大事かもしれないけどよ、罰を受けるべきとか考えるのかもしれないけどよ、それがどうして死ぬ一択なんだよ、馬鹿!」

「だって、僕がいるとまつが」

「生きるか死ぬしか選択肢がないのかよ、馬鹿!!」

 勇貴は竹仁の襟首を掴んで怒鳴った。

「そもそもお前の論理の根拠はなんだよ。それが正しいかどうかもわからないのに、お前はまつを残して行くのか?」

 勇貴の言葉にはっとする。

 まつのためと言いながら、まつのことを全然考えていないことに気づいた。

 けれど、冷静になれば、まつが何も思わないことくらい、すぐにわかった。心を虚無で埋め尽くされているまつに、感情なんて存在しない。だから彼女の心は不変で、揺らぐことはない。

「お前がいなくなったところで、まつが普通になれる保証もないのに!!」

「……ぇ」

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