夢夜と梅衣
「おでかけ? また梅衣と?」
咲希は帰宅すると、その話を百合音に振った。
「今度は細石さんに。梅衣の羽織を作ってもらおうと思って」
「でも、梅衣に鬼が憑いているんでしょう?」
百合音の言う通りである。梅衣に憑いている鬼は水樹の鬼より危険だ。それなら、梅衣に守りの服を着せるのではなく、他の家族に着せた方が良いのでは? というのは当然の疑問である。
実際、細石の努夢に作ってもらった羽織のおかげで咲希は無事で済んでいるのだ。
「いや、少し試したいことがあるんだ。努夢さんにも相談してあるんだけど、梅衣が着ることで、鬼を内側に抑え込めないかって」
努夢、ひいては鮎川家に代々伝わってきた夢夜の能力は、鬼に効果があることだけは確かだ。そのおかげで椿姫や殺萠などの鬼狩りが助けられたのは事実である。
ただ、その効果というのが単に鬼の攻撃を和らげるものなのか、弾くものなのか、といった仔細はわかっていない。内側に抑え込めるかどうかというのも賭けの要素が強い。
だが、わからないのなら試行錯誤あるのみ、ということで、努夢も協力してくれることになった。
「もしくは鬼狩りさんたちの力を強める効果かもしれないし、そう仮定すると……」
「なるほど、鬼の魂より、鬼狩りの椿姫さんたちの魂の方が強くなるかもしれないのね」
「うん。仮説だけどね。何も試さないよりはいいと思うんだ」
困ったときに手助けしてもらえる。異常者とか、そういうのは関係なく。そういう場所を築くために、雨野逸夜は神に願い、夢夜は逸夜と違う道を歩むことにしたのだろう。
こうして、どこかで道が交わることを願いながら。
その夜、咲希は不思議な夢を見た。
「……努夢さん?」
努夢によく似た痩身の着流しの青年が星空を見ていた。満天の星。地面は水面のように透明で、星の光を反射し、瞬いている。
咲希の声に反応して、努夢によく似た青年は咲希を見た。
「はじめまして、雨野家の新しい当主」
「えっ」
努夢じゃないのは声でわかった。努夢より年若そうな少年の声だったのだ。声だけなら、女性とも判別されそうな、そんな声。
「おっと、先に名乗らないとね。私は鮎川夢夜。君のご先祖の弟だ」
「あなたが……! 雨野咲希です」
咲希が腰を折ってお辞儀をすると、夢夜はいいよいいよ、と優しく咲希の肩を叩いた。
「畏まらなくていいよ。本当はもっと早くに君に会いに来るべきだった。けれど、なかなか君に繋がらなくてね。羽織の力は変わっていないはずなのだけれど」
「羽織……この羽織ですよね?」
夢夜はゆらりと頷く。
夢夜と逸夜は概念としての鬼の活動が活発だった時期に生まれた。夢夜は不思議な力を持ち、忌まれ子とされた。
「私が持つのは幾重もの布のような力。当時は不思議の力を御す術に優れた者が多く生まれる能力者の黄金期でありながら、能力者は疎まれた。何故かわかるかい?」
「人と違うということを気味悪く感じた人々が排斥したからですか?」
うーん、と夢夜は首を傾げた。
「それもあるけれどね。人々は当時、今よりも神様のことをよく信じていたんだ。神より与えられた命を全うすることこそ人生の使命と考えていた。
そういう人々からするとね、只人ではない能力を持つ者は人間ではなかったんだよ。それが増えて『人間というものが排斥される』と危機を感じて、排斥される前に排斥を始めたんだ。神の御意志でなければ、自分たちが生き残る、と」
「そんな……」
やられる前にやる、というのは咲希の性根では到底考えられない話だった。何もしていない人々を排斥するなんて。
「そもそも、能力者を人間と思っていないんだ。神様から力を賜りし者、ということで、丁重に扱われた時代もあった。けれど、時代が変われば、人々の思想も変わる。少数は大多数に塗り替えられる。能力者が大多数になってしまうのを恐れて、少数のうちに排斥する。人間が取った行動は、良くも悪くも、人間のその先の有り様を決めた。それに抗ったのが兄上だ」
兄上、と口にするとき、夢夜の口元が仄かに綻んだ気がした。きっと、兄である逸夜のことを夢夜は心から敬愛しているのだろう。
とても美しいものを見ている気持ちになった。夢夜は表現するなら、桜のような儚さと強かさを持ち合わせていた。
「兄上は私を見捨てなかった。きっと、年子だったのもあるでしょう。私の力を理解し、手を差し伸べ、同じ境遇の者を助けよう、と幼いときから考え、考え抜いて、祈ったのです」
異端の者を我が一族で引き受けるから、自分の一族以外に生み出さないでくれ。
雨野家に伝わる逸夜の始まりの物語だ。雨野家の始まりの物語である。
「一人で全部受けようとした兄上を、私は助けた。そんなの、できっこないって知っていましたから。……何もわかっていない兄のために私が作ったのがその羽織です」
「じゃあ、今、俺があなたと話せているのは、夢夜さんの能力なんですか?」
「そうだね。……ああ、なるほど、梅の子が力をつけているのか」
梅の子、と言われてぱっと思いつくのは梅衣だ。松子、竹仁、梅衣は松竹梅、三人で一つの連なりになるように名前がつけられた。
夢夜は幾重もの布のような力、と言った。もしかしたら、それは梅衣がいくつもの魂を一つの体に宿していることを示しているのかもしれない。
「私は生まれ変われないことを引き換えに、永らく続く強大な力を細々と紡ぎ続けることを選びました。けれど、何事も永遠ではない。おそらく、次の贄が決まったのでしょう」
「にえ?」
「気にしなくていいです。……梅の子を大事にしてあげてくださいね」
「待ってください」
咲希の叫びも虚しく、急速に意識がその空間から遠退いていくのを感じた。
贄って……
その疑問を口にできぬまま、咲希は暗闇へ深く深く、沈んでいった。




