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沙羅双樹  作者: 九JACK
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夢夜の技術

 咲希は白雀でいつものように仕事をしていたのだが……

「咲希くん、咲希くん、ちょっと」

「どうしたんですか? 奥さん」

 奥さんに呼ばれ、店の奥に行くと、開口一番「ごめんなさいね」と謝られた。

 差し出されたのはいつも着ている羽織。水色と藍色の市松模様の羽織が、なんとぱっくり裂けていた。

「自分でも何がどうなってこうなったのかわからないのだけれど、衣装棚から落ちたと思って拾ったら、こんなことになって……繕おうと思ったのだけれど、確か夢屋さんのところで作ってもらっている特別製だったと思って」

「あ、いえ、わざわざありがとうございます」

「もしよければ、主人には言っておくから、今からでも夢屋さんとこに行ってらっしゃいな」

「いえ、でも、仕事を抜けるのは……」

「頭が堅いやつだな、咲希坊」

 はあっと明らかに大きな溜め息を吐いて現れたのは店の主人の紅鷹だった。いつも通り、眉間に幾重ものしわを刻んだ気難しい顔で、咲希をじいっと見る。

「いいか? 咲希坊はうちの店員である前に雨野の当主じゃ。雨野の当主の証がこの羽織じゃ。この街は雨野なくしてないも同然。そちらを優先せい」

 そうだった、と咲希は居ずまいを正す。

 雨野逸夜の逸話は地域限定かもしれないが、地域限定だからこそ、地域に根づいたしきたりのようになっている。

 雨野家の当主ということは地域の顔、と思われていることを意識しなければならない。紅鷹が咲希に言わんとしていることは、そういうことだ。

 父も、街の中を歩くと、色々な人に声をかけられていた。それはあの羽織を着ていたからだ。

「では、いってきます」

 それに、雨野家と夢屋──細石が親戚関係であることも、昔からの習わしである。雨野逸夜のルーツを知っていれば、羽織の持つ意味も知っていることだろう。

 社の神の言葉を聞くには、この羽織に特殊な力を込める必要がある。その役目を細石の店主は負っているのだ。

 咲希は受け取った羽織を見る。ひどい裂け方をしていた。背中が斜めにざっくりと。

 あれから、いじめには遭っていない。おそらく、小明と交流があることから、避けられるようになったのだろう。ヤクザの組長の娘は正に触らぬ神である。咲希はだからって小明を避けることもないだろうに、とは思うが、やはり「ヤクザ」というと怖いものというイメージがあるのは否定できないため、無理に否定することはなかった。

 咲希は無意識で、きっと気づいていないことだが、咲希は少しずつ、変化してきている。優しすぎるところは相変わらずだが、それも柔らかくなってきたのが窺える。

「こんにちは!」

「お、咲希くん?」

 細石に入ると、出てきたのは努夢だった。瞳は夕飯の買い出しだという。

 咲希は早速努夢に羽織を見せた。ひどく裂けた羽織を見て、努夢は嘆くことも何もなく、ただじっと、羽織の傷口を見る。

 そのオレンジ色の目が不思議な光を灯していた。もしかして、努夢がこの店を継ぐに至ったとされる鮎川家に伝わる能力で見ているのだろうか。

 あまりに沈黙が続くので、咲希は不安になって口を開いた。

「あ、あの、直りますか?」

「……ん? ああ、ごめんよ。ちょっと集中してたや」

 努夢は頭を振ってから、苦笑いして続ける。

「これ、この前と違って、人間の仕業じゃないねえ」

「え?」

 人間の仕業じゃない。その言葉に、何か予感を覚える。その言い方は羽織が擦れて破けたとか、そういった自然現象ではないことを暗に示していた。

 ああ、と努夢は説明する。

「逸夜さんと夢夜さんはこれを共有してないのか。……っていうか、たぶん、この『目』がなきゃ見えないから、仕方ないよな……咲希くん、これはな、鬼の引っ掻き傷だ」

「……鬼!?」

 まさか、ここでその呼称を聞くとは思っていなかった。

「そう、鬼は鬼でも、酒呑童子とかそういう妖怪の鬼じゃなくて、概念と呼ばれる見鬼の才があっても見えない存在だ」

 見鬼の才。幽霊や妖怪などが見える、所謂霊感というやつだ。霊感があれば鬼は見えそうであるが、恐怖の概念としての鬼は特殊らしい。

「昔には、この辺は概念の鬼が蔓延っていたらしくてね。陰陽師とか、祓い人とかでも祓えないのが概念の鬼だったんだ。そのために秘密裏に作られたのが概念の鬼を狩る鬼狩りの組織、紅屋だった。紅屋の鬼狩りは概念が見える特殊な目の持ち主が揃っていたらしいが、女衆ばかりでね」

 女ばかり、と聞いて、梅衣の中にいる鬼狩りを名乗る人物を思い出す。椿姫も殺萠も名前も含め、おそらく女性だろう。

 ただ、長曽根組も鬼狩りと関わりがあったというから、男手がなかったということはないはずだが……

「概念を見る目というのは、どうも女性が発現しやすいらしくてね。しかも変わった目の色をしているから、当時は人から浮いたそうだ。で、うちのご先祖さん……夢夜さんが、男性で唯一、概念を見る目を持っていた。だから紅屋から助力を請われていたんだよ」

 どうやら、鬼は切って退治するらしい。だが、大前提として、見えなければどうにもできないのだという。

 小明も長曽根の家では鬼憑きの人間を介錯するのが主な仕事だと言っていた。介錯とは自害の痛みを長引かせないために、首を切る役だ。残酷な役目である。

 極道のような裏稼業だからこそ、長曽根がそういう闇の部分を担ったのだろう。鬼が見えなくても、人は人を切ることができる。

「それで、夢夜さんはどうしたんですか? 呉服屋になったということは……」

「ああ、鬼狩りにはならなかった。場合によっては人を殺す仕事になるというので、心苦しいとのことだった。鬼狩りでさえ、鬼の憑いた人を切ることしかできない場合があったそうだから」

 その代わり、と努夢は羽織を示した。

「与えられた力で、紅屋の人たちが鬼に傷つけられないように、服を仕立てたんだよ。それが評判になって、今まで続いてるのさ」

 夢夜は支えることを選んだ。兄の逸夜のことも、支えるために分家となった。

 それらが、代々受け継がれて「今」に繋がっているのだ。

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