鬼と長曽根
うーん、と咲希は学校の図書館で唸った。
というのも、図書館で「鬼」について調べていたのだが、昔話に出てくるような一般的な鬼や地獄の獄卒としての鬼くらいしか本には記載がないのだ。椿姫が語った「恐怖」という概念を半具現化した「鬼」という概念について書いてある著書はない。
咲希は博学でも速読でもないため、僅かな資料しか読めていないが、それでも埒が明かないこと、これ以上はないことは一週間もかければ十分にわかった。
梅衣と水樹のことを少しでもわかりたかった。二人が今後、普通の生活を送れるようにするためには、家長である咲希がその異常性を理解している必要がある。
もちろん、いつか勇貴に言われたように、家族にも頼る。頼るためには情報の共有が必要だから、こうして情報収集を試みているのである。
しかし、行き詰まってしまった。学校の休み時間くらいしか咲希には調べる時間がないのだ。放課後は白雀での仕事があるし、それを休むわけにはいかない。今、雨野家の稼ぎは早苗と咲希だけなのだ。まだ小学生の弟妹たちに頼めるようなことでもない。
「あら、咲希くん。溜め息なんて吐かれて、どうなさいましたの?」
「長曽根さん」
呼び掛ける声に驚いて振り向くと、静かに佇んでいたのはクラスメイトの長曽根小明だった。
大和撫子を体現したような容姿と立ち居振る舞いの麗人である小明だが、彼女には隠された一面がある。それがこの辺を取り仕切る裏組織「長曽根組」のお嬢であるということ。これは半ば皆が察しているが。
もう一つ。おそらくこちらは咲希しか知らないことだ。──長曽根組は雨野家が取りこぼした異常者たちの行き着く場所であり、小明もまた、能力者であるということ。
小明の能力は名前を呼んだ人間を引き寄せること、または名前を呼んだ人間の側に現れること、である。その神出鬼没性もあり、小明は長曽根組のお嬢という疑惑は持たれていても、それを確信にはしていない。
今も能力で現れたんだろうか、と咲希は考えかけたが、すぐに考えるのをやめた。思考停止した、というよりは、聡明な小明がそんな愚行をする理由がないと判断したからだ。
小明が校内で一種、テレポーテーションのようなことをしていれば、生徒の誰かしかに目撃され、学校の怪談が一つ増え、尾ひれはひれが存分について、学校中に広まっているはずだからである。
能力者や異常者を匿うのなら、長曽根組にもそれくらいの心得はあるだろう。
「調べ物が上手くいかなくて」
「まあ」
小明は淑やかに口元を押さえる。
「咲希くんはお忙しい御身であせられるのに……何を調べていらっしゃるのです? 私でお力添えができることであれば良いのですが」
なんで忙しいことを把握されているんだろう、と思ったが、そういえば、先日小明の御付きで、長曽根組の組員である咲実と白雀で対面したのだった。咲実の口から、咲希が白雀で働いていることが語られていても何らおかしくない。
そして、あ、と思いつく。
長曽根組は「はぐれもの」の集う場所。それなら、荒唐無稽とも思える伝承の一つや二つ、伝わっているのではないか。
「鬼について、調べていたんだ」
「鬼、ですか」
小明の声が潜められた。これはもしや、と咲希は続ける。
「俺の妹と弟が、鬼に憑かれてるんだ。だから退治できないかなって」
「鬼憑き、ですか」
「知ってるの?」
小明は微笑む。
「恐怖というものが概念化した鬼という概念に取り憑かれた人間を始末することが、長曽根組の仕事の一つですから」
咲希は始末、の一言に息を飲む。
「こ、殺すの……?」
「はい。概念的存在である鬼を引き剥がすのは難しいです。遥か昔、鬼狩りをしていた人間ですら、やむを得ず手にかけるという手段しか取れないほどに。鬼がその人の人格を乗っ取っているのなら、尚更。人格を乗っ取らない鬼も稀に存在しますが、圧倒的に少ないです。そんな鬼に憑かれた人間も、最終的には自分の存在そのものが怖くなり、自害を選ぶものが多くいます。残念ながら、鬼を引き剥がす術が現代にはないので、介錯をするのが長曽根組の手法です」
淡々とした説明に、咲希は胸が痛くなる。つまり、梅衣と水樹を解放する手段はないということ。解放するには、殺すしかない。
探せばあるのかもしれないが、梅衣の小学校入学まで、もう時間がない。悠長なことは言っていられなかった。
「でも、鬼狩りについての資料なら、我が家にあるかもしれません。有益そうな情報を探してみましょう」
「あ、ありがとうございます」
小明の言葉に咲希の心に光が射した。
長曽根組とはあまり関わりを持たない方がいい、と言われたけれど、情報収集ができるのなら、その善意に甘えようと思う。
前に進むために。




