鬼との戦い
「フフ、カハハハハッ」
梅衣の姿を借りた鬼が高笑いする。
「ソコナムスメハヨイキョウフヲハナッテイル。ココチヨイ、ココチヨイ。ハハハッ、ワレ、ココニアリジャ! イマイマシイオニガリモ、ワレノイシキニオシツブサレトル。コッケイコッケイ!」
鬼。
梅衣の中にいる鬼狩りを名乗る人格、椿姫と殺萠から聞いていた、恐怖を糧とする概念的存在。梅衣の中にもいると聞いていたが、まさか、まだ幼い梅衣の腕で百合音の肩を抉り取るほどの力を持つとは、思いも寄らなかった。
動けるのは母と百合音しかいない。倒れているまつと、まだ幼い水樹は守らなくては。
百合音は怖くて仕方なかった。自分がしっかりしなくちゃいけないのに、怖がったら逆効果だとわかっているのに、人を害することを享楽とする鬼の存在に怯えることしかできない。弟妹たちを守らなきゃいけないのに。
そんな感情の振れの激しい百合音に、鬼は目をつけた。
「フフフ、ヘヘヘ、ソコナムスメ、キニイッタ。チコウヨレ」
「え」
「ホレ」
鬼はそこにいるのをわかっていないかのように、まつを踏みつけにする。百合音はたまらず悲鳴を上げた。
「やめて!」
「ハハハッ、ヨイ悲鳴ジャ。モットキカセロ」
百合音はぶるぶると震えていた。体が上手く動かない。鬼に飛びかかる勇気が足りない。
けれど、鬼をまつから退かせなきゃ。
そのとき。
「ソカナ」
幼子特有の甲高い声が、少し舌足らずに、名前を口にした。百合音が振り向くと、母が奥に逃がしていた水樹がよちよちと歩いてきて、その名前を連呼する。
「ソカナ、ソカナ、テマリソカナ、トモダチ」
「ナッ……」
鬼がソカナという名前を聞いて頭を抑える。後ろにすとん、と尻餅をついた。じたばたと足掻く。
「ナンジャ、ナンジャ!? ワレハシラヌ! ナゼ、ナゼ、ソンナ、ソンナ、マダマダマダマダアバレタリヌ。ナゼ、モドッテコラレル?」
百合音の耳に、ふと声が聞こえた。
『やめろ、やーめーろ! そんなことしたら、梅衣がソカナに嫌われる。やめろ!』
それは梅衣の声だった。たくさん人格がありすぎて、どれが本当の梅衣、つまり主人格かなんてわからなくなっていたが、一人称が自分の名前であるあたり、年相応らしくて、おそらく、これが本当の梅衣なのだろう。百合音は心の声を聞くから、直感的にわかった。
本当の梅衣は優しい子。ほんの少し、人より心が歪だけれど、家族思いというには独り善がりだけれど、友達のソカナのことが大好きな愛嬌のある子。
ソカナの名前を聞いて、梅衣が目覚めて、鬼と戦っているのだ。
その事実に、百合音は奮い立つ。一つ、深呼吸を置いて、梅衣の体に飛びつき、まつから引き離す。
「ハナセ、ハナセ、コムスメガッ」
「駄目だよ、梅衣。人と話すときは、人の名前を呼ばなくちゃ。私は小娘じゃなくて、あなたのお姉ちゃんの百合音。あなたが踏みつけにしていたのはあなたのお姉ちゃんの松子。人を踏みつけにしちゃ駄目だって、ソカナさんに言われなかった?」
「ヤメロォ! ソノナマエ、ワレガワレデ、ナクナル……」
百合音は梅衣の襟首をぐい、と掴んだ。強い色の金の目は怖いけれど、百合音はそれをぎっと睨み据える。
「あなたは梅衣よ! 鬼なんかじゃない。私たちの妹!! 目を覚ましなさい!!」
百合音はぐ、と手に力を入れて、鬼の頬を思い切りひっぱたいた。気付けだ。
暴力を振るうのは嫌いだ。暴力を振るう人が嫌いだから。でも、百合音はそもそも自分があまり好きじゃない。だから、今更少し嫌いが深くなったところで、痛くも痒くもない。そう言い聞かせた。
問題は梅衣だ。これで戻ってくれればいいのだが。今の百合音に二発目の平手はきつい。肩を抉られた方の手だから、もう力が入らなくなって、痺れている。
「ゆ、ゆりねえ、くゆしい……おろして……」
「梅衣!」
百合音は梅衣が元に戻ったのを察して降ろし、梅衣を抱きしめた。抉られた肩がずきん、と痛むが、戻ってよかった、という安心が勝る。
と、安心してきたところで、視界がぐるぐると回って、百合音は直立できなくなってきた。倒れたのにも気づけないまま、ぱたり、と床に倒れ伏す。誰かの声が聞こえる気がするが、誰の声なのか判別がつかない。
まあいいか、頑張ったよね、私……と思いながら、百合音は意識を闇の中に委ねた。
「いや、何事」
「これは……夕飯どころじゃないな」
戻ってきた勇貴と咲希が居間の惨状に絶句というか、諦めのような感情を浮かべる。
具合悪そうに寝そべっているまつ。血を流して倒れている百合音。百合音を手当てする早苗。こちらはこちらで阿鼻叫喚があったのだ、と察してあまりある。
早苗が二人に気づき、苦笑する。
「竹仁は?」
「寝かせてきた。今日は目が回るなあ。……あれ、水樹起きてる」
「騒いじゃったからね」
などと会話していると、てちてち、と梅衣が勇貴の着物の裾を引く。
「たけじ、大丈夫?」
「ああ。目が覚めたら、またゆっくり話そう」
「おはなし! 梅衣、もっこり山のもこもこさんがいい!」
「何それ……」
相変わらず梅衣の言うことは訳がわからないが、ようやく一息吐けるようだった。




