弟妹たちと学校
僅か齢十にして一族の当主になった咲希。けれどやはり義務教育は受けているため、学校には通っている。
ただ、現代社会においていつも和装で登校している咲希は奇異の目線を向けられていた。父から受け継ぐこととなった羽織を着ていった日には、何人かのクラスメイトが目を剥いたくらいだ。何人かの女子はお洒落、などと呟くが、洋服が主流の現代ではやはり目立つ。まあ、今までも藍色の甚平で来ていたのだからそう変わりはないと咲希は思うのだが、鮮やかな藍色と水色の市松模様はやはり人目を引いた。
「どうしたんだ咲希」
一応私服校で、何を着てきてもかまわないのだが、教師も戸惑う。それに対し、咲希は不思議そうに首を傾げる。
「え、父から受け継いだものですけど……」
「受け継いだ!?」
「家の当主になった証として」
「当主!?」
いやいや、小学四年生が言うようなことではない。そもそも当主が云々という話は現代ではよほど昔からの由緒ある家でないとない。明らかに咲希の説明不足なのだが、小学四年生で十歳になったばかりの子供に正確に話せというのも酷な話である。
実際、咲希の発言を聞いてその意味を正確に理解しているクラスメイトは少ない。
「え、咲希くん当主ってすごいね!」
そんな声をかけたのは咲希とはまた違った意味でクラスから浮いている長曽根小明である。小明が駆け寄ったことにより、咲希の周りに集っていた者たちが後退る。
小明の親、というか一族は有り体に言ってしまうとヤクザである。小明は特に何も言っていなかったのだが、腕に思い切り刺青を入れた父親が授業参観に来たとき、教室のほとんどの人間が察した。ちなみに咲希は全く気にしていない。小明にも家の事情があるらしいことまでは察しているようだが、普通に小明と接している。コミュニケーション能力が化け物だ、と教室の一同は思っていた。
小明はハイライトのない緑色の目に光の色や角度で色が違って見える紫色の変わった髪の持ち主だ。人懐こく、明るい少女なのだが、目にハイライトがないため、笑顔がなんだか怖い。故に、誰も彼女に自分から声をかけに行こうとはしない。そんなのは咲希だけである。怖いものなしなのか、と一同は咲希のことも恐れたが、咲希がただただ器量が大きいだけである。その証拠に小明だけでなく、クラスの誰にでも平等に話しかけ、親しい人間も多い。小明と普通に話しているだけで引き気味の人間も多いが。
「うーん、変かな」
羽織を羽織った自分の姿を眺めながら、自信なさそうに言う咲希。それに対してぶんぶんと首を横に振る小明。すごく似合ってるよ、と声を弾ませている。
「それならよかった」
微笑む咲希に卒倒寸前の小明。あからさまだなあ、と思いながら遠巻きにその光景を眺めるクラスメイトたち。……公認の秘密なのだが、どうやら小明は咲希のことが好きらしい。咲希は全く気づいていない様子で、ご愁傷様としか言えないが。
確かに、咲希は誰にでも分け隔てなく接するから、人から好かれるほうの性格ではある。クラスメイトたちも小明のようにあからさまな態度に示さないだけで、咲希のことは好ましく思っている。ただ、小明が近くにいるため、とっつきづらき感じているようだ。
それに、二年生には咲希の妹である百合音がいる。百合音の存在も咲希を遠巻きに見てしまう理由になっている。
二年生、百合音の教室では、百合音は完全に異端児扱いを受けていた。
百合音には生まれついて、常人とは違う能力が備わっている。それは人の本心を読み取る能力。どれだけその人が取り繕っていても、嘘を並べ立てても、心の奥底で何を考えているのか、百合音にはわかってしまうのだ。そのせいで百合音は人と接するのを怖がった時期がある。今だって得意とはいえない。けれどそんな百合音が学校に通うようになったのは、咲希が真剣に百合音の能力と向き合ってくれたからだ。咲希が学校にいることもあって、百合音はある程度の安心感を得ている。
また、能力のことを抜きにしても、百合音は浮いていた。咲希と同様の理由だ。彼女も和服で登校しているのである。桜色の着物に黄色菊の帯、桃色の羽織。きちんとした和装の彼女は咲希以上に目を引いた。
ただ、その衣装は女子から羨望の眼差しを向けられ、男子も和服女子にうっとりしていたりする。能力のことを踏まえると、これでプラスマイナスゼロだったりする。ただ、やはり近寄りがたい存在として、誰かに声をかけられることもなく、百合音自身も誰かに声をかけることもなく、友達は存在しなかった。
百合音が一年生だったころは、百合音の能力のことを不気味に思っていじめてくる人間もいた。そこを修正したのが咲希である。妹を守り、身を挺していじめを止めた。あまりにも一所懸命な咲希に感化されたいじめっ子たちは、咲希に言われるがままに「心を読まれるのが怖いのなら、百合音と関わるな」という言葉に従って、百合音の日常に平穏をもたらした。
咲希の心配事はそれでも尽きなかった。来年に入学してくる弟の勇貴は特に何の異常も持たないため、普通に生活できるだろう。だが、問題はその後、咲希が小学校を卒業した後に入学してくる竹仁と松子だ。
竹仁と松子は、心に虚無を抱えている。言い方を変えると、心の中で何も思うことができない。それは、本心を掬い取れる百合音が、何も読み取れないほどに。竹仁はへらへらとした調子を繕って誤魔化しているが。
何より気がかりなのは、二人が入学するころには咲希は中学に入学することとなり、小学校への干渉ができなくなるのだ。いじめられても助けることができない。まあ、何も感じない二人が、いじめに苦しむことはないだろうが、二人は何も思わないからこそ、他者を傷つけてしまう可能性があるのだ。心無い言葉を平気で紡ぎ出してしまう二人が、加害者になってしまうことを咲希は恐れた。
が、そんな懸念も吹き飛ばすような存在が咲希の傍にいた。
「兄ちゃん、兄ちゃんが卒業した後は、僕が兄ちゃんが全然心配しなくていいくらいに頑張るから!!」
そう意気込んだのが、弟の勇貴だった。
勇貴は兄弟の仲でも兄の咲希に対する尊敬の念が強い人物だった。異常性を持たない自分だからこそ、兄一人きりに背負わせるようなことはしない、と誓っていた。
咲希は弟妹たちを守ろうという意識で動いていたから、勇貴が協力してくれることに申し訳なく思っていた。勇貴もまた、咲希が守ろうとしている弟妹の一人なのだから。
けれど勇貴は言った。
「兄ちゃん、僕たちは兄弟なんだ。確かに兄ちゃんが背負った一族を守るって言う使命を兄ちゃんが守るのは大事だよ。でも、一人で背負うのは違う。家訓にもあるでしょ? 『家族を見捨てるな』って。それは兄ちゃんだけが守らなきゃならない家訓じゃないよ。だから僕は、兄ちゃんのことも守りたいって思う」
その言葉にはっとした。
雨野家家訓。
一つ、異常者を見捨てぬこと。
一つ、家族を見捨てぬこと。
一つ、己を捨てぬこと。
この三つの家訓を咲希はしっかり自分の胸に刻んでいたつもりだった。けれど、勇貴の指摘に、頬を張られたような気分になった。
己を捨ててはいけない。弟妹から見れば、自分も家族なのだから。
「ありがとう、勇貴。じゃあ、二人で背負っていこう」
「うん」
そうして咲希が卒業し、中学校に入学した年、
水樹という新たな兄弟が生まれ、病で咲希たちの父がこの世を去った。