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沙羅双樹  作者: 九JACK
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人間じゃない

 うわあああ、と逃げ出した同級生を見送って、竹仁はくすくすと笑う。

「あはは、ちょっと脅かしただけなのに」

 人間って面白いなあ、と竹仁は笑う。自分も人間だろうに。勇貴や百合音がいたら、そう言ったことだろう。

 竹仁より年上の兄姉は少し鈍い。能力面で百合音は敏い部分があるが、そういうことではない。生き物としての物の見え方が違うのだ。

 自分がどういう生き物か、どう人間と違うかに関しては梅衣の方がよほど敏感だ。それは梅衣自身が、人間という枠組みに収めておくにはおかしな性質をしているからだろう。人間一人の体の中には一つの魂しか存在しないのが普通だ。便宜上、梅衣の中に生きる魂たちを「人格」と呼びはするが、梅衣の多重人格は病的なものではない。一つの体の中に数えきれないほど多くの魂を抱えている。たくさんの魂を抱えられる器。それが梅衣だった。

 病的ではないが、人格がころころ替わる不安定さを見るに、梅衣の体には人格交替の負担が確実に蓄積されている。そうしたらいつか、梅衣の中にいる人格たちは崩壊を起こすことだろう。

 そんな状態で尚、保ち続けている梅衣の体が強いのだ。

 水樹。末っ子の弟も、きっと敏いはずだ。梅衣とは似て非なるが、水樹もまた自分の中に異なる魂を持つ。鬼というらしいが……基本が人間からできている百合音などとは違う。竹仁、まつ、梅衣、水樹はそもそも人間とは違うのだ。人間の形をしていても。

 だから、異変に気づけない。竹仁はそのことに特に思うところはなかったが、百合音がその事実に気づいたときに絶望するのだろうということはわかった。そうしたら、竹仁は人間の真似事をして姉を慰めるのだ。きっと滑稽なことだろう。

 姉のことも、他の兄弟のことも、竹仁は体面上、微笑ましく眺めるけれど、胸の内ではどうでもいいのだ。

 まつのことだけが竹仁の関心事である。

「たけじ、くさい!!」

「こら、梅衣、お兄ちゃんに向かって失礼だろう」

 このやりとりも見慣れたもので、見飽きたものだ。どうやら梅衣は竹仁のことが嫌いらしい。竹仁を多くの魂が嫌っている。おそらく、梅衣はわかっているのだ。竹仁の歪んだ願い、望み、至高。それが一般人の感覚からすれば、非常に醜いものであることを。

 それを「くさい」と表現する。その真意を梅衣を諌める勇貴はわかっていない。

 ちなみに、勇貴は梅衣に「甲斐性なし」だの「意気地なし」だのと散々な呼ばれ方をされている。理由はわかる。恋愛面において、勇貴は奥手で、女の子からそこそこの人気があるのに、普通の女の子に普通に接することができない。百合音、梅衣、まつは家族だから大丈夫だけれど。

 勇貴は勇貴で、自分がどう思われようとかまわないといった感じだが、それはあくまで一般人としての心構えの範囲で、だ。かまわないと思っていても、傷つくときは傷つくし、嫌なときは嫌だろう。勇貴は人間だから。

 竹仁は違う。人間の形をした別な生き物だ。

「三組のまつこちゃんが倒れたって」

「あの子よく倒れるよね。体弱いのかな」

 クラスメイトの言葉が耳に入り、竹仁は教室を飛び出す。

 保健室をノックすることすら忘れ、がらりと扉を開いた。養護教諭がぎょっとした顔をするが、竹仁はお構い無しだ。

「まつ」

 声をかけると、カーテンの敷かれたベッドから、漣のような声が聞こえる。

「お兄さま……」

 その声を聞いて、竹仁の中を歓喜が駆け巡る。まつにお兄さまと呼ばれるのはこの上ない幸せだった。竹仁は自分のことを「竹仁」という人間だと思っていないため、名前でなく、役割で呼ばれる方がしっくりする。

 竹仁はまつの兄だ。双子の兄。唯一無二の存在だと「お兄さま」という敬称が肯定する。

「まつ、どうして倒れたの?」

「わかりません」

「栄養失調による立ちくらみじゃないかな」

 お前には聞いていない、と言いそうになったが、やめた。まつは自分では自分のことがわからないため、他者の見立てを聞くしかないのだ。

「雨野竹仁くん、だよね? 大丈夫、少し寝れば治るよ。ただ、まつちゃん、少食だから、栄養が足りないのかも。でも無理に食べるのはストレスになるし、このまま続くようなら、病院に行くことを勧めるよ」

 竹仁は病気じゃないんだよな、と思う。まつが少食なのは、まつが竹仁より深い虚無にあり、食事を必要と思わないからだ。竹仁と双子のまつもまた人間ではない。虚無に呑まれた何か、だ。

 本来なら、人間として生まれてくるべきではなかったところを、人間に生まれて、更には竹仁と二人に分かれてしまった。それゆえの不調だ。

 一刻も早く、まつをこの不自由から解放してやりたい。それが竹仁の唯一の願いだ。

 まつ以外はどうでもいい。

 その他大勢の有象無象なんて、竹仁は気にしてなかった。兄弟でさえ、他人で、有象無象だ。

 まつさえ生きていればよかった。他に何もいらない。

 自分自身でさえも。

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