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沙羅双樹  作者: 九JACK
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水樹の音

 風呂焚きで遅れた咲希が母の部屋に着て、度肝を抜かれた。それもそうだろう。母と妹が抱き合って泣いているのである。すたーん、と障子を慌てて締めて、咲希は台所へ急いだ。

 女性の涙の理由を聞くのが野暮なことくらいは咲希も知っていたし、百合音にも早苗にも、泣きたいときや、泣く理由だってあるだろう。傷ついている人間の傷をつつくような趣味は咲希にはない。

 お湯とタオルを持ってきて、部屋に入った。

「百合音、お待たせ。ほら、顔拭いて。母さんも」

「うう、お兄ちゃん……」

「ありがとう、咲希」

 百合音が泣くのはよくあることだが、気丈な母が泣くのを咲希は初めて見た気がする。

 経緯はわからないけれど、確信していた。この涙は優しさからくる涙だと。母が優しいことを咲希はよく知っていた。だからきっと百合音も人のために泣ける優しい子に育ったのだと信じている。

 咲希は父の背や面影を見て育っているので、母や百合音とは感覚が違う。それを寂しいとは思わない。きっと違うことはそれぞれに良さがあるということだから。

 先祖の逸夜もそういう思いで今の雨野家を築いたのだろうと思う。

「それで、お兄ちゃん、どうしてお母さんの部屋にわたしを呼んだの?」

 百合音が顔を拭いて落ち着くと、咲希に訊ねた。咲希はタオルを回収しながら答える。

「百合音に、水樹のことを見てもらいたくて」

「え? 梅衣が張り切っているのに?」

「あ、お世話とかそういうのじゃなくて」

 咲希は百合音が出かけていた間に起こったことを話した。

 梅衣の人格の一つは水樹の中にいる「鬼」について、何か知っている様子だった。それなら梅衣に聞いた方がいいのかもしれないが、一秒でも目を放せば人格交替が起こっているような子どもである。梅衣の特定の人格を引き出すのはまずできないだろう。梅衣の様子からするに、人格交替は任意ではないようだし、人格たちも表に出たくて出ているものではない。人格交替とは事故のようなものだ。

 そうして梅衣のことを考えているうちに、咲希が閃いたのが、百合音の能力に頼ることだ。百合音の人の心の声を聞く能力は、梅衣が喋れない赤子だった頃から、人格の交替を敏感に感じ取っていた。もし、水樹と水樹の中にいる鬼が梅衣の多重人格のように複数の魂が折り重なってできている一人だとしたら、百合音の力で見抜けるのではないだろうか、と。

 百合音の能力を利用する形にはなってしまうが、もし、鬼の方が自我を持っている場合、止める方法があるかもしれない。

「なるほど……お兄ちゃんの考えはわかったよ。でも、そんな上手いこといくかしら……?」

 百合音は自信なさげだ。それもそうだろう。百合音は望んでこんな力を持ったわけではないし、自在に操ることができるのなら、苦悩も苦労もないのだ。

 そんな百合音の肩を叩いて、咲希は励ます。

「大丈夫。何か聞こえたときに、教えてくれるだけでいいから」

「うん」

 百合音は小さく頷く。

 咲希は中学生でありながら、一家の家長になろうとしているのだ。家族のことを把握して、まとめて、大難を小難に、小難を無難にしていこうとしている。

 それはおそらく、今、咲希にしかできないことだ。けれど、百合音の耳に聞こえる兄の心根はその苦難を誇りとしている。使命感もあるが、家族のことが大切で、好きだから、みんなを支えられる立場にあることが嬉しいようだ。

 それはそれで異常だよ、と百合音は思う。普通の中学二年生は、家を背負ったりしない。これがまだ成人が元服と呼ばれていた時代なら違っただろうが、現代でないのは確かだ。長男として兄弟を引っ張っていく、くらいはまだ自然かもしれないが、咲希は父代わりになろうとしている。高校にも通わない気だ。そんな決断を迷いもなくして、一切の疑問も抱かない。

 咲希はまだまだ子どもだから、これから先どんな災難が待っているのか、想像力が欠如している部分はあるだろうが、それさえはねのけるほどの清々しさが咲希の中にある。

 お日さまみたいだ、と百合音は思った。

 それから目を閉じ、耳を澄ます。赤ん坊の細い吐息。そこに集中してみる。なんとなくの感覚なので、成功する保証は一切ない。それでも、この兄のためならば、と百合音は思うのだ。

 はっと目を開けた。

「呼吸音が、一つ多い……」

「え?」

「水樹から、二人分の呼吸の音がするの。梅衣のいっぱいいる感じとはまた違う……これは、水樹が起きないとわからないけど、水樹と鬼はたぶん……共生状態……同時に表に出ているんだと、思う」

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