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沙羅双樹  作者: 九JACK
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百合音と早苗

 百合音が帰ってくる頃には事態も落ち着き、咲希たちも落ち着いていた。が、百合音の能力は逆にその安堵の感情から、何かあったことを悟ってしまう。

 それでも、百合音は気丈に振る舞った。初めて会う叔父という客もあったし、百合音にとって何より怖いのは竹仁だった。

 竹仁のことが怖いというのは咲希にも相談したことがある。怖いというか、苦手。双子のまつと同じく、心の中が空っぽで、何も思っていないはずなのに、口先が達者で怖い。

 それを竹仁のことが嫌いな梅衣には打ち明けている。卑怯だと思う。記憶の引き継ぎが上手くできない多重人格の梅衣に、自分の心の醜い部分を押しつけているのだ。梅衣は、どうせ覚えていないから、と。

 ……百合音はそういう自己嫌悪に陥りやすい子だった。

「百合音、少し相談があるんだ」

「どうしたの、お兄ちゃん」

 兄の咲希が自分に相談なんて、どきりとした。七人兄弟の中で、百合音は咲希に次いで年上である。それに心を読む能力の利便性は高い。咲希はいつも申し訳なさそうにする。

 兄に利用されることは、別によかった。それは悪用では絶対ない、と信用できるからだ。だから、申し訳ないとか、思ってほしくない。

 それをするりと口にできたなら、百合音も思い悩むことはないのだが、残念ながら、簡単にはいかない。そのことがひどくもどかしい。

 誰かに自分の気持ちを知られる恐ろしさ、誰かの気持ちを知ってしまう恐ろしさを百合音は誰よりも知っていた。梅衣の中のいくつかの人格に「辛気臭い娘じゃ」と言われたことがある。その通りすぎて、何も返せない。

「相談があるから、夕飯を食べ終わったら、母さんの部屋に来てくれ」

「今じゃなくていいの?」

「ああ。説明すると、時間がかかるから」

 もうすぐ夕飯の時間だった。

 雨野家では家族全員、いつも決まった時間に揃って、夕飯を食べる決まりがある。常に全員が揃うわけではない。咲希は白雀で働きながらなので、遅くなる日もある。それでも、できる限り、みんなでごはんを食べよう、という決まりがあった。

 喧嘩をしていても、気まずくとも。尤も、性質上「気まずい」なんて感情を抱くのは、咲希、百合音、勇貴の三人だけだ。竹仁とまつは何も思わないし、梅衣は情緒不安定、水樹はまだ赤ん坊である。

 ふと、水樹を見た。母に抱かれて眠っている水樹。彼も一年か二年経てば、それなりに喋るようになるのだろうか。赤ん坊だった梅衣はたくさんの魂のせいで、流暢に喋ることがあった。竹仁とまつは何も思わないので、滅多に泣かない赤ん坊だった。竹仁は他の子どもと交流するようになってから、よく喋るようになったけれど。水樹はどんな風に成長していくのだろうか。

 ソカナの予言で鬼が憑いていると聞いた。水樹は普通の子に育つことができるのだろうか。

 梅衣に懐いているのも、少し心配だ。不安定な子どもに赤ん坊を預けるものではない。けれど、梅衣も唯一年下の兄弟なので、お姉さんぶりたいのはあるのだろう。

 楽しそうにしているのを見て、複雑な心境になる自分のことを百合音はやはり責め苛んでしまう。そんな百合音の心情こそが、雨野家の中で一番複雑怪奇なのだ。

 複雑怪奇な百合音と何もない竹仁は衝突しがちだった。咲希や勇貴が仲裁に入ってはくれるけれど、竹仁が苦手なのは治らなさそうである。

 水樹はせめて、接しやすい子に育ってほしいが……

 夕飯を食べ終え、片付けを終えると、百合音は咲希に言われた通り、母の部屋に向かった。咲希はおらず、母の早苗が水樹を寝かしつけていた。

「お母さん、水樹、夕飯の前からずっと寝ているけど、大丈夫なの?」

「そうねえ。心配だけど、夜泣きも子どもの仕事よ」

「それじゃあ、お母さんが休まる時間がないじゃない!」

 百合音が嘆くと、早苗はそっと微笑んだ。夜空にそっと佇む月のような微笑みだ。

 百合音はくっと息を飲んだ。すごく、嫌な予感がする。こういうとき、百合音の能力は暴走し、知る必要のないこと、知りたくないことまでをも百合音は知る羽目になるのだ。

 百合音は咄嗟に耳を塞いで、踞る。それくらいしかできることがない。耳を塞いだところで、目を逸らしたところで、人の心の声は百合音の中に脈打つのだ。無駄な抵抗を嘲笑うように。

 百合音は、泣き出したくなった。自分が何を聞いてしまうかが、怖くて。どうしようもないことが、情けなくて。

 百合音が竹仁を苦手なのには、もう一つ理由がある。コンプレックス。百合音にはできないことが、竹仁にはできるからだ。人の心の声が聞こえることに対策を取れない百合音。一方、竹仁は心の中が空っぽでも、人を見て、学ぶことで、「普通の人」と遜色ないように振る舞える。

 そのことをどうしても「劣っている」と考えてしまう。百合音は逃避したいのだ。「何もできない自分」から。

 そんな百合音の手に、す、と冷たい体温が乗った。百合音が恐る恐る顔を上げると、母の手が百合音の震える手をそっと包んでいた。

「いいのよ、百合音。逃げたっていいの。逃げるのは、弱いということではないわ。自分を守ることができる、才能の一つよ」

「おかあ、さん?」

 母の鼓動が聞こえる。百合音はその中に自分と同じ感情を感じ取った。──劣等感。負い目。

「私もね、何もできない人間なの。私はあなたたちと違って特異な能力もないし、奇妙な体質もない。私はね、なんでもない普通の人なの。それが、お父さんと、夫婦になった。そこで初めて、たくさんのものを抱える人たちが、世の中の隅に紛れているだけで、たくさんいることを知ったの。それでつらい思いをしている人も」

 母の手は無意識で流れていた百合音の涙を掬う。

「自分の子どもも、ほとんどが特異体質の子で、どうして普通の子に産んであげられなかったんだろう、この子たちのつらさを、私が代わってあげられたらいいのにって、何度も、何度も思ったわ。でも、何もできなかった」

 咲希が普通の子に育って、早苗はほっとしていた。けれど、次に生まれた百合音は違った。人の心の声を聞ける能力を持ってしまった。

『普通の子に産んであげられなくて、ごめんなさい』

 そんな母の声が、百合音に聞こえた。

 百合音が生まれてからずっと、母はそう嘆き続けてきたのだ。そんな声を、今まで百合音に気取らせなかった。

「お母さんが、何もできないなんてこと、ない。ないよ……」

 声にどうしても、涙が滲んだ。ほろほろと、とめどなく涙が百合音の中から溢れていく。

「お母さん……お母さんは、強いよ、すごいよ。わたしの、自慢のお母さんだよ……」

「ありがとう、百合音。百合音みたいな優しい子を持てて、お母さんも幸せよ」

 何もできない、と嘆く二人が寄り添って、夜の静寂を彩った。

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