ソカナの手鞠歌
手鞠家は相変わらず綺麗な庭だが、池に魚は飼っていないらしい。
「鯉がいる!」
などと梅衣は言っているが。もしかしたら、尋常ならざる者が棲んでいるのかもしれない。
咲希は池に向かって手を合わせた。
「お邪魔します。ほら、梅衣も、ごあいさつ」
「おじゃらしらす」
咲希を見よう見まねで、舌足らずに梅衣が言うと、何もいないはずの水面が揺れたような気がした。
それから、玄関で呼び鈴を鳴らすと、すぐにソカナが出てきた。
「いらっしゃい、咲希さん、梅衣ちゃん」
「ご無沙汰しております、ソカナさん」
「ソカナ! もなか! アカネはいるか?」
「こら梅衣。まずは挨拶だよ」
アカネの名前が出たところで、咲希はふと思い出す。
『梅衣ちゃんのことは嫌い』
そう綴られた紙。綴ったのは、アカネだった。
「おじゃらしらす。アカネにもごあいさつ?」
「そうだよ。ソカナさん、アカネちゃんは?」
「茶の間にいますよ。白雀さんのもなかなんてびっくりです。アカネも喜びます」
「梅衣が選んだんですよ」
咲希が梅衣の頭を撫でると、梅衣は誇らしげに胸を張った。
「ソカナ、もなか好き! アカネ、ごまあん好き! みんななかよし!」
「覚えててくれたんだ。嬉しいな」
ソカナも梅衣の頭を撫でようと、手を伸ばし──やめた。その顔には自嘲が滲んでいる。
おそらく、梅衣に触れることで、能力が発動するのを恐れたのだろう。ソカナの絶対予知は発動条件がわからない。まあ、特殊能力の大体が発動条件がわからないものとされているが、ソカナは自分の能力のことをあまりいいものだと思っていない。だから、幸せな気持ちになったところを打ち砕かれたくなかったのだろう。
が、そんなこととはつゆも知らない梅衣が、ソカナの手を取り、ぽんぽんと自分の頭を撫でさせた。この子どもらしくて少し舌足らずな愛らしい人格は、ちょっと厚かましいところがあった。そんなところが人を和ませたりするのだが。
撫でられるつもりでいたので、撫でさせたのだろう。咲希も始めの頃は梅衣の突飛な行動に驚いたものだが、穏やかな気持ちで見守れるようになった。
「ソカナの手はすべすべできもちい!」
そう言って、お日さまのように笑う梅衣。その顔を見て、ソカナも安心したように微笑んだ。
それから案内された茶の間に行くと、そこではアカネがお茶を用意して待っていた。咲希を見て、丁寧に頭を下げる。
「アカネ、白雀さんのごまあんもなかだって」
アカネはぱっと口元を押さえた。白雀は老舗の名店だ。アカネのような小さな女の子でも知っているほどに。
「アカネ、ごまあん、好きかろ? いっしょ、食べよ?」
梅衣の言葉にアカネはきょとんとするが、少し寂しそうに微笑んで、頷いた。
梅衣は抱いていた手鞠の袋を置いて、アカネの隣に座る。アカネが気まずそうにしていたので、咲希が呼び戻そうとしたが、アカネがばっと『大丈夫です』の文字を見せてきたので、見守ることにした。
アカネが梅衣を苦手なのは知っているが、梅衣に悪気はない。それは咲希もアカネもソカナも知っていることだ。梅衣はアカネとも仲良くしたいのだろう。だからごまあんを選んだのだ。
アカネは口が聞けない分、お茶を淹れるのが上手かった。おそらく、ハンディキャップを乗り越えるために、文字も、おもてなしも、普段から心がけているのだろう。
アカネの淹れたお茶は美味しい。アカネに文字を教えてもらう梅衣が心配だったが、今日の梅衣は年相応に無邪気な人格なため、咲希は本題に入ることにした。
「ところでソカナさん、何かありましたか? ご丁寧にお手紙をいただきまして」
「ああ、はい。急にお呼び立てして申し訳ありません。けれど、咲希さんのお耳に入れておいた方がいいだろうな、と思いまして」
ソカナが声を潜める。咲希は釣られて、顔を寄せた。ソカナは咲希に耳打ちする。
「雨月幻路さんが、先日、うちを尋ねて参りまして」
「!」
ソカナが声を潜めた理由がわかった。
雨月幻路とは、雨野初芽の弟、咲希からすると叔父にあたる人物だ。雨野の名を捨てて、出ていった人物である。
咲希の父曰く、悪い人ではないらしい。ただ、父の弟妹たちは皆、一癖二癖あって、その中で鬱屈としていた幻路は、癇癪を起こして出ていったのだとか。
家を出ると決意してから行動の速かった幻路だが、兄である初芽も一緒に、と誘ったそうだ。こんな家に縛られて、つらい思いをすることはない、と。
初芽はそれを断った。だからこそ今の雨野家がある。
悪い人でないとはいえ、家を捨てて出ていった人が近くまで来ているのは、少し警戒してしまう。
ソカナは幻路が来たときのことを語った。
「幻路さん、初芽さんを連れ出そうと思っているみたいで……いきなり伝えていいのかわからなかったんですけれど、初芽さんはお亡くなりになって、その息子が雨野家を継いでいる、と言いました。そうしたら『あの家はまだ長男を当主として縛っているのか』と興奮された様子で、私に掴みかかり、私は咲希さんが望んで当主になったことをお伝えしようとしました。そこで……」
『梅の花の枝、足を刺す』
絶対予知が、幻路にそう告げたのだという。
何故、梅衣と共に呼ばれたのか、意味がわかった。
十中八九、『梅の花の枝』とは梅衣のことだ。絶対予知では誰のことか明言しなくともわかるように、その人物の名前の暗喩をすることがある。『足を刺す』とは物騒だ。
「絶対予知が何を示すのか、わからないこともあります。ただ、梅衣ちゃんにはたくさんの魂が宿っており、その中には凶暴だったり、凶悪だったりするものもいると聞いていましたから……心配になって」
いついかなる理由があろうとも、人を傷つける行為、人に血を流させる行為は許されない。それをしたのが年端もいかぬ子どもでも、だ。年端もいかぬ子どもだからこそ、きちんと言って聞かせなければならないことである。
「わかりました。もし、叔父が家に来たときには、梅衣の動向に注意するようにします」
「そうしてください。幻路さんは初芽さんの墓参りに行きたいと仰っていたので、近く、咲希さんの家に訪れることでしょう」
「そうですか。ありがとうございます」
これは手紙でも電話でも済ませられる話だった。けれど、ソカナは直接話したかったのだろうと思う。絶対予知が出たことを、またつらい、誰かが傷つく予知が出たことを、一人で抱えるのはつらいから。
アカネは側にいるけれど、彼女は相槌を打てない。だから人を呼んだのだ。
「ソカナ! おにいとの話終わった? アカネが手鞠歌の歌詞書いてくれた! 歌って教えてけろ」
「うん」
そうして、三人が、庭に出ていく。
梅衣が袋から取り出したのは綺麗な手鞠だった。たぶん、この日のために、梅衣なりに手入れをしたのだろう。
「ひとつ、ふたつ、みつ、よつ、数えて歌や。
いつつ、むっつ、なの、やあ、数えて歌や。
数えて歌や、楽しく跳ねよ。
数えて歌や、楽しく跳ねよ」
ソカナの涼やかな声と、手鞠の跳ねる音が、優しく鼓膜を打つよく晴れた午後だ。




