その名は
休み時間。女子生徒はグループを作ってきゃいきゃいと騒いでいる。何が楽しいのかは男子である咲希には全くわからない。
ただ、いくつもグループがあるのに、そのどの輪の中にも、小明は入ろうとしなかった。
小明が真面目な生徒なのは、テストの点数や授業中の態度、指名されたときのすらすらと出てくる解答を見ていればわかる。彼女は少々人間めいていない部分があるかもしれないが、それでもしっかり学生をしているのは確かだ。
それにハブられているわけではない。ヤクザのお嬢という噂があるから、皆が近寄りがたく思っているだけで、特に近寄るなオーラとかを出しているわけではないのだ。
これは女子生徒側が恐れているのもあるのだろうが、もしかして、小明が意図的にグループに入らないでいるのではないか、と咲希は思った。
──もしかして、噂の「妙な力」とかを本当に持っていて、周りを避けているのだろうか。
だとしたら、咲希は放っておけない。それが雨野家の使命だからだ。家訓にもある。「異常者を見捨てぬこと」と。
先祖である逸夜と神との約定で、異常者はほとんど雨野の家系に生まれるようになっている。けれど、例外はあって然るべきだろう。全ての事が上手くいくわけではないのだから。
もしも、自分の異常性で小明が困っているのなら、手を差し伸べるべきだろう。咲希はそう考えて、小明の席へ向かった。
「あの」
咲希が声をかけると、小明がぴくりと反応し、咲希を見る。それから少しあわあわとして、伏し目がちになんでしょう、と声を立てた。
「な、長曽根さんは、みんなみたいにグループに入ったりしないんだね」
「ええ。迷惑をかけてはいけませんから」
「迷惑? なんで?」
咲希が問うと、小明が苦笑する。
「あなたもご存知のはずですわ。私の噂について。噂は真偽が定かでなくとも、その人の評価に関わりますもの。『ヤクザのお嬢かもしれない』という噂のある私を忌避するのは当たり前ですわ」
それは確かにそうだろう。ヤクザと言ったら、まずいいイメージはない。何か不祥事を起こしたら、どんな目に遭わされるか、わかったものではない。
ある意味で小明も咲希と同じく異端なのだ。咲希のようにいじめられていないのが不思議なくらい。……否、ヤクザのお嬢をいじめる気概などある者などいない。
理屈はわかるが、咲希は納得がいかなかった。
「周りと少し違うだけとか、噂なんて不確かなものに振り回されてとか、そんなの馬鹿馬鹿しいと思うよ。長曽根さんは長曽根さんでしょ? 譬、本当にお嬢だったとしてもそれで長曽根さんの学校生活が実りのないものになるのはおかしい」
「おかしくても、これが現実ですわ」
咲希に告げる小明の声は冷酷だった。
現実。羽織を切り裂かれて、咲希はそれを実感した。「周りと違う」ことはそれだけで罪のような扱いになる。それが不当に思えても、たった一人の意見で世間の目は変わらない。それが現実だ。
冷たく告げた小明だったが、気づけば微笑していた。相変わらず目にハイライトはないが、綺麗な笑みだった。
「……でも、一人でもそうやって心配してくれる方がいるだけで、私は嬉しいです。ありがとうございます」
「いえ……」
その笑みがあまりに綺麗なものだから、咲希は思わず照れてしまった。噂がなければ超絶美人の小明を放っておく男子はいないことだろう。
咲希も小明も、このときの周囲の反応に全く気づいていなかった。
これでわりと、小明は隠れファンがいたりすることを知るのはその日の放課後のことになる。
放課後。羽織の一件から咲希をいじめる者がいなくなっていた。何故かは知らないのだが。
いじめがなくなるのはいいことだ、と咲希は自己完結していた。完結したものと思っていた。
が。
かつん。
後頭部に命中したのは封書の角。さしたる被害はないのだが、地味に痛い。
「なんだろう?」
咲希の後頭部にわざわざ命中させたのだ。咲希宛であることは間違いないだろう。
封書を開くと、筆文字でこう書いてあった。
『放課後、校舎裏に来い』
うわぁ、と思わず口元に手を当てる。
それは手紙の内容云々ではなく、その字の残念なまでの下手さだった。普通の毛筆筆を使ったのだろう。とても字がでかい上にふにゃふにゃで、その手紙に込められた敵意が台無しになっている。
何をするのかは書かれていないが、行ってみようか。こんなに下手な字を晒してまで伝えたいことがあるのなら、行かないのも憐れというものである。
斜め上な判断で、咲希は校舎裏に向かった。
その後ろをそっとつける人物に、無用心な咲希が気づくはずもなかった。
校舎裏に行くと、何人もの男子が待ち構えていた。明らかに殺気立っているのだが、咲希はそういうのに疎いため全く気にしていない。
「ええと……呼び出したの複数だったんだ。誰かな、手紙くれたの」
「俺だ」
リーダー格らしい男子生徒がふんぞり返って咲希の前に立つ。仁王立ちするその様は威風堂々としていた。
その威厳と敵意に満ちた人物を前に、咲希は緊張感なく眉を八の字にひそめた。それから。
「君はもう少し毛筆を練習した方がいい。人に笑われるような字だと、舐められるぞ?」
どこまでも斜め上の指摘をした。
「…………」
一同、ぽかーんとする。それもそうだろう。まさかそんなお説教を受けるなんて、思いもしなかっただろうから。
けれど、それも数秒のことで、指摘を受けた男子生徒の顔はみるみるうちに朱に染まり、激昂の色を見せた。
「何を偉そうに!!」
……まあ、そうなる。そいつは咲希の襟首をぐいと掴み、それから思い切り頬を張った。咲希は特に抵抗しない。というか、状況が飲み込めていない。
「ええと? 君は何をそんなに怒っているんだ?」
「お前の一から十まで全部だよ!! 何もかもむかつくわ!!」
そこで咲希がはっとする。
「そうか、済まなかった。気にしていることをずけずけと……思慮のないことを言ってしまった」
周囲は呆気に取られる。無理もない。こんなにずれた発言をこんなに堂々とできる人間はそういない。しかも殺気漂う緊張感の中で。咲希の場合は肝が据わっているというより、ずれているという方が正しい。
一人、咲希の襟首を掴んだまま、ふるふると怒りに打ち震えている者がいた。当然だろう。咲希に全く悪意がないのは誰が見てもわかるのだが、恥を晒されたようなものなのだ。怒らないわけがない。
「お前のそういうところが」
一発、鳩尾に入る。
「大っ嫌いなんだよ!!」
今一度、頬へ一発。咲希は軽く吹き飛んだ。
けほけほ、と咳き込み、真っ赤に腫れた頬を擦る。さすがに痛かった。が、咲希の中に怒りは湧かない。自分に非がある、と思っていたからだ。
だが、いつまでも黙ってなぶられるような咲希でもない。
「満足したか?」
咲希はゆらりと立ち上がり、その赤みがかった黒い瞳で、殴ってきた男子を見た。そこには威圧というには弱いけれど、いつでも日向ぼっこモードののほほん少年のような咲希は存在しなかった。
暴力を理不尽だとは思っていない。けれど、一方的に殴られるのも癪なのだ。サンドバッグじゃあるまいし。
「悪いけど、俺はこの後仕事に行かなきゃいけない。まあ、仕事というか、手伝いだけど。厳しい店主だから、時間は一秒だって惜しいんだ。気が済んだなら帰っていいかな」
「生意気なっ──!!」
「高杉真央くん」
「へあっ!?」
瞬間、何が起こったのか、咲希にも誰にもわからなかった。その男子のものであろう名前を涼やかな声で呼んだのは、紛れもなく……
「長曽根さん? どうしてこんなところに?」
紫陽花色の髪を靡かせて、悪がきの目の前に立っていたのは紛れもなく長曽根小明だった。
どう考えても、彼女の登場は突然で唐突だった。咲希ばかりでなく、咲希をいたぶろうとしていたのであろう連中まで目が点になっている。
「ふふふ、楽しそうなことをしていらっしゃいますね。私も混ぜていただけないでしょうか?」
「あ、小明さん……」
ごっ。
小明の目の前にいた某少年が吹っ飛んだ。でこぴんをしたらしいが、とてもでこぴんとは思えない威力と音である。
某くんは泡を食って倒れていた。
「さて」
小明がにこやかに告げる。
「次は誰がいいでしょう? 小鳥遊くん? 松本くん? それとも各務ヶ原くんかしら?」
名前を言い当てられた男子がびくんと肩を跳ね上げた。
直後。
「ごめんなさいー!!」
と、某くんを連れて脱兎のごとく去っていった。
「えと、……長曽根さん?」
「あ、驚かせてしまいましたわね。ささ、頬を手当てしますからじっとしていてください」
「いや、これは大丈夫だから……それより」
咲希はべたっと腫れた頬にガーゼを貼り付けられながら問いかけた。
「長曽根さんは、何者なの?」




