お揃いの羽織
咲希は早速、破れた羽織の修復を頼みに「細石」に向かった。
「どうしたんだい? ひどいじゃないか」
「……同級生にやられたみたいで……」
咲希が苦々しい面持ちで学校で異端扱いされていることを告白すると、いじめじゃないか、と努夢は憤慨した。
それから、大抵のことには興味は示さない瞳が出てきて、咲希の手を取る。
真剣な山吹色の眼差しを向けていた。
「……人を簡単に信じちゃ駄目」
「瞳さん?」
「信じたいからこそ、疑うの」
とても深いことを言われた。信じたいから疑う。もしかして、この叔母も本当は人のことを信じたかったのだろうか。
信じる、ということは咲希の基本スタンスだ。咲希が人やもの、見聞きした事象を疑わずに信じるからこそ得られる信頼があるのは確かである。
けれど、残酷なことに信じるだけでは得られない信頼というのもある。また、信じてばかりいては騙される。それに「信じることしかしない」というのは一種の傲りとも取れるのだ。
自分を騙すような人はいないだろう。それは傲りであり、油断だ。咲希に傲りの意識はないだろうが、「こんなことをされるわけがないだろう」と油断していたことは否定できない。
咲希は弟妹たちの異常性にばかり気を取られ、自分もまた異常であるということに気づいていなかったのだ。それが異端として遠ざけられたり、嫌味に受け取られたりしてしまった。だから今回のことが起きたと言える。
人を疑うことをしない咲希にとっては相当ショックな出来事だった。だからこそ、「いじめられた」と担任には報告していない。ただただ咲希が傷つくばかりである。
その中で唯一救いなのは、咲希の傍には咲希のことをわかってくれる家族がいることだろう。
特に勇貴。兄を強く信頼し、力になろうとしてくれる勇貴には、兄として情けない姿を晒したくないと同時、頼もしくも感じる。かけてくれた言葉もそうだが、勇貴は温かい。七兄弟の中で特にこれといった異常も特異性もなく、普通に育った弟。兄ちゃん兄ちゃんと兄離れができていないのか心配になったこともあったが、それは単に咲希が過保護なだけであった。
「……うちは五人兄弟、一番普通だったのは初芽兄さん。だから大変だった」
瞳がぽつぽつと語る。初芽とは咲希の父親の名だ。先代の雨野兄弟……ほとんど散り散りになってしまった咲希の叔父叔母たちの話だった。
「時雄兄さんは気が弱くて、ちっちゃい頃から不良に絡まれて酒や煙草をやっていた。それで、アルコール依存になって、次第にお酒がないと駄目な人になった。時雄兄さんが優しかった時期を私は知らない。
歩弥兄さんはよくわからない人だった。誰の味方でもなければ敵でもない。そういう立ち位置の人。いつかは本性を現すと思っていたけれど……婿入りしていって、もう知りようがないし、知りたいとも思わないわ。言うなれば……あなたのところの竹仁くんみたいな感じよ。怖いわ。少なくとも私は竹仁くんは信用しないわ。
それから、家出した幻路兄さん……あの人は、己を真っ直ぐ貫く人だった。ただ、しきたりや決まり事に縛られるのが嫌いな人で、気づいたら家にいなかったわ。何度初芽兄さんが捜しに出たことか。元々旅が好きなのもあるだろうけれど。人間的に評価できる人かもしれないけれど、一つ所に留まることもできないということ。そう思って、私は信じていない。幻路兄さんも信頼なんてどうでもいいかのように雨野の名前を捨てたみたいだけど。
そして私。人を信じることを知らない私。兄弟の中で唯一女だったから、軽んじられてきた。軽んじられた人間が他人を重んじられると思って? そんな私はきっと、五人の兄弟の中で一番の厄介者だったわ。
そんなみんなばらばらな兄弟を、初芽兄さんは一所懸命繋いでいたの。途切らせないように。それでも幻路兄さんは出ていったし、結局最後はみんなばらばらになった。
咲希くん、あなたには初芽兄さんのような思いはしてほしくないわ。時代も変わったの。雨野という家で、異常者や能力者を管理なんてする必要はない。……いえ、あなたはいじめに遭ったのだからわかっているわね。
いつの時代も異端は遠ざけられる。それが世の摂理とでも言うかのように。だからこそ雨野咲希は使命を背負わなければならないと思うのだろうけど……違うのよ。違う。初芽兄さんのときとは違うの。
初芽兄さんは一人で背負わなきゃならなかった。でも、あなたは一人じゃないわ。それを、忘れては駄目」
普段口数の少ない瞳が長々と語るものだから、咲希は目を丸くした。けれど、とても大切なことだというのはわかった。
「ありがとうございます、瞳さん。……頼るのはちょっと慣れないけど……」
「なら、勇貴くんを頼るといいわ」
「え?」
唐突に勇貴の名前が出てきたこともそうだが、瞳の口から「特定の人物を頼れ」という言葉が出てきたことに驚いた。
瞳は自ら述べていた通り、他人を信用することができない。簡単に言うと、咲希とは正反対なのだ。疑うことしかできない。そんな瞳が「頼るといい」というなんて、よほどだ。勇貴と瞳が話したのは数えるほどしかないはずだが。
「これ」
言葉少なに瞳が差し出したのは……破れる前と寸分違わぬ拵えの市松模様の羽織だ。
ひとまず受け取りはしたが、咲希の頭の中は疑問符だらけだ。
「これは?」
「羽織」
「いや、それは見りゃわかるだろ、瞳さん。咲希くんが聞いてるのはそういうことじゃない」
努夢の指摘に、困ったように眉をひそめる瞳。普段口数が少ない分、何をどう伝えればいいのかわからないのだろう。
それでも懸命に言葉を探して口をぱくぱくする瞳の様子を微笑ましげに眺めていた努夢が助け舟を出す。
「こないだ、勇貴くんが店に来てな」
「勇貴が?」
勇貴はまだ小学生だ。服屋で服を買うほどのお金は……いや、貯金はしていそうだ。勇貴はああ見えてしっかり者だから。
とはいえ、雨野の羽織は努夢の能力で作る特別なものだ。生半可な値段では売ってくれない。
この羽織を注文したのが勇貴だというのはなんとなくわかったが、その意図がわからない。
努夢が苦笑する。
「持ってきたお金じゃとても足りなかったんだけどね、勇貴くん『兄ちゃんの支えになりたい』って聞かなくてさ。まあ、その心意気やよし、ということで、神様の声が聞こえる仕様ではないけれど、お揃いの羽織を作ったんだ。帰ったら、渡してあげるといい」
「え、お金は……」
「雨野さん家が忙しいのはわかってるさ。早苗さんも働き通しで、咲希くんは白雀で働くんだって? 僕ならあそこの当主には怖くて直談判なんてできないよ。
頑張っている君たちにごほうび、というと子ども扱いしているみたいだから、そうだな……先行投資、とでも思っておくれ」
先行投資。未来が明るいと推測される者に許す投資だ。努夢も瞳もそこまで咲希たちを見込んでくれている。そう思うと込み上げてくるものがあった。
「ありがとうございます」
咲希は丁寧にお辞儀をした。
帰ったら、勇貴にお礼を言わないとな、と考えた。
勇貴はすごいやつだ。疑うことしかできない瞳にあそこまで言わせるなんて。咲希でさえ何年もかかったのだから。
と、家に帰ってから話すと。
「に、兄ちゃん、礼なんていらないよ。俺は俺にできることをしただけだから」
勇貴が恐縮していた。それを見た百合音が、勇貴を肘で小突く。
「このこの、泣き虫勇貴のくせになかなかやるじゃない」
「泣き虫な百合姉が言えることじゃないと思うなー」
「なっ!? たけ、あんたねー!!」
「百合音お姉さまは感情が豊かなだけです」
たいそう賑やかな夜になった。
「やあ、感情すっぽんぽん女」
「誰よ、梅衣にそんな言葉遣い教えたの!?」
「人格の一人だよ、百合姉」
「醜女、夕飯はなんじゃ?」
「お母さまが葱と若布の味噌汁を作っていました」
「若布は好きじゃが、葱は嫌いじゃ」
「好き嫌いは駄目だぞー」
そうして今日も、雨野家を日常が巡っていく。




