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沙羅双樹  作者: 九JACK
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宿命を背負うその一族

 立派な、と形容するのが適切な屋敷があった。

 その奥の一室。和装の荘厳な雰囲気の男性が、藍色の甚平を着た男の子と差し向かいで話をしている。藍色の甚平の男の子は、まだあどけなさを残した面差しだが、真剣に話を聞いているようだ。

「お前は、逃げることもできる。だが、やるのか?」

「はい。俺は家族を守りたい」

「その意気やよし」

 男性は男の子に藍色と水色で彩られた市松模様の羽織を男の子に渡す。

「これは、父さんがいつも着ていた……」

 父さん、と呼ばれた男性は、ああ、と男の子にうなずく。

「これは、この一族の長であるという証だ。今日から、お前がこの家を背負って立つんだ」

 受け取った男の子はその羽織にどんな重みを感じているのだろう。しげしげと見つめてから、目を閉じ、羽織を掲げて、父に礼を執った。

雨野(あまの)咲希(さき)、必ずや守り抜いて見せます」

 男の子――咲希は、そう形容するには覚悟の強い目で、父を見上げていた。


「わあ! 兄ちゃんかっこいい!」

 藍色と水色の羽織を着た咲希を見て、駆け寄る純真無垢な眼差しの男の子。咲希は優しく微笑んで、その頭を撫でてやった。

「それ、父ちゃんのだよね?」

「ああ、譲ってもらったんだ。ちょっと兄ちゃんにはまだ大きいかな」

「そんなことはないよ! 兄ちゃんかっこいい!」

 緑に映える黒髪を撫でられて満足そうに口元を緩めながら、兄ちゃんかっこいい、と洋装の男の子は繰り返す。

 その様子を感情のない緑で見つめる女の子が、藍色の縮緬をきゅう、と羽織り直しながら呟く。

勇貴(ゆうき)お兄様は、そればかりですね」

 目以上に感情のない声に、勇貴、と呼ばれた男の子がびくん、と反応する。

「まつ……」

 咲希派悲しげに、まつ、と呼んだ女の子を見た。黒髪の美しいその女の子は名を、雨野松子(しょうこ)、という。松子、と書いてしょうこ、と読むのだが、家族の間でも「まつ」と呼ばれることで通っているため、彼女の名を正しく知っているものは少ない。緑がかった黒髪の男の子は雨野勇貴。苗字でさっせるだろうが、二人とも咲希の兄弟である。勇貴は次男で、松子は次女である。

「こらまつ、勇貴をいじめるんじゃないの」

「お姉様、私はいじめてなど」

 そこに現れたのは、黒髪の毛先だけが咲希に似て、赤みがかっている咲希と同じくらいの年頃の女の子だ。松子がお姉様と呼ぶのは雨野家に一人だけ。長女の雨野百合音(ゆりね)である。

 まあ、傍から見たら、松子が勇貴に嫌味を言っているようにしか見えないだろうが。

 松子は緑の目に虚無を宿したまま言う。

「私はただ事実を述べただけです」

 そう、それだけなのだ。松子の言葉に他意などない。松子は表情から見てわかるとおり、何も感じない。「感情」というものが欠落してしまったような女の子なのだ。生まれたときからそう。

 咲希は記憶の中にある、松子の生まれたときのことを思い出す。彼女は産声も上げなかった。赤子は泣くことが役目であるといっても過言ではないというのに。幼かった咲希の脳裏に焼きついているのはきっと、「泣く意味なんてない」と語るかのようにともっていた緑色の深い虚無の光が印象的だったからだ。

 百合音はそんな松子を見て、その綺麗な水色の目を揺らがせた。目尻に涙が水溜まりのように溜まっていく。咲希ははっとして、百合音、と呼ぶ。

 百合音は、涙を拭い、大丈夫、と咲希に言った。

「わかってるから大丈夫だよ、咲希兄。まつがなんにも思っていないことなんて……」

「……百合音、おいで」

 咲希が優しい声で百合音を呼ぶ。百合音は何も言わず、咲希に歩み寄った。咲希は勇貴からいったん離れ、百合音に自分も近づくと、ぽんぽんとその頭を撫でた。

「大丈夫、百合音。兄ちゃんは百合音のこともわかってるからな」

「う……」

 百合音はぶわりと泣き出す。泣き虫だなあ、百合音は、なんていいながら、咲希は百合音の頭を撫でる。

 そこへ、ひょこっともう一人男の子が現れる。茶髪に黒目の平凡な容姿の子だ。

「ゆり姉、また泣いてるの?」

 くすくすと笑って百合音を見る。そんな彼を、咲希が咎める。

「こら、竹仁(たけひと)。これは百合音の百合音らしさなんだから、からかわないでやれ」

「わかってるけどさあ、じゃあ、兄ちゃんが父さんの羽織着てるの関係ある?」

 雨野竹仁。軽薄な雰囲気を宿す松子と同じくらいの男の子を、咲希は扱いかねていた。

 ――あの子も、まつと同じ。なんにも思っていないの。

 いつか百合音が言っていた。竹仁は松子と双子で、だからこそ、性質が同じなのだ、と。

梅衣(めい)も、こんな感じなのかな……」

 勇貴がぽつりと呟く。咲希は悲しげに眉をひそめた。

 梅衣。雨野兄弟の三女である。目映いほどの赤毛をしていて、目は金。まだ赤子だ。彼女も、兄弟のように異常性を抱えているのだろうか、と咲希は思いを馳せた。

 雨野家の人間であるが故に――


 雨野家。

 その歴史は雨野逸夜(いつや)、という人物から始まっている。

 遥か昔より、異常な人間というのは存在し続け、排斥され続けた。人間は「普通とは違う」というだけで、簡単に他者を蔑ろにできるのだ。その残酷さを、逸夜は嘆いた。

 故に彼は決めた。せめて自分はそうしないことにしよう、と。そして、天に願った。

「異常な人間は、私が、私の一族が受け入れる。この声をどうか聞き届け、排斥される悲しい人々をなくしてほしい」

 その願いは、果たして聞き届けられたのだろうか。人が人を排斥する世界が終わったのかどうかは知れない。ただ一つ確かなのは、彼の家族には、世の中から排斥されるであろう異常な人物たちが生まれるようになった。

 故に。逸夜は一族に雨野という姓をつけ、代々生まれる異常を抱えた血族を守るように、と後世の者たちへ残した。

 それが今日、咲希に至るまで受け継がれてきた雨野家の運命である。


 宿命。

 ただそれだけの理由で、百合音は人の心を読み取れる能力を持ってしまった。松子と竹仁は心を虚無にしてしまった。きっと、生まれたばかりの梅衣も、これから生まれるかもしれない兄弟も、そんな宿命に負われるのだろう。

 そんな兄弟たちを守るために、咲希は今日、父からこの羽織を受け取った。これも雨野の長男に生まれたからこその宿命である。異常を持たずに生まれたから、咲希は嫡男として、異常を抱える家族を受け入れ、守ると弱冠十歳で誓ったのだ。

「竹仁、理解しているなら、その軽薄な物言いでからかうのをやめろ」

「兄さん、ひどいなあ。僕はからかってなんかいないよ」

 どうだか。竹仁は咲希には一番読めない。咲希は家族のことを異常だろうがなんだろうが、受け止めて、理解しようという覚悟がある。だが、竹仁だけがわからない。理解しようとしているのに、手のひらをするりとすり抜けていくような。そんな感覚があるのだ。

 百合音なら、竹仁の本心も無視して竹仁の心の奥底を知ることができる。百合音の能力は、人の心の奥底を掬い取り、読み取るものだから。ただ、百合音は咲希に何も言わないし、咲希も百合音の能力を利用してまで竹仁の本心を知ろうとはしなかった。それでは百合音が泣いてしまうし、能力を利用するのはよくないことだと思ったからだ。

 本心なんて読めなくても、自分たちは家族で、雨野家の人間なのだから、それでいいじゃないか。

 咲希はそう思っている。

 だからきっとこの先も、新しい異端児が生まれても、咲希は受け入れ続けていく。

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