サミレア④
「こ、ここは………?」
大きな黒い洞窟の入り口を見て、俺もあんぐりと口を開ける。
え?
見間違いじゃないよね?
開発が進んでるサミレアに、洞窟なんてあったの?
「何言ってるのよ××。
ここは観光名所じゃない!」
観光名所…?
いや、サミレアはベッドタウンで、特別旅行客が来るような場所でもないけど…。
「もうお兄ちゃん!
忘れちゃったの!?
水晶洞窟だよ!」
水晶洞窟………。
属性に続いて、幻想的で現実味の薄い響きだなあと思った。
思いながら、目を瞑って頭を冷やし、来るまでの道を反芻する。
どうやら目の前の洞窟は、住宅地から駅へ向かう中通りのビル街手前の、商店がちらちらと賑わう位置を曲がった先にあるようだった。
サミレアは駅を中心とした、大きなT字路に沿って発展している町だ。
その文字の先端や縁の縁まで行くと、ちょっとした田舎風景になる。
この水晶洞窟も、T字のぼやけた輪郭上にあり、辺りは子供が自由に遊び回る野原だった。
ふっと視線を下げると、洞窟の前には簡素な受付があった。
観光名所と言えど開発途中の町な上、平日ということも重なって受付員はあくびを大空に飛ばしていた。
この辺は、電線も少ないので空が見える。
今日は高い太陽が、薄雲の隙間から光を漏らす天気だった。
「えっと…」
ここで何をするのか、俺には思い付かなかった。
そこで小さく悩むと、レイラが爛々と答えた。
「この洞窟の奥をリルの貸しきってもらったのよ!
そこで××のお祝いをするわ」
なるほど!
さすがはリル、お金持ちはこんな飛びきりのパーティを用意してくれるんだ。
でもこれまでに、盛大に祝われたことなんて、あったっけ?
「子供は大人の同伴で無料なの!
だからうちはタダだよ!
お兄ちゃん」
サチはくるりとスカートを揺らす。
そうか、俺は今日で十六歳だ。
十六歳と言えば大人の仲間入りで、サチ以外の俺ら三人は有料な訳だ。
「じゃ、××。
受付に言ってチケット買ってきなさい!」
突然、ドキリと心臓が大波を打つ。
理由は分からないけど、冷たいものが足先から背中を伝って上ってきた。
初めてだけど、似たような感覚に出会ったことがある気がする。
…これは、何?
「私達は、もう持ってるから」
受付の方を指差すレイラは、もう片方の手に掴んでいるチケットをひらひらと揺らした。
「うん、じゃあ買ってくる!」
こうして俺は受付嬢に声を掛け、自費でチケットを購入して、両開きのゲートを通った。
それを後ろで見届けた幼馴染みは、すでに持っていたチケットを差し出して入場していく。
サチは一応ということで、学生証を提示してからゲートをくぐった。
洞窟に入ると、外と一変して湿気が体にまとわりつく。
それもそうだ。
水晶が自生する位なのだから、環境が外部と真逆でもおかしくない。
中は真っ暗ではなく、作業用のライトが規則的に吊るされていて、完璧とまではいかないがそれなりに目は見えた。
地面にはアルミの足場板が設置されている。
顔のすぐそばに迫る土からは水が流れ落ちているから、足が滑らないように置かれたものなんだろう。
道幅はとても狭い。
辛うじて二人通れるかもしれないけど、太った人ならはまってしまいそうだ。
後ろにいる三人がとうせんぼをしたら、俺は一生ここから出られないんじゃないかと錯覚する。
いけないいけない。
どうして俺の誕生日を祝ってくれるようないい人が、俺を閉じ込めようとするんだろうか。
そんなはずはない。
周りが暗いから、心が若干陰ったのかな。
「お兄ちゃん早くー」
最後尾のサチが急かしてくる。
「ごめん!」
と言って、俺は手すりをしっかりと握って力強く歩くことにした。
ところで、サチが俺を呼ぶときは『お兄ちゃん』と呼んでくるから分かりやすい。
けどリルとレイラが呼んでくるとき、俺の名前は聞き取りづらくなる。
溺れている喉からのような、砂を詰められた
口腔からのような、千切れた配線で鳴くラジオのような声。
あとほんの少しだけ注意すれば、聞き取れそうな気がする。
記憶をたどれば、俺の名前を、思い出せそうな気がするんだ。
でもそうして集中すると、目の前が熱した水風船みたいに弾けそうな感覚に襲われる。
だから、考えるのをやめた。
弾けた先に何があるのか知りたくもなかった。
不意に、俺の拳が宙を掴む。
あれっと思って見ると、手すりが途切れていた。
いつの間にかランタンの間隔も広がっているし、足場板もまばらなアルミすのこになっていた。
「ねぇ、どこまで行けばいいの?」
「まだ奥だ。水晶も見えてないだろ」
「ちょっと開けたとこがあるはずだから、そこでお祝いするわ」
ほら、と真後ろのリルがどついてきて、俺は
終わりの見えない道を進むことにする。
もうとっくに、べったりとした湿り気には慣れきってしまっていた。
ただ道幅はどんどん広くなってきて、次第にリルが隣に来るようになる。
横にいる安心感。
でも、それを上回るような暗幕の恐怖が隠せない。
見えないものは、怖い。
だけど見えないことに気付けなければ、それは存在すら危うくなる。
触れもしない。
触れてもこない。
このもやもやとしていて、漠然とした感覚は何だ。
俺は、何に葛藤しているんだろう?
「よしっ!
××、止まって!」
暗闇からのレイラの声に俺の思考はふつと断たれた。
顔を上げる。
すると目の前には_
「わっ………」
思わず感嘆が漏れてしまうような、杳然とした眺めがあった。
たどり着くまでの鬱屈とした道とは違う、高くて奥行きのある大穴。
その壁全面に、びっしりと大小の煌めきが埋まっている。
どこにも灯りはないのに、きらきらと反射して、ミラーボールよりも落ち着きを持って、それ以上に輝いていた。
照り返してくるのに、そこには刺がない。
狭い根本から這い出るように、クリスタルがいくつも花を咲かせていた。
こんなに美しい場所が、サミレアにあったなんて。
「じゃあいくぞー」
リルが少し離れたところから言う。
「せーの」
レイラの掛け声の直後、カチリという何かのスイッチ音がして
「ハッピバースデートゥーユー!」
三人は、音楽に合わせて歌い出した。
静かな洞窟に、温かなメロディーが飛び交い、こだまする。
三人とも声質がばらばらだからこそ、聞き惚れるようなハーモニーが生まれていた。
「ハッピバースデーディア××~」
歌の終盤、揃い踏みで皆が奏でる。
俺の名前は、聞こえない。
「ハッピーバースディトゥーユー」
曲が終わる。
ゴゴゴゴゴッ___
直後、どこからか轟音がした。
何の音だ!?
辺りを探しても、暗くて何も分からない。
「××!
地震だ!!
外に出るぞ!!」
「きゃーっお兄ちゃん!!
逃げなきゃ!」
「××!
早く出口に!」
何がどうなってるか意味不明だけど、俺は無我夢中で、三人の声についていった。