サミレア②
「遅いっ!!」
家を出るとレイラとサチが待っていた。
遅いって言ったって、服を着てちょっとご飯を食べてお母さんに挨拶をして、それから出てきただけなのに、レイラはせっかちだなあ。
俺は取り繕うように、へへっと笑った。
十六年前、俺が生まれたのは冬の寒い日だった。
なので当然今日も冬なのだが、俺はお気に入りの赤いジャンパーを着ているのに対し、レイラは室内着かと見紛う薄着だった。
部屋にいるときは気にならなかったけど、まさか上着を持ってないとは思わなかった。
さすが根からの暑がりである。
一方のサチは起きて見たときからずっと、第二学校の制服を着ていた。
第二学校時代は、普段制服ばかり着ていたため私服がほとんどない、とレイラから聞いた気がする。
しかしサミレアの第二学校制服は、可愛いと評判だった。
夏も冬もセーラータイプで、前者はレモンスカッシュ、後者はホットチョコのようなカラーリングであり、なるほど男の目にもその可愛さが分かるという感じだった。
だから特別困ることもないだろうし、サチはどちらかと言えば喜んで着用していた。
「リル!」
俺は女子二人の後ろにリルがいることに気が付いた。
ロングコートを棚引かせる姿は、確かに格好いいかもと思えなくもない。
「よォ、××。誕生日オメデトな」
片手を上げて挨拶するリル。
ぶっきらぼうさは相変わらずで、これがもしかすると女子からの人気の秘密、いわゆるクールってやつなのかもしれない。
残念ながら、そのリルからも俺の名前は聞き取りにくい。
どうして?
「…っ!!」
また頭がズキズキと痛む。
沈むような温い重みを、後頭部に感じる。
その重力を自覚した直後に、痛みは気持ち悪いとろみを持った果実のように変わる。
まるで、思い出すなと言っているかのようだ。
ただ、頭を抱えるほどじゃなかった。
だからサチもレイラもリルも、気にしない様子で住宅街を回ろうと誘ってきた。
俺の旅立ちの日だけど、今日のところはフランクにサチの「話題の泥棒『青い男』探し」に付き合うことになったようだ。
リルもレイラもその方向で合致しているみたいで、意気揚々と歩きだすサチについていった。
今しがた出てきた俺の家は、このサミレア居住区の最奥にあった。
お母さんいわく、サミレアが開発目前だったことから飛ぶように売れていた一戸建ての、ラスト一つだったらしい。
端にあるため、整備された道を外れると野原や低木が繁るといった自然に触れあえる場所となっている。
それで当たり前のように、俺らは道なりに進んでいた。
泥棒だって、人からものを盗むのだから住宅地にいるはずだ。
「なぁ、××は青い男が物を盗まないのを知ってるか」
唐突に隣を歩くリルが聞いてきて、心の中を読まれたのかと思った。
どぎまぎしながらも、てっきり物を盗むんだとばかり考えていたから、俺は素直に知らないと答えた。
「魂を盗むらしいよ!だから会ってみたいんだ、うち」
青い男の話題とあらば、といった調子で前を行くサチが振り返り、笑顔で言い放った。
魂を盗むって、どういうことだろう?
本当であってもそうじゃなくても、会うのは危ないと思うんだけど。
というかサチが知っていて俺が知らないって、どれだけ俺は無知なんだ。
まあ、いいか。
「被害者とか証言者とかって、いるの?」
「世間知らずね××。もちろんいるから青い男なんて異名も付いてるのよ!」
レイラはふんと鼻を鳴らして、丁度通り過ぎようとしていた家を指差した。
「あそこに住んでた奥さん、魂盗られちゃったらしいわよ?
仕事から帰ってきた夫さんが、奥さんの前に立ってた怪しい人を見たんだって。
それが、深海みたいな髪色に紺のマフラーをした特徴的な見た目だったらしいの」
「そうなんだ…近所なのに、知らなかった………」
「それがこの街に青い男が現れたという噂の発端だ。
夫はその男を捕まえようとしたが、霧みたいに消えてしまったらしい。
警察も調べてるが未だ手掛かりなし。
妻の方も呼吸だけをしているという状況だ」
レイラの後をついでリルが補足してくれた。
説明的な口調は、いかにも勉強ができるという雰囲気で羨ましかったりもする。
サチも熱心に相槌を打って聞いていた。
「でもだったら、俺らのやってることって危なくないか?
そんなわざわざ、魂を盗む泥棒を探すなんて」
「ちっちっちー。お兄ちゃん!そこがミソなの!」
サチが指を振ってニヤリと歯を見せる。
「簡単に魂を盗めるなら、自分を追ってる警察の人達から、まるごと盗んじゃえば良くない?でもそれはしてないの!」
「う、うん…?」
「つまり、人を選んで盗んでいるということだ。
現時点で魂を盗られていない俺達は、安全かもしれない」
「ましてや一般人よ?警察さんより選ばれなかったりして」
「しかも話したら意外といい人だったりして!」
サチ、話すのは止めておいた方が良いと思うけど。
そんなこんなで話しながら移動していると、空が暗くなってきた。
今朝はそれなりに早かったから、歩いただけで夜になったという訳ではない。
かと言って、朝食を掻き込みながらちらっと見たニュースでは雨になるなんて予報はなかった。
サミレアならではの理由だ。
分かっていながら見上げると、たくさんの電線がビルの間を縦横に伝っていた。
俺らはいつのまにか、住宅街を抜けて駅周辺のビル街に出てきてしまっていたようだ。
戻ろうと言おうとして、口を開いたとき
「あ、青い」
サチがぽつんと呟く。
その声に俺らは立ち止まった。
サチが静かに指差した先は、道の分岐点にあるビルの屋上だ。
そこへ目線を動かすと、人影があった。
電線の間からの日光で眩しくてよく見えない。
しかも逆光で分かりづらいけど、あれは、青い髪をしてる…?
「青い男………」
「え?リル、今なんて言った…?」
「やった!見ーつけた!」
サチは歓喜して、俺らの周りを飛び回った。
そんな中リルは俯いて何か思考し始める。
その横で、レイラも首を傾げていた。
「ねぇ。何で青い男はあんなところにいて逃げないの?」
「それは…」
確かに謎である。
でも考えたところで、きっと俺の頭じゃ到底答えにたどり着けないだろう。
急にしんとする二人を察して、俺は跳ねるサチの両肩を押さえて止めた。
そして、青い男を見る。
こんなに遠いのに、目が合ったような錯覚をする。
『お前は…』
「っ!?」
これは…誰の声だ?
耳の間近で話しかけられているような気味悪さだ。
「リル、これ誰の声?」
思っていたことをそのまま喋る。
黙していたリルは眉をひそめて、疑問を返してきた。
「何言ってんだ、××」
「レイラ?」
「何のこと?」
誰にも聞こえてないのかよ。
まだ名前も思い出せないし、幻聴もするし、困ったな…。
しかしきょろきょろと辺りを見回しても、それっぽい人なんかいない。
リルもレイラも俺を変な人みたいな目で見てくる。
唯一サチが心配そうな顔をしてたけど、彼女にも聞こえてはないらしい。
いやもしかしたら、哀れんでるだけかも。
俺は再び、青い男を視界に入れた。
可能性があるとしたら、魂を盗めたり消えたりできるあいつなんじゃないか?
『××よ。お前は我を止めるか』
何だ?
疑問じゃない。
投げつけるような言葉。
攻撃的と言うよりは、どこか諦めているような…。
ってあいつの手、光ってないか。
気付いたところで、風に乗って流れてきた雲が太陽を隠す。
俺は細めていた目を開いた。
俺以外の三人も、見やすくなった青い男の方を向いた。
ん?
あの光ってるのは___刀!?
『それとも……』
「うっ」
何だ…!?
手が焼けるように痛い。
熱したアスファルトで擂られていると間違えるほどの感覚だ。
恐る恐る手を見ると_
「えっ!?」
剣が握られていた。
一体、いつの間に…!?
『お前は我にやられるか?』
「くっ!!」
ぐんっと、操られるように、剣を持った腕が眼前に構えられる。
直後、衝撃が走る。
思わず瞑った目を開くと、青い男が目の前にいて、俺はその刀を自分の剣で支えていた。
「どうしたんだよ!××!誰だよ!」
いつもは冷静なリルも気が動転して、大声をあげていた。
俺にも分からないことだらけだ。
でも、脳が疑問符で一杯になる余裕もない。
剣を持つ手に集中しなきゃ、青い男の刀が降り下ろされてしまう。
「髪が青い!青い男じゃん!何で、何でよ?」
「わぁ、刀持ってる!!かっこいいけど怖いっ!」
みんなは一斉に俺から距離を取った。
待てよ!
どうすればいいんだよ!
そう思っても、声に出すことはできなかった。
長い前髪の隙間から、青い男の深くて暗い瞳が、俺を貫く。
散々泣いて、悲しみきった後のようにくすんでいた。
同情してしまうくらいに、藍色だった。
「………我は愛を失った者。××よ。名を求めよ」
「……………?」
「…目的は果たした。我はもうこの町に用はない」
青い男が刀を振り上げる。
瞬間、金属が擦れる強烈な音が、耳をつんざいた。