この世ならざるものの影
ほんわかとしたものを書きたかった
『ここは裏野ドリームランド、アクアツアーです。今日も元気なお魚さん達がご挨拶をしてくれています』
ひび割れた声がスピーカーから聞こえる。
「……ちっ」
耳が痛いぜ。休日だってのにがら空きなことだけはあるな。いい年したおっさんがこんなのに乗るなんてのは死んでも避けたかったが、事情が事情だ。仕方ねえ。
「おじちゃん! お魚が浮いてるよ!」
「あれは……糸で釣ってんのか? それとも何かで固定されてるとかか。それより俺のことをおじちゃんって言うな。自分で言うならともかく他人に言われると腹が立つ」
「だっておじちゃんはおじちゃんだもん。それともお兄ちゃんって言われたいの?」
「……おじちゃんでいいわ」
上の兄妹しかいなかったから昔から弟妹に憧れてはいたが、年の離れたガキに言われると背筋が寒くなる。いや待てよ、ならいっそのこと名前で呼ばせて……それはそれで駄目か。
おじちゃんが一番正しい呼び方なのかもな。なにせ俺はこいつの叔父ちゃんなのだから。
しかし、何の気なしに乗ってしまったアトラクションだが、どんなやつなんだ?
パンフレットを広げてみると、
「このアトラクションは……げっ、10分もあんのかよ。こんなの10分もどうやって持たせるんだろうねぇ」
「お魚がいーっぱい見れるね! 期待大!」
「……俺はお前の将来に不安だらけだよ」
確かこいつ10歳になったよな? 小学4年生がこういうの見て楽しんでるのって今の世の中じゃ当たり前なのか? そんなに造りが良いとは言えねえし。
「……姉貴もどんな育て方したんだろうな。昔の姉貴と全然似てないのは良いことだけどよ。義兄貴の方に似ちまったのかねえ」
あの、のほほんとした姉貴の旦那を少しだけ姉貴よりにすればまさにこんなのが出来上がりってわけか。
姉貴よ、義兄貴とデートしてくるのもいいけど、次の子供の教育はもう少し現実を見せたほうがいいとアドバイスしとくぜ。……もうアラサーを過ぎちまったけど相変わらず仲が良いあの二人なら遠からず二人目も見せてくれるんだろうけどな。
ピロリンと胸元から音がした。
「おじちゃん、メールだよ!」
「はいはい……姉貴からか」
「お母さん!? 私は良い子にしてるって伝えといてね!」
ええと……
『私はまだ31だよ? お土産はなしだからきっちりと反省しな』
何で心読めるんだよ! 姉貴の心を鎮めなくては。
「泉、ほれパシャー」
「……? うん! パシャ―!」
何とも間抜けな擬音とともに携帯のカメラ機能を使って隣に座る少女、泉の写真を撮る。
姉貴の娘、つまりは俺の姪である泉はまあ可愛いほうだ。子供的にも女の子的にも。性格も無邪気だから大人にも可愛がられているのだろう。特に姉貴は泉にだだ甘だ。甘やかしすぎてそれでもこういう性格になったのなら育児には成功しているんだろうけど、教育には失敗だな。無邪気すぎてちょっと心配だ。
ともあれ今撮った泉の写真を何枚か添付して泉の現状を文字とともに送信する。
数秒後には
『なんて可愛らしいのかしら! さすが私とダーリンの娘! お土産は期待しててね。良い牛タン仕留めてくるから
PS.泉に何かあったらただじゃおかないから。少しでも楽しくなかったなんて泉の口から漏れたら……どうなるか分かっているわよね?』
……ダーリンとか言うなよ、俺が恥ずかしいわ!
牛タン仕留めるって何だよ。仙台にでも行っているのか? 牛じゃなくて牛タン仕留めるって初めて聞いたぞ。いや、牛を仕留めてこられても困るけど!
携帯を閉じて胸ポケットにしまう。もう姉貴に関わるのはよそう。それよりも今日のミッションをまっとうにこなさなければ。ほら、泉が俺の方を見ている。
「……おじちゃん、大丈夫? お母さんにいじめられてるの?」
「いや、大丈夫さ。姉貴もお前の写真送ったらすごい喜んでたぞ」
「そっか。もしいじめられたらすぐ言ってね? 私がお母さんにコラって言ってあげるから!」
小さいときから共働きの姉貴夫婦の代わりに泉の世話をしてきたせいか、下手をすれば姉貴よりも俺に懐いているんじゃないだろうかと思ってくる。そんなのが姉貴に知られたら俺の命はないぞ……。
「あ、またお魚さんだー」
「うん、本当だ……って、でかすぎねえか!?」
カートに揺られて道を進んでいるわけだが、その道を遮るようにして現れたのは30mを優に越している生き物であった。お魚さんというよりは鯨さんだ。
「あぶね、あぶねっ!?」
「キャー」
俺の悲鳴と泉の楽しそうな叫び声が重なる中、フッと鯨が消えた。
……CGだったのか?
「さ、最近の遊園地もやるじゃねえか」
「アハハ。おじちゃん汗びっしょり。ちょっと待っててね」
そういって泉はポケットから取り出したピンク色のハンカチを俺の額に当てる。
「おい、汚えぞ」
「汚くないもん! まださっきのおトイレでしか使ってないもん」
「いや、そういう汚いじゃ……って、使ってるじゃねえか。……俺の言ってるのは俺の汗のことだ。ったく、俺のを代わりに持っとけ。こっちは正真正銘洗い立ての新品だ」
泉のハンカチをひったくり俺のを持たせる。シンプルな紺のハンカチで気に入っていたやつだが、10歳の女の子には合わねえな。俺にもこんなピンクのは合っているとは思わねえが。
「うーん、まあいっかこれで。じゃあ交換ね。へへ、おじちゃんのにおいがするー」
「加齢臭だとでも言う気か。子供から言われるその言葉は大人にとっては凶器だ。うかつに言うと俺は傷つくぜ?」
「私のハンカチもいいにおいでしょー?」
そう言われて嗅いでみるが、特ににおいはしない。しいていうなら洗剤のにおいだが、まあ得意げに言っているのだ。無下に冷たく言うこともない。
「そうだな。泉のにおいがする」
「うわ、おじちゃん変態だ……」
「なぜそうなるんだ。ほら、あっちに妖精が飛んでいるぞ……妖精!?」
何やら光っているものが浮いており、よく見ると羽の生えた小人らしきものだった。これ幸いとばかりに泉からの変態という発言を誤魔化すために言ったのだが、妖精?
ここ、海をモチーフにしてなかったっけ? 急にファンタジー要素入ってきたな。
「なーんだ妖精か。お魚さんじゃないのか」
「妖精に対する興味ないのか!? だって、ほらあれ、魚より珍しいぞ」
「だってそんなのそこら中にいるじゃん。今更見たって珍しくもなんともないよ。それよりもお魚さんは海に行かないといないんだよ! そっちのほうが珍しいじゃん!」
いや妖精そこら中にいねえよとか魚は海だけじゃなくて川にもいるぞとか色々と言いたいことがあったが、次の泉の一言がそれを遮った。
「それよりもおじちゃんお魚さんのことそんなに詳しくないでしょ? さっきからお魚さんのこと訪ねてもおじちゃんの言ってること、全部間違ってるって言ってたよ」
「言ってたよって、誰がんなこと……」
「水の妖精ウンディーネが」
「……」
きっと姉貴が妖精がいるなんていう泉の言葉を肯定しちまったからこうなったんだろうなあ。しかしどうするかなこれ。サンタさんと同じく自分から気づくのを待っていたほうが……でも幻覚らしきもの見てないか? 水の妖精ウンディーネさんとお話できるくらいにはヤバいらしいぞ。
「あ、またでっかいお魚さんだー」
「……あれはたぶん鯨だと思うぞ」
「本当? ……ウンディーネもそう言ってるからおじちゃん当たりだね!」
まさか10年以上面倒を見てきた姪がこんな不思議ちゃんに育っていたとは。俺のいない間に何してくれたんだよ姉貴!
「おじちゃん元気ないの? お腹減った?」
「そうだな……ここ出たら夕飯食べるか」
時刻は5時過ぎ。少し早めの夕ご飯だ。
何がいいか、そう尋ねようとしたときだ。
「おじちゃん危ない!?」
「っ!?」
泉が悲鳴を上げ、上を見るとあの巨大な生き物が、鯨の巨体が迫って来ていた。
ワイヤーでも切れたのだろうか。そうぼんやりと考えていたが隣にいる泉を見ると我に返り、泉の身体に覆いかぶさった。
「……」
「……」
「……助かったのか?」
辺りは暗い。上を見上げると鯨の目と目が合ってしまった。俺たちの乗るカートの真上すれすれで鯨は止まっていたのである。
「土妖精ノームが引っ張ってくれたみたい。助かったねおじちゃん」
そんな馬鹿なことあるわけ、と思った瞬間、何やら小さい粘土の塊みたいなものが宙に浮いて鯨を引っ張っているのが見えた。
「!?」
目をこすり、もう一度見るとそこにはもう何もなく、鯨も元の位置に戻っていた。
あれは夢だったのだろうか。土妖精ノームとやらも鯨が落ちてきたことも。
「見て、光が見える。もうすぐ出口みたい!」
横では泉がもう無邪気にはしゃいでいる。そうか、こいつに確認すれば少なくとも鯨が落ちてきたことが夢かどうか分かる。
「なあ泉」
「なに?」
「その……いや、何でもない。今日の夕飯は何を食べたい?」
泉の笑顔を見ると聞く気が無くなってしまった。さっきのを思い出させるのも酷ってなもんだ。何はともあれ俺たちは無事。それだけは変わらない。
泉がこのまま良い子に育ってくれるならそれで問題ないのだ。変な輩が現れたらそれこそ俺や姉貴の出番だ。
まずは泉をすくすくと育てさせること。そのための今日の泉の血となり肉となり一部になっていく大事な夕飯を決めないとな。
「うーんとね、お寿司がいい! 回ってるやつね!」
「こんなの見た後でか……まあ回転寿司ならそこまでかからねえからいいけどよ。好きなだけ食べろ。姉貴から金は預かってるからな」
「おじちゃん! そこは俺の奢りだって言わないと!」
泉が俺の腹をポカポカと叩いてくる。
こんなふうに懐いてくれるのもあと何年だ? いずれガキってのは大人に近づくにつれ大人から離れていくもんだ。そして再び大人になったら俺らのようなかつて大人であった年寄りに寄ってくる。
いずれ妖精だ何だと言わなくなるんだろうが、それは俺の指摘することじゃねえ。俺は泉にとっての半面教師にでもなってればいい。そうやって泉の息抜きにでもなってやるさ。
「さあおじちゃん、れっつごー!」
「おい服を引っ張るな。これそこそこ高いやつだから!」
『何とか誤魔化せましたが、君達次はないですよ?』
『光の巫女たる泉様に危害を与えようなどと本来は死罪に等しい罪を与えるべきですが、今回はさしたる被害もなく、泉様の付き添いが泉様の伴侶に相応しいと判断できたため1ヶ月のただ働きだけでよしとします』
『そ、そんな……』
『だまらっしゃい!』
『だいたい貴様らはいつもいつも……』
『儂らはもう疲れたから休ませてもらうぞ』
『ノーム殿よ。本日は助かった』
『かっかっか。イタズラ好きのグレムリンどもよ。あんまし悪さをすると……あの魚どもに食べさせるぞ?』
『ヒ、ヒィィ。ずびばぜんでしだ……』
『あの魚たちってやっぱり生きてらっしゃったんですの?』
『魔法で時を止めてるだけだからな。いつでも解放はできる。まあ病期や寿命のものばかり選んだから解放されたがるのはおらんがな』
裏野ドリームランドのアクアツアーでは時折何か小さなものの影が見えると言う。
それは宙を舞う魚の影か、それともこの世ならざるものたちの影か……。
タグをホラーにしたけど、全然ホラーでもなんでもないじゃん