二節 病院へ行った
神様が予告した五日が過ぎた。しかし、まだ次の敵は現れていなかった。
僕は楓と仲直りすることも出来ず、すぐにでもやってくるかもしれないその瞬間に備え、常に神経を張り巡らせていた。
これまで敵が出現する時には、必ず神様が現れていたから、その瞬間にすぐ動けるようにしておかなくてはならなかったのだ。瞬きをした瞬間に、クラスメイトが発芽している可能性だってあった。そうなった場合、僕が何よりも優先するのは楓の命だ。楓を安全な場所に移動させてから、こっそり動いて変身するつもりだった。
そしてその時がやってきた。
担任教師でもあるノムさんの授業を受けていると、僕の真横に神様が唐突に現れた。敵が出現したのだ。
「悠斗、次が来るぞ」
裸のまま悠々と宙に浮かび、神様が告げた。
(どこに?)
心の中で問いかけた。これまでの経験から、神様と話す時に言葉は不要ということを理解していた。強く念じれば、僕の言葉は神様に届くのだ。
「学校の中だ。直ぐ側だぞ」
神様が僕の後ろを指して言った。
僕は椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「ど、どうしたんだぁ芹沢!? 腹でも痛いのか?」
ノムさんが僕の突飛な行動を見て目を丸くした。
僕はノムさんに返事を返さずに、ゆっくりと後ろを向いた。僕の後ろに、次の敵が居るはずだったからだ。
教室の中は静かだった。クラスメイトはヒソヒソしながら、僕を見つめていた。僕の視線は、真後ろに座っていたトモちゃんに釘付けになっていた。
トモちゃんは俯き、顔を上げなかった。両腕を抱いて、震えていた。
僕の心は乱れに乱れてしまった。さっきまで楓を守って敵を倒さなくてはと考えていたはずなのに、その場から動けなくなってしまったのだ。
トモちゃんがゆっくりと顔を上げた。ひくつく頬を抑えながら、トモちゃんが喉を震わせ言葉を発した。
「……逃げて……」
トモちゃんの声が、静かな教室に嫌に響いた。だが、トモちゃんの言葉のおかげで、僕は我を取り戻した。
僕は楓の席に飛びつくと、楓の手を掴んだ。
「い、痛いっ!」
無理やり席から立たされ、楓が声を荒げた。
「早く教室から出てっ!!」
僕は叫びながら楓の手を引っ張って教室の扉をぶち破った。何人かの生徒が、事態を理解したのか僕に続いて教室から飛び出した。
その直後、発芽が始まった。
トモちゃんの身体が爆発するように内側からエネルギーを放出したのか、椅子や机が弾き飛ばされる音が背後から聞こえた。
教室は一気に騒然とし、すぐにその騒ぎは他のクラスにまで伝播した。何人かの生徒が、トモちゃんの中から現れた管と粘液に巻き込まれ、悲鳴を上げた。
僕は楓の手を握りしめたまま、物凄い勢いで階段を駆け下りていった。
「慌てるなぁ! 避難訓練と同じだ! 『おかしも』だぞぉ!」
ノムさんが声を張り上げながら、逃げ遅れた生徒の誘導を始めた。他の教師も慌てて走り出す。
「悠斗痛い! 痛いってば!」
楓が僕に引っ張られながら叫んだ。
「ご、ごめん! でももうちょっと我慢して!」
僕は少しだけ楓の手を握る力を弱めたが、それでもしっかりと手を繋ぎ校舎の外へ出た。なぜかその時僕の脳裏では、こんな時なのに上履きを履き替え忘れてしまったことを後悔する気持ちが沸き起こっていた。
僕は楓を引っ張りながら学外に出た。楓が学校を振り返りながら叫んだ。
「ねぇ! 朋美を助けないと!」
「わかってる! わかってるけど、今はとにかく校舎から離れないといけないんだ!!」
僕は全速力で楓を引っ張っていたが、情けないことに僕の体力と楓の体力はほぼ互角か、楓の方が少し優勢だった。すぐに楓が隣に並んで走り出した。それでも僕は手を離さなかった。この手を離したら、二度と楓と会えなくなるんじゃないか。そんな、脅迫めいた考えが頭の中にあったのかもしれない。
僕は楓を連れて、学校の北東、霊光寺の方向へ向かった。山に近づくと、僕は楓の手を離し、息を整えた。
「……楓はこの辺りに隠れてて」
「は? え、ちょっと、悠斗はどうするのよ!?」
楓は僕と同じように息を整えながら尋ねた。
「トモちゃんを助けに行く。学校に戻るよ」
「バカ言わないでよ!」楓が怒鳴った。「朋美は……あの化物になっちゃったんでしょ!? 今から戻ってどうするのよ! 悠斗が殺されちゃう! アレは……もう朋美じゃないんだもん!」
僕は瞳に涙を溜めた楓に近づき、目の下をさっと拭ってやった。
「絶対に、僕は大丈夫だから。お願いだから信じて。トモちゃんは僕が助ける。僕もちゃんとここに戻って、楓も守る。だから、今だけは行かせて。早く行かないと……」
「なんでそんなこと言えるの……?」
楓はなおも目から涙を溢れさせながら言った。
「僕が……、僕は……」
僕は自分の秘密を吐露しようかと口を何度か開けたが、言うべきじゃないと思って止めた。
「……とにかく、絶対に大丈夫だから。信じて欲しい。……前に、頼ってって言ってたでしょ? だったら頼らせて欲しい。安全な所で隠れてくれてるって、安心させて欲しいんだ。そして僕を頼って欲しい。トモちゃんを助けたいのは、楓も同じでしょ?」
楓は俯いたまま、肩を震わせた。
「朋美は……大事な友達なの」
「知ってる」
「本当に、悠斗に助けられるの?」
楓が顔を上げて尋ねた。
「助ける。絶対にできるかはわからないけど、助ける」
僕は楓の瞳をまっすぐ見据え、手を握って言った。
「信じて……いいの?」
「信じて欲しい。僕は絶対に、楓を裏切らない。二度と」
僕は楓から手を離し、後ろを振り返った。
「絶対だからね!? 帰って来なかったら、後を追って自殺してやる。地獄の果てまでついていって、一生苦しめてやるから!」
楓が僕の背中に向かって叫んだ。
僕は片手を上げて楓にやる気を示してから、学校に向かって全速力で再び駆け出した。
隣に浮かぶ神様を見て、僕は走りながら質問を投げかけた。
「神様! 取り込まれた人間を助けることは出来るの!?」
「可能だ。ただし変身してからどれだけの時間を耐えられるかは宿主の体力と気力に左右される。君が今まで倒した敵が取り込んだ宿主は全て変身してから時間が経っていた。だが今回はまだ一時間も経っていない。急いで戦闘を終わらせれば可能かもしれないな」
「それだけ聞ければ十分!」
僕は楓から見えない位置に入ったと確信すると同時に、藪の中に飛び込んだ。さっと辺りを確認してから、ポケットに忍ばせておいたカッターナイフを取り出した。
僕はYシャツを捲り上げると、ナイフで脇腹を傷つけた。
僕の考え通り、傷口から例のカサブタが拡がるのなら、わざわざ見える位置に傷を作ることもない。最初から服で自然に隠れる部位に傷をつければいいのだ。
いつもよりも少し力が入ってしまい、深めの切り傷が出来てしまった。僕は脇腹の痛みに耐えながら、身体が生まれ変わる瞬間を待った。
十数秒後、僕は藪の中から飛び出し、学校へ向けて跳躍を始めていた。
足に全力を込め家を飛び越えて進み、僕は校門の上を通り抜けた。
校庭にはまだ沢山の生徒が残っていた。トモちゃんが変身したであろう物体は目に入らなかった。どうやらまだ校舎の中に居るらしかった。
校庭に押し寄せた生徒達はパニックを起こしかけていたが、トモちゃんからまだ離れているという一線で、どうにか冷静さを保っていた。
僕が校庭の中に着地すると、地響きが起こり生徒達が僕を見つめた。前にここにやって来た時と違い、誰ひとりとして僕から逃げ出さなかった。それどころか、校舎への道を率先して作り始めた。僕に敵を倒して欲しいと訴えていたのだ。
僕は立ち止まったまま、校舎を見つめた。
(トモちゃん……敵はどの辺だ?)
心の中で神様に尋ねると、神様は校舎の一角を指差した。
「あそこだ」
神様が指を差していたのは、僕らの教室がある二階の端の方だった。どうやらまだコンクリをぶち抜く程活動は活発ではないらしかった。
(了解……!)
僕は短く吠えてから、地面を思いっきり蹴った。
昇降口の前に着地すると、僕は二階の窓を突き破ろうと、昇降口横の壁に爪を突き立て、窓を細長い腕で粉砕した。
窓の大きさは恐らく一メートル程もなかったと思うが、僕には窓を越えて廊下に入れる自信がなぜかあった。
そしてその根拠のない自信の通り、僕は窓枠だけになった僅かな隙間から身体を滑り込ませるようにして廊下に降り立った。
学校の廊下はお世辞にも広いとは言い難く、僕は身体を蜥蜴本来の四足歩行の状態にして、高さを低くしなければならなかった。この状態だと、人間のように腕を使った戦闘をすることは難しい。獣の如く顎と足を使って戦わなければならない。
トモちゃんが這い回っているのか、床に粘液のようなものの跡が残されていた。
僕は跡を追いかけるようにして、廊下の先へ進んでいった。
そこには、僕が探し求めていた存在が居た。
トモちゃんだったものだ。
全長五メートル程の、全身がブヨブヨとした球体の見た目をしていて、一見すると巨大なお手玉のような印象を受けた。つまり、中身がぎっしり詰まっている感じではなく、中に空間があるようなたるみ方をしていたのだ。巨大な肉のお手玉が、廊下の途中に詰まっていた。
腕か脚のようなものが六本生えていた。生えていたと言うより、突き出ていたと表現するほうが適切かもしれない。
ブヨブヨとした肉のお手玉から、節の付いた何かが飛び出ていたのだ。飛び出した部分から、絶えず粘液が噴き出していた。
見ていて情けないことに、トモちゃんだった肉のお手玉は、自分が噴出している粘液に滑って思うように動けないらしかった。
お手玉を突き破った脚らしきものが、何度も何度も床を叩いては、バランスを崩して倒れていた。
僕はトモちゃんの姿を見て、無性に泣きたくなってしまった。仲の良い友達が化物になってしまったことが、心臓を抉るような感覚を呼び起こしたのかもしれない。
僕は肉のお手玉を憐れみながら、距離を詰めていった。
僕の足が引き起こした振動に反応し、肉のお手玉がその巨体をズルズル引きずりながら回転させた。
正面には顔のような出っ張りが付いていた。今にも中から飛び出しそうな形相に、僕はドキッとしていた。
神様によれば、敵の怪物は人間の欲望を糧に成長しているという。つまり、出現した敵はその欲望に基づいて行動しているのではないかと僕は予測を付けている。
トモちゃんの欲はなんだったのか。僕が知る由もないが、この場ではっきりとわかったことがあった。
トモちゃんの衝動的行動には、僕の存在が関わっているということだ。
そして『蜥蜴』に身をやつしても、本質的なもの――例えば魂のような――は変わらないのかもしれなかった。
僕を見つけた肉のお手玉が金切り声を上げた。
あまりの迫力と衝撃に僕は怯んでしまい、その場で立ち尽くしてしまった。
肉のお手玉の中身が激しく脈動し、顔らしき出っ張りが何度も押され、中の物体が今にも飛び出そうとしていることを僕は感じた。そして、トモちゃんを助ける猶予もあまり残されていないことを直感的に悟った。
僕はのたうち回る肉のお手玉に近づき、牙を突き立て表皮を食い破った。
中身の活動が活発になる前に外に引きずり出し、更にその中のトモちゃんを助けるつもりだった。
肉のお手玉が裂けると、中から大量の液体が溢れ出し、『蜥蜴』の装甲を汚していった。
僕は奔流に負けじと頭をお手玉の中に突っ込み、中身に噛み付いた。顎に感じる感触を離すまいと力を込めながら、僕は肉のお手玉を押しながら頭を引いた。
まるで赤子が産まれるように、肉のお手玉から僕は中身を引き出した。
中身はまるで変態を遂げた蝶のようだった。細い体躯に負けず劣らずの細長い手足を携えた怪物だ。触覚の付いた頭部は、まるで人の頭のようだった。どことなくトモちゃんの顔に似ていると感じたのは、やはり発芽したのがトモちゃんだと知っていたからだろうか。
中から現れた化物が、『蜥蜴』を見てもう一度金切り声を上げた。
化物は僕の牙から逃れると、窓を突き破って落下した。校庭で様子を見ていたらしい生徒達が、遠巻きに悲鳴を上げたのが、僕の耳に届いた。
僕は化物を追いかけ窓から飛び降りた。化物は今まさに飛び立とうと、背中に生えた皺だらけの羽を広げようとしていた。僕は背中の羽を踏み潰しながら着地し、自由になった両手足を使って化物を拘束した。
背中に牙を立て、僕は中身を齧り取った。僕が牙を入れるのに呼応して、化物の叫び声も次第に大きくなり、割れんばかりの悲鳴を轟かせた。
僕は背中の切れ目から大事な友人の姿を見つけると、脚で羽を押さえて逃げられないようにした上で、両手を慎重に使いそれを中から引きずり出した。
粘液に塗れたトモちゃんの姿が、そこにはあった。
トモちゃんの活発さを表すような白いブラウスは見る影もなく薄汚れてしまっていたが、それでも僕ははっきりと、トモちゃんの胸がまだ僅かに上下しているのを確認した。
急いで病院に連れて行かなくてはならない。だが学校に救急車がやって来るまで、まだしばらくかかりそうだと、僕の耳が告げていた。
悠長に救急車が到着するのを待っていたら、間に合わなくなってしまうかもしれないと僕は思い、トモちゃんを抱きかかえて立ち上がった。
自分で運ぶ他ない。今取れる最善策はそれだけだと、僕は決心した。
僕はトモちゃんを、今にも割れそうな薄い氷を摘むような手つきで肩の上に乗せた。左腕で落ちないよう固定し、病院の方角へ向けて走り出した。
振動を与えて何か悪影響を及ぼす可能性を考慮し、僕は出来る限り揺らさない努力をしながら病院目がけて走り続けた。
五分程で病院に到着すると、僕は再びトモちゃんを抱えて歩き始めた。
病院中の人間が僕を見ていたが、そんなことはどうでもよかった。僕と楓の大切な友人の命を守ることが、この時の僕にとっては何よりも優先すべきことだったのだ。
トモちゃんを抱えて病院の自動ドアに近づいた。受付の女性や患者達が慌てふためきながら、蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。
自動ドアは開かなかった。どういう理屈なのかはよくわからなかったが、センサーが反応していないようだった。僕は面倒臭くなり、右手を前に突き出して自動ドアを破壊した。ガラス片からトモちゃんを守りつつ、、僕は無理やり自動ドアを越えて病院のエントランスに入った。
待合室を兼ねたエントランスのソファの上に、僕はトモちゃんを丁寧に置いた。トモちゃんの存在を知らせるために、僕は短く咆哮すると一歩下がり様子を見守った。
一分程して、爽やかな顔つきの青年がおずおずとトモちゃんの側に近づいていった。青年はトモちゃんの様子を見て顔色を変えた。
「この子、まだ息がある! 医者を呼んで! 早く!」
青年の声に反応して、看護師達が慌ただしく動き始めた。医師から指示を受けたのか、すぐに奥の方からストレッチャーが運ばれてきた。
僕は念のためもう一歩だけ下がったが、トモちゃんが無事に運ばれるのを見届けようと病院から出ることはしなかった。明らかに病院の周りに野次馬とマスコミが集まり出していたが、僕は無視を続けた。
看護師達がトモちゃんをストレッチャーに乗せ、病院の奥へと走っていった。
僕に向けて小さくお辞儀をしたのが、印象的だったことを覚えている。
僕は再度短く吠えると、破壊した自動ドアに向けて歩き出した。
病院の入口を這い出て立ち上がると、僕は学校の裏、霊光寺に向かって跳躍をした。楓を迎えに行かなくてはならなかった。
僕はマスコミのヘリを撒きつつ林の中に入ると、周囲を確認してから元の姿に戻った。
「はぁ……、はぁ……」
何度か息を整え、服の乱れを直してから林を出た。少しだけ迂回しつつ、僕は楓を待たせていた辺りまで走っていった。
少しだけ坂を登ると、楓が所在なく電柱に寄りかかっていた。スマホをしきりに弄り、何かを確認していたように見えた。
「楓!!」
僕は腕を振りながら楓の元へ駆けていった。
「悠斗! よかった……無事で……」
楓が涙を滲ませながら言った。
「ちゃんと帰ってくるって約束したでしょ。トモちゃんも多分大丈夫。あの黒い怪物がやって来て、化物からトモちゃんを引っ張り出してくれたんだ」
「朋美を……?」
「うん。病院の方にトモちゃんを連れていったみたい」
「本当だ……。ニュースの速報に出てる……」
楓が手元のスマホを覗き込んで言った。僕はこの時点で失言していたことに気がついた。万が一『蜥蜴』の行動が速報で上がっていなければ、僕はどこからその情報を知ったのかという疑念が生まれてしまう。
「よかった……、よかった……」
楓が呟きながら、僕に抱きついて泣き始めた。僕はどうしていいのかわからなかったが、映画や小説だとこういう時は背中を撫でていたなと思い出し、楓の背中を優しく擦った。
この日初めて発芽した人間が生存し、トモちゃんは瞬く間に時の人として、マスコミに追い掛け回されることになった。