一節 夢を見た
うだるような夏の日差しも、最新の冷房が導入されたこの教室ではどこ吹く風といった様子だ。
教室の中では男子と女子がそれぞれ分かれ、帰りのホームルームが始まるまでの暇つぶしに、雑談や携帯ゲーム機を触ったり、もしくはスマホを弄って過ごしていた。
そんな中、僕は誰とも会話せず机に頬杖をついていた。僕の視線は教室中央の壁に掛けられた時計に固定されていて、針がじわじわと動いていく様を無心で眺めていた。
教室のドアがガラッと音を立てて開いた。色付き眼鏡を掛けた初老の男性社会科教師、野村泰彦――通称ノムさん――が教室を横切り黒板の前に立った。
「あーどっこいしょ」と漏らしながらノムさんが教卓の側に置いてあったパイプ椅子に座った。
「はい、それじゃホームルーム始めますよっと。……って言っても大した連絡は無いんだよな。今週末終業式だってくらいだけど、みんな知ってるでしょ?」
なぜか段々と早口になりながらノムさんが言った。
「ああ、一個あった。明後日の追試で赤点取った奴は、夏休み中補習あるからちゃんと勉強しろよ? 俺も夏休みに学校なんか来たくないからさぁ」
追試と補習というワードにクラスの一部がざわついた。
「はいはい、うるさいぞーお前らー。それじゃ、連絡は以上。日直号令」
ノムさんに促され日直の湊楓が声を上げた。
「起立。……礼」
「はい、さようなら。用事ない奴は早く帰れよー?」
「はーい! センセさようなら!」
クラスの女子達がノムさんに手を振って教室を出て行った。ノムさんはなぜか知らないが女子から人気の先生だ。
僕もリュックを背負って教室を出て行った。
二年生の教室がある二階から、素早く一階の昇降口まで降りて行き、下駄箱からスニーカーを取り出した。上履きを適当に突っ込みスニーカーに履き替え駐輪場へ向かうと、入学する時に買ったママチャリに跨がり、チェーンを軋ませながら学校を出て行った。
十五分ほどペダルを漕いで、家に着く頃には全身が汗だくになっていた。ポケットから鍵を取り出し、玄関の戸を開けると、二階の自室に飛び込みエアコンをつけた。すぐさま一階に戻り、汗で汚れたワイシャツを洗濯カゴに放り込んでシャワーを浴びると、僕は二階の部屋に戻った。
適当なジーンズとTシャツに着替えると、僕はベッドの上に寝転び目を閉じた。頭の中で、これまで構築した世界を夢想するのだ。緑溢れる森林の中に住む、耳の長いエルフ族。鉱山に住み、採掘と金属加工を生業とするコボルト族。そして世界のいたるところに住居を持ち、農業や狩り、そして商売をしながら生活する人間族。僕の頭の中では、古典的なファンタジーの世界が息づいていた。
僕が唯一趣味としていたことが、この行為、頭の中で自分のいる世界とは別の世界を想像することだった。僕は小さな頃からファンタジーの世界に憧れていて、自分で設定を考えてはそこに住む人や生き物のことを考えて過ごすことが大好きだったのだ。
今日もいつもと同じように、ファンタジーの世界へ飛び込もうと思っていたのだが、なぜか急に瞼が重くなっていき視界が真っ暗になってしまった。意識は妙にはっきりしていて、初めは明晰夢を見ているのかと思ったが、どうにも違うようだ。なんとなく僕には、現実世界の延長、のような感覚があった。
「やあ、悠斗。初めまして」
僕は暗闇の中で、自分を呼ぶ声を確かに聞いた。耳を澄ましていると、次第に声の輪郭がはっきりとしてきて、気づくと真っ暗な空間に何かが立っていた。
「やあ、悠斗」
「こ、こんにちは。……あんた、誰?」
白いもやのような何かが目の前に立っているという確信が僕にはなぜかその時あった。白いもやから声のようなものが発せられた。
「私は……、悠斗達の世界で言う神様、ゴッドだ。悠斗、こいつはとんでもなく変なことを言ってるな、と思うだろうけど、私は自分の姿、というものを持っていないから、とりあえず私に触れてくれないか。君が考える神様の形になったほうが、きっと話しやすいと思うから」
僕は何が何だかよくわからなかったが、言われるまま声を発した白いもやに手を伸ばした。瞬きをしたその一瞬で、目の前のもやは消え失せ、裸の少女がふわふわと浮かんでいた。
「あの、なんで……裸なんですか……?」
僕がおずおずと尋ねると、嬉しそうに笑いながら自称神様が口を開いた。
「君がそうイメージしてたからだよ。結構少女趣味なんだね? もっと髭の生えたおっさんとかにされると思ってたよ」
可愛らしい少女が髭を示すように顎の辺りでわさわさと手を動かした。
「あ、いや、なんか、聞こえてきた声のイメージがさ、女の子っぽいなって」
「へぇ? 悠斗にはそういう風に聞こえたんだ」
ふわふわ浮かびながら神様があぐらをかくように脚を組んだ。僕は、女の子の大事なところが見えそうでちょっと目を逸らしたが、神様があまりにも堂々としていたのと、僕が想像した姿なのだから構わないだろうと思って途中から神様の身体を凝視していた。
「あんまり見られるとなんだかくすぐったいね?」
「あ、すいません、つい」
「気にしてないよ。さて、じゃあ君を呼んだ理由でもそろそろ話そうか」
ようやく本題に入るらしく、神様が少しだけ真剣な表情になった。僕も姿勢を正して次の言葉を待った。
「私はね、悠斗にお礼をしに来たんだ」
「お礼?」
「そう、お礼。君、頭の中で架空の世界をあれこれ考える趣味があるだろ?」
神様の発言に僕は心底驚いた。
「な、なんでそのことを。誰にも話したことないのに」
「神様だからね、何でもお見通しなのさ。君のこの趣味のおかげで私は大変助けられてね」
神様が言っている意味がわからず、僕は首を傾げてみせた。
「私には、世界を作る、という仕事があるんだ。君がいるこの世界以外にもいくつか作ってきたんだけど、途中で疲れちゃってね。結構面倒くさいし。そこで考えたのさ、私と同じように世界を考える力を持った種族が暮らす世界を作って、私の代わりに新しい世界を考えてもらおうと。そうしてこの世界を生み出したんだけど、中々流用できる世界を考えてくれる人がいなくてね」
神様が空中でくるくる回りながら続けた。
「思春期の頃、多分多くの人間が架空の世界を夢見て頭の中で想像するだろう? まあ私がそういう風に作ったんだけどさ。その世界を覗き見て、私は新しい世界作りに役立てようと思ったんだ。それで、色々考えてはくれるんだけど、みんな作り込みが甘いし、いらない要素が多いんだよね。上手くいかないもんだねぇ」
「どういうこと?」
僕の質問に神様が答える。右手を上げて指を一本上げた。
「う~ん、そうだね。例えば、君がよく想像する、えっと、この時代だとファンタジーって言うんだっけ? そういう世界を想像する人は本当に多いんだ。だけど、現実に存在する世界として誕生させようとすると情報が足りなすぎるんだよね。エルフやコボルト、オークにウェアウルフ、どういう進化の過程があって、彼らが生まれたのか。魔法っていう現象は一体どういうメカニズムなのか。君がいるこの世界とは違う世界だから、物理法則とかももちろん違ってていいし、魔法っていう君達にとっては不思議な存在だって許容できる。でも、それを誕生させる程の説得力がないんだよ。これが一つ目の、作り込みが甘いってこと」
神様が二本目の指を上げた。
「二つ目。作り込みが甘いにせよ、新しい世界は世界だ。だから一応中も覗くんだけど、そこには物語が生まれてしまうことが本当に多いんだ。これがいらない要素の筆頭。世界を救う勇者とか、なぜか妙にモテるハーレムチート青年とか、異世界から転移してきた一般人とか、なんでもいいけど、とにかくキャラクターとそれに関連するエピソードが生まれてくる。私が欲しいのは、現実に存在する世界としての説得力なんだよ、悠斗。神話や伝承のたぐいならいくらでも欲しいけど、一個人の欲望が詰まりに詰まったキャラクターはいらないんだ。それは作った世界に暮らす人の邪魔をする。物語はその世界の住人が、自分で考えて行動し、偶然と必然が重なって紡がれるものだ」
神様が僕の鼻先にひっくり返ったまま近づいてきた。
「例えば私がこの世界に、現実として君の住むこの街に異世界から魔法を使えるイケメンチートエルフでも呼び出して、好きな女の子なんかをかっさらっていったら納得いかないだろ? そういうのは頭の中や、フィクションとしてだけ楽しむから許されるのであって、現実に存在したら理不尽以外の何物でもないでしょ?」
「そ、そうだね。フィクションとして自分が感情移入したり傍観するのはいいけど、本当に目の前に現れたら嫌で堪らないと思う」
「そう! だけどその点君の世界は実にいい!」
神様が僕に指先を突き付けた。
「悠斗が考える世界は妥協がなく、細部まで緻密に練られている。エルフがどういう生き物から進化して、どういう歴史を歩んで発展していったのか。魔法とはどういう存在なのか、世界の地形や、それが出来た様々な理由付け。天文的な出来事に加え人や動物の歴史。私が欲しいと思う情報は全て余すことなく考えられている。更にキャラクターが一切登場しない! 素晴らしい! 悠斗が考える世界は一つの惑星に関する歴史の流れと自然の現象だけだ。そしてそれらが複雑に絡み合ってこの世界にはない現象の説得力を持たせている。私はただ君の世界をコピーして、細かいところを修正するだけで仕事を終えることが出来るんだよ!」
神様が興奮した様子で僕の周りを上下左右に飛び跳ねた。
「君から貰ったアイデアは既に三つ! 三つの世界を君達の時間感覚で言えば、たったの十年やそこらで作ったんだ。これから先しばらくは一切働かなくていいと思うともう嬉しくて嬉しくて!」
「よ、よかったですね? 僕も自分の考えた世界が現実に存在するなんて、なんか、嬉しいです」
「でしょ!? そこで、最初の話に戻るけど、あまりにも暇で暇でしょうがなくなったし、いくらお礼してもしたりない恩が悠斗には出来たからね、お礼をしようと思って」
まさかこれがラノベでお馴染みの異世界召喚フラグなのだろうか!? と僕は内心小躍りしていた。
「あ、違うよ。君を君が作った世界に送るなんてことは絶対にしない」
表情に出ていたのか、神様は容赦なく切り捨てた。僕は露骨に肩を落とした。
「まあまあ。代わりにここは一つ、君を物語の主人公にしてあげようと思ってね」
「物語の主人公?」
神様が頷いた。
「そう。主人公らしく、神様の私が君に、トクベツな力を与えよう」
「でも、さっき誕生した世界に介入するのは良くないって言ってなかった?」
「そうだね、今でもその考えは変わらないよ。でも、この世界は十分自己を保てるレベルまで育ったし。それに私の我儘だけど、ちょっと見たくなったんだ」
神様が少しだけ微笑んだ。
「今までいろんな世界だけを考えてくれた悠斗が、主人公になったらどんな物語を作るのかなって」
少しだけ考えてから、僕は頷いて言った。
「僕は、神様がそうしたいなら、主人公になっても構わない。本音で言えば自分の世界も見てみたいけど、やっぱりこの世界が好きだし、離れたくないからさ。この世界で生きたまま、少しの間だけでも不思議な夢が見られるなら、細かい理屈はなしにして、体験してみたいよ、やっぱり」
僕はその時、本当に心からそう思っていた。世界を作った神様が直々に主人公にしてくれるって言うんだ。最高にワクワクしていた。
「うん、わかったよ悠斗。それじゃあ、君の物語を紡ぐために何個か質問するから、答えてね」
「わかった」
頷くと、神様が僕に質問を始めた。僕は質問されたことに、素直に答えていった。
「一つ目の質問、悠斗が考える主人公って、どんな人? 物語の主人公なんだからこうあるべき、とか、こういうのが好きだみたいなの」
「そうだな……。自己犠牲みたいなのがあると燃えるかな。自分は辛くても、周りの人を助ける、みたいな。あとは……、無条件で強いのは嫌いだな。なんでもし放題のヒーローより、泥臭くても頑張ったり、力の行使に代償があったほうが格好いい。どうせ主人公になるなら、そういう力の方が嬉しいな」
「ふむ、じゃあ恐怖や強さを感じるのはどんなもの?」
「やっぱり、ファンタジーのモンスターとかは怖い……というか強いのかなって思うよ。ドラゴンとかさ。怖い……で言うと、ホラー映画とかにあるような、不定形な感じの……どろっとしてたりとかそういう普段目にしないような形をしてたりとか……かなぁ?」
「なるほどなるほど。じゃあ最後の質問」
「どうぞ!」
神様が再びくるっと回って僕と同じ向きになって目線を合わせた。
「物語の最後を飾るシーンは?」
答えは決まっていた。僕は笑顔で神様に答えた。
「やっぱり最後は、なんだかんだあってもハッピーエンド! これだね!」
神様が満足したように笑った。
「うん、やっぱり君は私が見込んだ人間なだけあるよ。色々面白い物語になりそうだ!」
すると、さっきまではっきりとしていた僕の意識は、徐々に薄れていった。
「じゃあ、準備ができたらまた会いに来るよ! 少しだけ待っててね、悠斗!」
目を開けると、いつも通りベッドの上に寝っ転がっていた。エアコンが必死に風を送っている。首を傾けると、部屋の扉が開けっ放しになっていたことに気付き、僕は立ち上がり扉を閉めた。
あまりにも不思議な体験だったが、僕は神様を一切疑わなかった。この時は、これから始まる僕の物語を始まりを、ただただ楽しみにしていたのだ。
それからは特に何も起こること無く、僕は普段通り今作っている新しい世界を空想して過ごした。この世界がいつか現実のものとして生まれるのかもしれないと知った後だったから、いつもよりリアルな設定の構築に力が入った気がした。