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四節 物語が終わった

 狼狽した。

 見られたくなかった。

 僕は這いずり回るようにして、楓の前から逃げようとした。

 この姿の僕を見られたのはこれが二度目だった。だが、相対したという意味では初めてだった。

 見られたくなかった。

 この醜い姿を、見られたくなかった。

 ただそれだけだった。それだけの理由で、僕は楓の前から姿を消そうとした。


 腰の辺りに暖かいものを感じ、僕は足を止めた。楓がしがみついていた。

 振り払うのは造作もないことだったが、そうできなかった。人間の身体は脆い。僕が無理に動けば、楓の身体は粉々になってしまっていただろう。

 離して欲しかった。だがそう要求することは、今の僕にとっては何よりも難しいことだった。

 喋れないことがこれ程苦痛になるとは思っていなかった。だがもう人間の身体に戻ることはできない。楓に僕の意思を伝えることは不可能だった。


「行かないで……!」


 楓はなおもしがみつき、小さく呟いた。人間の耳なら取りこぼしてしまうような声量だったが、幸か不幸か僕の耳はそれをしっかりとキャッチしてしまった。

 僕は低く唸り、大きめの木を背もたれにして座った。

 どうしていいのか、わからなかった。


 神様に助けを求めたかった。無理なのはわかっていても、そう願うばかりだった。

 願いが叶わないなら、いっそ死にたかった。

 楓にだけは、見られたくなかったのだ。沢山の人を殺し、それどころか戦いによろこびを見出してしまった僕を、見られたくなかった。

 僕は心の中で泣いた。終わった、と本気で思っていた。

 僕の前に立っていた楓が一歩近づいた。首に手を回し、頭を擦り合わせる。


「悠斗。イノデカさん達から、話は聞いたよ」


 無いはずの心臓が、ビクッと震えた気がした。楓は僕の頭に自分のそれを合わせながら続けた。


「もう、人間に戻れないんだって、言ってた。本当なの?」


 楓に尋ねられ、僕は仕方なく低く鳴き返しながら頷いた。


「……そっか。…………辛いね」首に回された楓の腕が、より力強く僕を抱いた。「あたしには理解できないけど、辛くて、悲しいことだっていうのは、わかるよ」


 楓はそう言ったが、僕の気持ちはわからなかったと思う。確かに戻れないことは悲しかったが、同時にそれは誇り高いことだった。

 大好きな女の子や家族、友達を守るための力を使った代償なのだから。それにこの力自体、神様に僕がリクエストしたものだった。自分で代償のある力を望んでおいてケチをつけるなんて、許されないと思ったのだ。

 楓は僕の首に腕を回したまま、首だけで振り返り秘密基地を見た。


「この場所、一緒に作って、沢山遊んだよね。……大切な思い出の場所」楓が僕の頭部を撫でた。「悠斗がこの山に逃げ込んだって聞いて、無理を言って連れてきてもらったの。きっとここにいると思ったから」


 賞賛の意味を込めて少しだけ高い音で吠えると、意図が伝わったのか楓が笑顔を見せた。


「凄いでしょ? あんたのことはお見通しなのよ、あたし」


 それから少しの間、楓は黙って僕にしがみついていた。僕は身動きが取れず、脱力したまま座り呆けていた。

 何かを決心したのか、楓が「うん」と小さく呟き切り出した。


「ねぇ悠斗。あたしね、あんたにずっと言おうと思ってて、言えなかったことがあるの」


 楓は僕の首に腕を回したまま、ささやくように言った。

 僕には返事ができなかった。楓もそれがわかっているのか、僕の返事は待たず話し続けた。


「あたしね、ずっと……ずっと……悠斗のことが、好きだったの。小さな頃から、本当にずっと」


 楓が僕の爬虫類めいた頭部を撫でた。

 僕は別の意味で身動きが取れなくなってしまった。楓のこの発言は、ハンマーで頭を殴られたと表現したい程、衝撃的だった。

 僕は自分のこの想いが、一方的なものだとばかりずっと思っていたのだ。中学に入る頃には本当に疎遠になってしまっていたし、僕のような冴えない人間が楓の気を惹くことなんてないだろうと、ずっと思っていた。


 自分で言うのも何だが、僕は運動もできないし勉強だって得意じゃない。毎日毎日妄想ばっかりしていた変な男だ。コレを好きになる人間がいると思う方がどうかしているとさえ考えていた。

 だからこそ、楓の告白は僕の思考と身体を停止させた。だがすぐに我を取り戻し、僕は首を横に振った。

 人間の頃の僕ならいざしらず、『蜥蜴リザード』と化した僕に好きと言って、何の意味があるのだろうか。楓は僕のことを忘れ、別の人生を歩むべきだと思ったのだ。

 どうにか力を加えず楓から離れようとしたが、楓はそれを許さなかった。


「行かないでよ。お願いだから、もうあたしから離れないでよ……!」


 楓は僕にしがみつく力を強め、全身で僕の動きを止めた。


「あんたのことだから、自分はあたしにふさわしくないとか、考えてるでしょ。そんなのくそくらえよ」楓が僕の鼻先に頭を動かし、叫んだ。「あたしはあんたがどんな姿でも好き! 人に戻れなくたっていい! あたしはあんたが人間だから好きになった訳じゃない! あんたの内面が好きなの! 悠斗が嫌って言っても、絶対に離してやらないから!!」


 楓はそのまま僕の口元に唇を近づけていった。不釣り合いな程大きな僕の口に、楓の柔らかな赤い唇が触れた。


「これが証拠よ! あたしはあんたが好きなの愛してる!」


 そう叫び、楓は再び唇を押し付けてきた。

 僕の動きは止まっていた。

 楓を壊さないためでも、発言や行動に衝撃を受けた訳じゃない。装甲の中に異変を感じたのだ。

 どろどろに溶けた何かが固まっていくような感覚があった。全身を駆け巡り、一回り程小さな何かを形作った。

 ――瞬間、『蜥蜴リザード』を形成していた装甲が溶け始めた。

 僕はそれを、装甲の中から見ていた。


「悠斗」


 神様の声が突然頭の中に響いた。溶けて消えていく装甲を見ながらその声に耳を傾けた。


「悠斗。終わりだ。君はエンディングに辿り着いた。先程残っていた全ての種を排除したよ。もう敵が現れることはない」

(どうして、神様)


 突然のことに、僕は上手く反応が返せなかった。


「どうしても何もないよ。私が設定した条件を君とそこの幼馴染が達成した、それだけだ。――ああ、そうそう。君の能力はそのままだから、使いたければ自由に使い給え。もう身体を侵食されることもない。代償なしのスーパーパワーさ」


 妙に明るい調子で神様が言った。


(待ってよ、神様。突然過ぎて訳がわからない)

「理解する必要はないさ。……またいずれ会うかもね、悠斗。私は暇を持て余しているんだ。じゃあ、そういうことで」

「神様!」


 僕は手を伸ばし叫んだ。視界を覆っていた装甲が消え、目の前には涙目の楓がいた。裸で銀髪の、僕を翻弄してきた神様はいなかった。

 冬の風が全身を震わせ、僕は刺すような冷たさを感じ思わず体を縮こまらせ両手を抱いた。喪失感を、誤魔化したのかもしれない。


「悠斗……!?」


 楓が駆け寄り、僕を抱きしめた。暖かった。

 肌に感じる熱がやけに直接的で、僕は自分の身体を見下ろした。服が全て消えていて、素っ裸になっていた。肌色だった。

 神様がどこかに行ってしまったことや人間に戻れたことよりも、意図せず楓に全裸を見られたことに対する羞恥が、僕の心を揺さぶっていた。


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