三節 秘密基地を見つけた
僕は身体を屈め全身を小さく折りたたむと、柔らかい砂を蹴った。爆薬の炸裂に似た音を出し、砂が舞い上がった。
空中に飛び出した僕は、そのままマンションの屋上に着地し、再び跳躍した。何度か繰り返し大通りに出ると、短く吠えてから四肢を使い地面を這って進んでいった。
新たな敵が出現したのは、横浜市の郊外にあるゴルフ場だった。人への被害が出ないという意味では、最高のロケーションだと言えよう。ここなら、思いっきり戦っても被害は最小限に食い止められる。
ゴルフ場に到着すると、僕は身体の再構築を行い、そのサイズを十二メートル程に上げた。再構築は一瞬だった。変身する時と同じく全身を液状の装甲が包み、意識が新しい装甲に移る感じだった。
目の前に飛び出してきた新たな敵を見て、僕は開戦の合図と言わんばかりに雄叫びを上げた。呼応するように、敵が叫び声を轟かせ両腕を振り上げた。
ゴルフ場に出現した敵も巨大種で、その全長は十メートル程はあった。被害を拡大しない範囲で敵を迅速に排除するには、僕の十二メートルというサイズは適切だったと思う。
敵の見た目の印象は、一言で表すなら巨人だった。古典的な相撲取りのイメージ図を想起させる、腹部周辺が特に幅広な体型だ。腹部の幅は恐らく六メートル程で、奥行きも同じくらいあったと思う。
腕は存在せず、肩も丸く削ぎ落とされていた。頭部が小さなひょうたん型とも形容できただろう。ゴムのようにしなやかな胴体をやたらめったら暴れさせ、フェアウェイを砕き盛り返していた。
外皮の色はやはり赤に黒が僅かに混ざったような色をしており、最近の傾向と同じく硬いタイプのようだった。第一印象に従い、これをここでは赤キョジンと命名しておくこととする。
赤キョジンはひとしきり暴れたかと思うと、僕に向き直り、目も口もないツルッとした頭部をこちらに向け再び叫んだ。前傾姿勢を取り僕に向かって突進を繰り出したので、僕は突進を受け止め切り裂いてやろうと、腰を落として迎撃の体勢を取った。
衝突の瞬間、赤キョジンの腹が観音開きの戸のように二つに裂けた。大きく広がった二つの肉壁に僕は瞬時にして包まれ、そのまま地面に押し倒されてしまった。膝下と尻尾の中程からは自由に動かせるようだったが、上半身は綺麗に腹の中に収まってしまった。
突如として暗くなった視界に僕は慌ててしまい、しばし呆然としてしまった。しかし『蜥蜴』の装甲の硬さには自信と信頼があったので、僕はすぐに落ち着きを取り戻し現状の把握に努めた。
どうやら赤キョジンはそれなりに力が強いタイプらしく、姿勢の関係上両腕を開いて脱出するというのは難しそうだった。腹に包まれた僕の身体は、腹と身体の間に出来た隙間の部分に赤キョジンの肉が押し寄せているらしく、腕を動かす場所がなくなってしまっていたのだ。
赤キョジンは地面に僕を押し付けるようにして、身体を揺らしていた。同時に、装甲に湿り気を感じた。恐らく以前出現したナメクジケンタウロスのように、僕が包まれている肉壁から誘拐液かそれに似た性質の何かを排出していたのだと思う。言ってみれば、僕は食事にされたのだ。
だが案の定というべきか、僕の装甲が溶けるような気配は一切なかった。この身体で痛みを感じるのかどうかはわからなかったが、少なくとも装甲上に感じる限り異常はないようだった。
しかしいくら装甲にダメージが入らないと言っても、身動きが取れないことに変わりはなかった。体外に露出している足の先端と尻尾だけで、対処をしなくてはならなかった。
それにこのまま圧迫され続けたら、さしもの『蜥蜴』と言えどどうなるかわからなかった。それ程までに装甲へ感じる圧力は強烈だったのだ。
赤キョジンの外側から衝撃が伝わってきたのを感じた。恐らく自衛隊が攻撃したのだろうと僕はこの時予測をし、実際それは正解だった。
自衛隊は僕が動けないのを見て、危機感のようなものを覚えたらしかった。自衛隊が持っている兵器では僕を傷つけられないことは実験済みだったし、あちらとしても僕を押さえて身動きを取らない赤キョジンを攻撃するのはやりやすかったはずだ。
赤キョジンの内側から、絶叫するような音が響いた。赤キョジンは僕ごと跳躍したらしく、足元にあったはずの地面の感触が消えていた。身体が――正確には足と尻尾――が赤キョジンの動きに合わせて大きく引っ張られるような感覚があった。相当なスピードで移動をしていたようだ。
今度は外側から人間の叫び声が聞こえてきた。それと何かの墜落音。赤キョジンを攻撃したヘリコプターがはたき落とされたのだ。
赤キョジンの勢いは全く落ちていなかった。断続的に攻撃音や衝撃が伝わってくるが、赤キョジンは物ともしていない様子だ。
導き出される答えは一つしかなかった。自衛隊の兵器が通用しない敵が、遂に現れたのだ。
これまで出現してきた敵は、時間の経過と共に外皮を厚くしていく傾向があった。今後現れる敵が、今回の赤キョジンのように硬い外皮を持った個体になる可能性は高かっただろう。
とにもかくにも、自衛隊の援護はアテにできなかった。自力で脱出し、赤キョジンを潰さなくてはならなかった。
僕は赤キョジンの腹に取り込まれた上半身の制御を捨て、露出した足先と尻尾に意識を集中させた。
露出した足先を動かし、赤キョジンの腿を狙って爪を立てた。狙い通りの場所に当たったらしく、赤キョジンは叫びながらそのバランスを崩し、再びゴルフ場の中で倒れ込んだ。
それと同時に尻尾を動かし、やたらめったら赤キョジンの表皮に突き刺し始めた。腹の周辺を狙い手応えを感じると、僕は同じ場所を突き続けた。
手や触手を持たない赤キョジンは僕の抵抗を防ぐ術を持たず、ひたすら叫び声を上げ続けていた。
次第に腹の肉が削ぎ落とされ、暗かった腹内に光が差し込んだ。穴が開いたのだ。
僕は足先でとにかく赤キョジンの動きを封じながら、尻尾を動かし続けた。次第に穴は大きくなり、僕を絡め取っていた肉がその力を弱めていった。
直感的にもう動けると判断し、僕は両肩を一気に広げた。
腹部が破れ、赤キョジンの肉片を飛び散らせながら僕は遂に外に出た。光がやけに眩しく感じたが、頬を撫でる風の存在が窮屈な場所から無事に出られたことを実感させ、僕を安堵させた。
腹を引き裂かれた赤キョジンはゴルフ場のグリーンを覆うように転がっていた。痙攣し跳ねていて、まるで釣りたての魚が船の上で身体を捻らせる姿を思わせた。
僕は身体をブルっと一震いさせ装甲にこびりついた肉片を落とすと、地面でのたうち回っていた赤キョジンの上にのしかかった。咆哮しとどめを刺さんと勇むと、両手足で身体の動きを封じ、再生を始めていた腹肉を食い破っていった。
赤キョジンの肉が絡みつくように僕の装甲へ向かって伸びてきたが、僕はそれごと噛み千切り吐き出した。何度か繰り返すと『宿主』が収められているであろうコブが露出した。
僕は大きくなった肉体を活かし、コブをそのままかじり取った。『宿主』との接続が断たれ、赤キョジンが苦しみの声を上げた。どこか、悲しげに聞こえた。
溶け消えていく赤キョジンを背に、僕は自衛隊の生き残りの前に『宿主』入りの肉塊を置いた。すぐに自衛隊が駆け寄り、手にしていたカッターかノコギリで肉を裂いていった。
僕は『宿主』の安否を確認せずに、その場を離脱した。飛び上がり、空中で肉体の再構築を行い最小サイズである三メートル程に戻ると、鎌倉へ向けて移動を始めた。
やはりと言うべきか、マスコミのヘリコプターが僕の追跡を始めていた。それと共に、自衛隊のヘリコプターがマスコミを追いかけていた。
「やあ悠斗」
神様が僕の肩に乗り話しかけてきた。海の底で”世間話”をして以来、少しだけ神様は僕との距離を縮めたような気がしていた。これまでだったら、敵を倒した後に現れることなんてあり得なかっただろう。
(何、神様?)
「あの自衛隊のヘリコプターは、どうやら君を追わないようにマスコミに呼びかけているようだぞ」
(そうなの? なら、しばらく身を隠せば自衛隊とコンタクトが取れるかも)
僕は由比ヶ浜の辺りからまた海に潜って過ごそうと考えていたのだが、方針を変えた。山林の中に身を隠し、自衛隊が現れるのを待つことにしたのだ。
山なら規制線を張ることもできるかもしれないし、『海底にいる黒い生き物』を探すよりも幾らか容易に思えた。
何度か学校の周辺をグルグル周り、ヘリコプターにはついて行けないような軌道を描きながら僕は山の中へ飛び込んでいった。木々の間をすり抜けて移動していくと、気づけば僕は霊光寺の側にやって来ていた。
寺から幾ばくか離れた、周囲を高い木々に囲まれた小さなスペースに、それはあった。
僕と楓が幼い頃に作った秘密基地だった。
確か、その時は楓に無理やり引っ張られて山に入り、廃材やなんかを集めて作ったのだ。子供が作ったにしては大きなサイズをしていて、大人も滅多に来ないことから、この場所はある種僕と楓の誇りだった。
自分達だけの力で、何かを成し遂げたのが嬉しかったのだと思う。
(まだ残ってるなんて思わなかった)
「何がだい?」
神様が僕の肩に乗りながら尋ねた。
(この場所が。確かに人目につかない場所だけど、そのまま残ってるとは思ってなかったんだ。あの建物、昔楓と一緒になって作ったんだよ)
上空を意識しながら秘密基地に近づき、それを眺めた。ベニヤ板や竹を無理やりくっつけて、なんとか小屋の体を成していただけの基地だが、大切な宝物だった。
僕は大きめの木の影に入りながら、秘密基地を眺めた。
意識してここに来た訳ではなかったが、動こうという気にもなれなかった。
昔よく遊んだ場所だし、楓との思い出が詰まった場所だからかもしれない。とにかく、もう動く気はなかった。自衛隊が上手いこと僕を見つけてくれるのを祈りつつ、その場でジッとすることにしたのだった。
しばらく神様と僕が作った世界のことについて話し、ふと顔を上げると日が落ちかけていた。木々の合間から橙色の光が差し込み、幻想的な光景を作り出していた。ここにあるのがボロボロの秘密基地でなく例えば神聖な雰囲気のお寺や神社だったなら、ここにいるのが黒いドラゴンの出来損ないではなく巫女やなんかだったら――それこそ神様が似合うかもしれない――どれだけよかっただろうか。
空を見上げ耳を澄ましてみた。ここに逃げ込んでから、ずっとヘリコプターの音は聞こえなかった。マスコミのヘリコプターを追い払い、報道規制をかけたのだろうかと僕は考えた。
ずっと肩の上に座っていた神様がピクリと震え、どこかを見た。
「悠斗、私は一度消える。次に現れるのは……そうだな、少し先になると思う」
(用事か何か?)
神様に用事があるのかは疑問視したいが、この時の僕は極自然にそう思っていた。神様との距離が少しだけ近くなったから、人間の友人のような感でいたのかもしれない。
「まあそんなところ。またな」
そう言って神様は消えてしまった。肩に感じる僅かな重みと熱が消え、僕は急にひとりぼっちになってしまったような恐怖心に陥ってしまった。
鳥や虫の鳴き声が鋭敏になった耳に容赦なく降り注ぎ、僕は頭を振った。意識して音を遮断しないと、どうかなってしまいそうだった。
地面の一点を見つめ精神を落ち着かせようと頭を押さえていると、声が響いた。
「悠斗!」
神様が戻ってきたのかもしれないと考え、僕は頭を上げた。
だがそこに神様はいなかった。
傾いた秘密基地の側に、膝に手を付いて息を切らせた少女が代わりに立っていた。
僕が守ると誓った女の子――楓だった。




