一節 蝕まれた
赤イモムシとナメクジケンタウロスの同時出現から二ヶ月近くが経過した。
夏の気配は消え去り、入れ替わるように冬が近づいているのを如実に感じる季節だ。
あれから僕は八回の戦闘を経験した。敵の強さはそこまででもなかったと思う。赤イモムシのように、外皮が装甲になりかけていたものもいたが、問題なく対処できた。県外にも三体敵が出現したが、運良く全て柔らかいタイプの個体で、自衛隊だけで十分に対処することができた。
だが、戦闘中の周囲の反応は確実に変わってしまっていた。
声援は一切ない。倒してくれるのはありがたいけど、正直迷惑だ、というような思考が透けて見えてしまった。
赤イモムシの『宿主』を僕が殺した瞬間を、多くの人間に見られてしまったせいだ。
別に、直接殺されると思った訳ではないと思う。マスコミのインタビューなんかでも、自分が黒い怪物に、意図的に殺されるとは思っていないという人間は多かった。
それでも、一歩間違えば殺されるという印象を植え付けられてしまった影響は大きく、以前のような応援の声はなくなってしまった。
自然な反応だったとは思う。それに、自衛隊と政府以外の人間は、敵に人間の兵器が通用するものと思っている点も大きかった。国民の多くが、自衛隊に任せればいいじゃないかという風に考えて始めたのだ。
だが現実問題としてそうもいく訳がなく、僕は鎌倉……神奈川に敵が出現する度に変身を繰り返した。
そうして僕の身体は、更に蝕まれていった。
この頃の僕に残された生身の部分は、もう胸から上の部分だけだった。両手足は完全に『蜥蜴』と化し、股間や腰も全て変質していた。
日常生活は困難を極め、食事は両手が使えないので全て食べさせてもらい、扉は破壊してしまうので全て外した。頭だけでも洗いたかったので風呂は続けたが、これもヒデさんとミキさんに頼んでいた。日常的にする行動のほとんどは、二人の手を借りないとまともにできなくなってしまっていたのだ。
幸運なことに、人間の股間が消えたおかげで、トイレに行くことはなくなった。口に入れたものがどうなっているのかはわからない。
余談ではあるが、性欲はそのままだった。ムラムラっとくるような気持ちが湧き上がることはあったが、ペニスが消え去っていたし、そもそもあったとしてその処理を誰に頼むんだという当たり前の問題にぶち当たったので、二人には黙っていた。
長い足のせいで常に中腰になって生活する羽目になり、僕は何度も天井に頭をぶつけてしまっていた。次第に動くこともしなくなり、僕は一日中ガレージの中で座って過ごすようになってしまった。ベッドが小さくて使えなかったので、寝る時は壁に背を付けて、ただ目を瞑るだけだった。まともに寝れた記憶は正直な一切なかった。
この頃の僕の生活は、機械的に食事を摂り、次の敵が発芽するのを待つだけのものだった。
唯一の気晴らしは、楓やトモちゃん、それに母さんと電話をすることだった。
ガレージに運び込まれた自衛隊の通信機器を使い、僕は時間の許す限り皆と話した。私的な目的で機械を使ったことは申し訳なく思うが、これがなかったら僕の精神はどうなっていたか、正直わからない。
楓達は僕のことを大変心配してくれていたが、「僕は大丈夫、元気にやってる」と繰り返し心配をかけさせまいとした。ビデオ通話もできたが、それはしなかった。変わり果てた姿を見せたくなかったからだ。
本音で言えば、楓に会いたかった。楓がこの場にいたら、きっと僕を見て怒ってくれただろう。
そのぐらい、僕は見るからに疲弊していた。上手く眠れない日々が続いたし、相変わらず幻覚や悪夢に苦しめられていた。
一日が永遠かと思えるくらい長かった。ただ冷たいコンクリの地べたに座って、時間が過ぎるのを待つだけ。ヒデさんとミキさんが設置してくれたテレビから垂れ流される映像は、ただの雑音として処理された。
世界の構築妄想もずっとしていなかった。もう一切手につかなかったのだ。だがそれでも、考えた設定が頭から抜け落ちることだけはなかった。神様が僕ら人間を、そういう風に作ったからなのだろう。
そんな生活を送り続けたある日、目の前に神様が現れた。また敵が現れたのだろうと、僕は手を挙げヒデさんに神様の出現を知らせた。
「やあ悠斗。お察しの通り、次の敵が発芽したよ。東に五キロの地点だ」
「……東に五キロ……!」
近かった。すぐそこで、化物が発生していた。
ヒデさんが通信機器を動かし、本部に連絡を入れた。その間に、神様が続けて口を開いた。
「それともう二体、続けて発芽する。一体は北に十一キロ。もう一体は西に六百五十五キロの地点だ」
「まだ出ます! 北に十一キロと、西に六百五十五キロ!」
「三体も……!?」
ヒデさんが呟き、僕が言ったことをそっくりそのまま連絡した。
ミキさんが改造車のバックドアを開けた。僕は身体を捻じ曲げ無理やり中に入り、出発を待った。適当な場所で降りて変身――ほとんど変身を終えているのに、おかしな話だとも思う――して、まずは五キロの場所へ、次に十一キロ地点の敵を倒すつもりだった。
車が猛スピードでガレージを飛び出し、裏手の林に向かって進んでいった。林の中へ車を入れつつ、ヒデさんが周囲に人気がないかを確認した。ヒデさんの合図と共に、後部座席から這い出し林の奥まった場所へ入った。
ヒデさんが携帯していたナイフを取り出し、装甲に侵食されていなかった僕の首筋に当てた。
「すまない、悠斗くん」
そう呟き、ヒデさんはナイフを引いた。薄く付けられた傷口から血が溢れ、僕の全身を覆った。侵食された両手足も含めて身体が全て溶け出し、再構築された。
そこに現れたのは七メートル程の大きさをした『蜥蜴』だった。
赤イモムシの時に神様が言っていたとおり、僕の大きさはある程度調節が可能なようだった。また、神様は大きさは強さに比例しないとも言っていたが、それはあくまでも敵に関しての話のようだった。大きくなった僕はそれに比例してパワーなども相応のものになるらしく、巨大化した僕の走るスピードは、以前のものとは比べ物にならなかった。
僕は短く吠えると、土を蹴って出現地点へ向かった。五キロという出現地点の近さからか、宙に浮いた僕の目に被害状況が映った。既に敵は活動を本格化しているようで、そこかしこから煙や火が上がっていた。
地上に降り、四肢を使ってトカゲらしく地面を這って進んだ。避難途中の住民が僕を見つけて、叫び声を上げて逃げた。
こうして逃げられることは既に何度か経験していたので、僕は気にすることなく――少なくとも表面上は――目的地に向かって走り続けた。
すぐに第一の現場に到着し、僕は暴れていた三メートル程の敵に近づいていった。通常のものよりも硬い、赤い外皮を纏ったタイプのものだった。
見た目の印象で言えば巨大な犬という感じだった。四足で移動し、ぱっくり二つに割れた頭部を振り回して周囲の民家を破壊していた。頭の切れ目の奥、喉と思しき場所には凶暴そうな牙がいくつも並んでいた。飲み込んだものを、それで噛み砕き胃――があるのならば――収めるのだろう。
僕は素早く、鋭く尖った爪で頭部をもぎ取ると、その裂け目から赤イヌを真っ二つに裂いた。肉片を投げ捨て咆哮し、地面を揺らした。衝撃で建物のガラスが割れ地面に降り注いだ。
最悪な精神状態の僕が気晴らしに電話をしていたことは既に記述したが、一つ訂正したい。実はもう一つストレスを発散する方法があったのだ。
それが今まさに僕が行っていた、人命救助という名の暴力だった。圧倒的なまでの力で敵をねじ伏せるその瞬間、射精にも等しい、もしくはそれ以上の快感を、僕は確かに得ていたのだ。正に絶頂という感じだった。
敵の中に入っていた『宿主』の状態を確認することなく、僕は次の地点へ駆け出した。放っておいても近くの救助隊が助けに来るだろうと思っていたし、正直に白状すれば、どうせ死ぬだろうと考えていた部分もあった。トモちゃんの一件以来、一度たりとも『宿主』を助けられたことがなかったからだ。
(神様、次はどっち?)
僕は空中を漂っていた神様に尋ねた。
「あっちだよ、悠斗」
上下逆さまになった神様が指を差して言った。方角からして、当初よりも南東に移動していたらしかった。
グッと屈み込み、僕は四つの足に力を漲らせた。限界まで溜め、放出すると、周囲の景色が一気に流れていった。なるべく大通りを選んで進んだが、何台かの車を潰してしまった。人の肉を踏み潰した感触はなかったので、僕はさして気にすることなく足を動かし続けた。
「――早いな。悠斗、今追っている敵は君よりも僅かに遅いが、相当なスピードだぞ。東へ向かっている。このままだと、君の幼馴染がいる辺りで衝突するだろうね」
神様がなんてことないという風に、僕にとっては死に近い宣告をした。横須賀には、楓だけじゃなく、トモちゃん、母さん、それにおじさんとおばさんがいたのだ。
僕は気合を入れようと叫んだ。走りながら雄叫びを上げる『蜥蜴』がどういう風に映るかなど、一切考えなかった。
神様に先導されるような形で、僕は走り続けた。僕と敵の位置関係からして、敵をそのまま追うのではなく、予め進行方向に先回りするのが良さそうに思えたので、僕は神様が教えてくれる敵の位置とは僅かにズレた場所に向かって走った。すなわち、横須賀の基地の手前の位置を目指したのだ。
家屋を飛び越え、マンションのような硬い構造物はそのまま足場として利用した。文字通り真っ直ぐ進み、敵よりも素早く横須賀に到着することができた。
「来るぞ悠斗。すぐに見えるはずだ」
神様が正面の道路を指差して言った。程なくして、ビルを突き破って何かが高速で突撃をしてきた。方向を一切変えることなく、直進を続けていた。
僕は腰を落とし、両手を前に突き出した。弾丸のように突進をしている敵を、受け止めるのだ。
手のひらを開き、前を見据えてその時を待った。
一瞬の静寂の後、それが僕の手の中に飛び込んできた。




